系共通科目(メディア文化学)講義A
月曜4限/第8回
松永伸司
2024.06.17
「正しい」作品解釈とはなんだ
SlidoのリンクはScrapboxにあります。
前々々回、前々回のリアクションペーパーへの応答もScrapboxにあります。前回分は作成中です。
作品論がおおむね何をすることなのかを理解する。
キャロルによる批評の特徴づけを大まかに理解する。
作品解釈の「正しさ」がどのようにして言えるのかについて考える。
作品論の意義について考える。
1. 作品論と批評
2. 批評の作業
3. 研究としての作品論?
作品解釈の「正しさ」?
作品論と批評
作品解釈の正誤
文学作品であれ映画作品であれマンガ作品であれなんであれ、それをどう受け取るか、どう解釈するかは、ある意味では鑑賞者の自由である。そこに道徳的規範や法規範のような強い規範(こうあるべし)は普通はない。
しかし一方で、ある作品解釈が表明されたときに、それに対して「正しくない」「不適切である」「説得力がない」といった反応が寄せられることは実際によくあるし、そこで論争になることもよくある。
ようするに、規範の度合いはたいして強くないものの、ある作品解釈の正当性・正しさ・適切さを問題にするという営みは、ある種の文脈の中で実際になされている。
※このように規範性が微妙にあるという点は、前回・前々回に取り上げた美的判断も同じである。
※「正当化(justification)」は認識論上の専門用語なので誤解しないように注意。「言い訳」みたいな意味ではない。
具体例
純粋に作品解釈の適切さをめぐる議論・意見対立の事例
作品解釈が倫理的判断にからむことでややこしくなっている事例
あるテキストの読解に「適切な」読みとそうでない読み(つまり誤読)があるとされるのも、さらには現代文の読解問題に「正解/不正解」があるとされるのも、原理的にはこれらと同じ話である。
注意点
今回の授業のポイントを明確にするために、あらかじめ注記しておく。
ある作品解釈が「本当に」正しいのかどうか、ある作品解釈が正しいということが「本当に」ありえるのかどうかは、ここでは一切問題にしていない。問題にしているのは、ある作品解釈に対して「正しい/正しくない」と言われる実践が現にあり、そしてそれが言われるときにどんな理屈が使われているのか(どのような仕方でそうした主張が正当化されているのか)ということだけである。
もちろん、作品解釈は「自由」で「人それぞれ」であるとされるような実践や文脈もあるだろうが、そういう別の種類の実践は今回は問題にしていない(加えて、その手の相対主義的な実践を取り上げて論じる意義もあまりない)。
「作品解釈は結局のところ“主観的”でしかない」みたいな方向で考えたりコメントしたりすることはポイントがまるでずれているので、気をつけるようにしてください。
個別作品を対象にした研究
文学研究や美術史学といった確立した芸術学の分野では、作品論、つまり、個別作品を取り上げて何かを論じるタイプの研究が数多くある。
作品論とは区別される芸術研究として、作家論(作品というよりも個別の作家について論じる)や様式論・ジャンル論(一定の作品群に共通するパターンについて論じる)があるが、それらもある程度は個別作品のあり方を議論の前提としているという意味では、作品論の側面を部分的に含むのが普通である。
作品論と批評は違うのか
まず、一般に「批評」や「考察」と呼ばれる多様な営みと、アカデミックな研究としてなされる作品論を、互いに排他的なカテゴリーとして線引きしようとするのはナンセンスである。
なので「両者は違うのか否か」という問い方はしないほうがよい。
むしろ、あるタイプの「批評」の特徴を観察することによって、アカデミックな作品論が何をやっているのかをよりよく理解できるということに注意を向けたほうがよい。
「批評(criticism)」と呼ばれる営みにはいろいろなタイプがあるが、何か作品を取り上げ、さまざまな理由・根拠を持ち出して、正当化を伴う仕方でその作品を評価する(あるいはその作品を歴史的に位置づける)タイプの批評は、アカデミックな作品論と数多くの共通点を持つ。
ノエル・キャロルの批評の哲学
分析美学者のノエル・キャロルは、このタイプの批評を「理由にもとづいた価値づけ(reasoned evaluation)」として特徴づけたうえで、その全体的なプロセスをいくつかのサブ作業に分解して説明している。
文献:キャロル『批評について』森訳、勁草書房、2017年
キャロルの説明は、先に挙げたような作品解釈の「適切さ」をめぐる言説やアカデミックな作品論が、具体的にどういうことをやっているか、何かを主張する際に何を根拠として持ち出しているか、その理屈の背後にどんな前提があるか、などを理解するために役立つ。
以下、キャロルの批評観を簡単に確認したうえで、それにぴったり当てはまるような批評の具体例を見る。
価値づけと6つのサブ作業
批評の具体例を観察する
キャロルの基本的な考え
引用(『批評について』119–120頁)
「「批評の諸部分」という語が意味しているのは、一本の批評文を書くために必要となる、もろもろの作業のことである。通常、これらの作業は他の作業から完全に独立して行なわれるわけではないし、むしろそれらは相互に影響しあっているのだが、わたしたちは実用的な観点から、これらの作業をいくつかに区分することができる。〔…〕ここに含まれる作業としては、記述、分類、文脈づけ、解明、解釈、分析、そして価値づけがある。」
「本書が掲げる批評観にしたがえば、〔…〕価値づけ以外の6つの作業の主な機能は、[最後の]価値づけのための根拠を提供するところにある。〔…〕批評家は、記述、文脈づけ、分類などの作業のうち、ひとつもしくは複数の作業をもとにして、[自分が最終的に提出する]評価を支えるのだ。」
批評の作業
作業の区分
記述(description)
分類(classification)
文脈づけ(contextualization)
解明(elucidation)
解釈(interpretation)
分析(analysis)
価値づけ(evaluation)
価値づけ以外の6つは、価値づけ(作品としてのよしあしの判断)を支える根拠になる。
記述(description)
批評の対象となる作品が、それ自体としてどんな特徴を備えているかを、批評の読み手に伝える作業。他の作業の前提になることもよくある。
例:
具象画作品の場合:色づかい、構図、技法、美的性質、表出的性質、etc.をはっきりさせる。
映像による物語作品の場合:映像の作り、技法、美的性質、表出的性質、etc.をはっきりさせる。
表象内容(どんな主題が描かれているか、どんなお話の中身か、etc.)を伝える作業は、どちらかと言うと解明になる。
解明と解釈(elucidation / interpretation)
キャロルは、一般的には「解釈」という語でひとまとめにされる作業を、「解明」と「解釈」とに分けている。
※「解明」という訳語選択は正直あまりよくないと思うが、邦訳にならう。
解明
作品が表象する文字通りの意味(自然に引き出せる表象内容や、記号使用の慣習・約束事を知っていればおおよそわかるような表象内容)を特定すること。
解明の例:
小説作品における語や文の意味をはっきりさせる。
絵画作品に直接的に描かれている主題をはっきりさせる。
絵画作品についてイコノグラフィーを通して主題をはっきりさせる。
映画作品で描かれている出来事や状況をはっきりさせる。
続き
解釈
解明が問題にするような直接的な意味・表象内容よりも、もっと漠然とした作品の意味あい(significance)を特定すること。たとえば、作品全体としてのメッセージ・テーマ・コンセプト、隠喩的な意味、寓意などを特定すること。
引用(162頁)
「識字能力をもち読書体勢のととのっている読者は、カフカの『城』のあらゆる語・文の言語的意味を〔…〕把握できるだろうし、また、物語理解という点では、その物語の各節目、各エピソードで〔主人公の〕Kに何が起こったのかも理解することができる。しかしながら、[そのような者にとっても]依然として次のような問いは残っている。この作品は全体としていかなる主題を意味しているのか――結局この作品はどういうものなのか?」
分析(analysis)
当の作品がいかに機能しているかを説明する作業。作品がどんな効果をもたらしているか、そうした効果はどの要素によって生じているか、などを明確化すること。
たとえば、抽象的なデザインがいかにしてこれこれの美的性質を作り上げているのかをはっきりさせることは、この意味での分析に含まれる。
引用(178頁)
「その作品の色、テクスチャー、パターンは、心地よくゆったりした雰囲気をいかにして作り上げているのか。それらはわたしたちの目をどのように誘い、どのように惹きつけ、どのように楽しませているのか。こうした点を、批評家は説明することができるのだ。たとえその作品に、意味や意義が——解釈の対象となりうるような広義の意味すらも——まったくないとしても、その作品には依然として要点や目的がある。分析の任務は、そのような要点・目的が作品の構成部分によっていかにして実現されているのか、を説明することである。」
分類(classification)
当の作品が、どんな芸術カテゴリーに属するかを批評の読み手に伝える作業。
芸術カテゴリーには、いろいろなレベルがある。
芸術形式:絵画、彫刻、音楽、演劇、映画、マンガ、ビデオゲーム、etc.
ジャンル:ホラー、SF、時代劇、ジャズ、ヒップホップ、etc.
様式:前回のスライドを参照。
引用(131頁)
「〔分類は〕批評の根本的な任務である。なぜなら、その芸術作品がどの(諸)カテゴリーに属するかを知ることで、わたしたちはその作品にいかなる期待を抱くべきかを理解できるようになるからだ。そしてその知識がこんどは、その作品の成功・失敗を、少なくともその作品固有の条件で判定するための根拠を与えてくれる。」
文脈づけ(contextualization)
当の作品・作者を取り巻く環境や状況、その作品を適切に鑑賞するために必要な前提知識などを批評の読み手に伝える作業。
(当の作品が属するカテゴリーに関する)芸術史的な文脈について述べる場合もあれば、より広い社会的な文脈について述べる場合もある。
文脈をはっきりさせることで、作者のねらいを特定したり、作品を歴史的に位置づけることが可能になる。
アニメーション批評の具体例
以下の動画を例にして、批評の6つのサブ作業の具体的なあり方を考えてみる。
『On Your Mark』は宮崎駿による1995年の短編アニメーション作品。CHAGE&ASKAの楽曲「On Your Mark」のミュージックビデオとして制作されたが、謎が多いのもあって、独立したフィクション作品として取り上げられることが多い。
岡田斗司夫によるこの「解説」動画は、実質的にこの作品の批評あるいは作品論であり、キャロルが挙げているような批評の諸作業(およびそれを根拠とした作品の価値づけ、歴史的位置づけ)がてんこもりになっている。
スライド勢(教室に来ない勢)向け
『On Your Mark』本編の映像を見てからでないと、いまいちわからないと思います。興味があれば本編も各自で見てください。
岡田の「解説」動画の重要箇所まとめ:
[0:33–1:16] 作品概要①
[2:15–3:55] 作品概要②
[4:38–5:10] 作品概要③
[9:00–11:23] 「解説」の視点の説明
[11:42–13:56] 作品冒頭部分についての記述、解明
[14:14–19:39] 記述、解明、分析、理由にもとづく価値づけ
続き
[44:00–45:56] 記述、解明、分析、理由にもとづく価値づけ、文脈づけ(「宮崎はマルチエンディングみたいな発想をする作家ではない」)
[46:40–47:22] 絵コンテの参照による作者の意図の推定
[52:37–54:24] 結末部分の記述、解明、分析
[54:29–55:57] 解釈(作品が全体として表すテーマ・メッセージの明確化・推定)、解釈の「レベル」が複数あるという主張、理由にもとづく価値づけ
[56:13–1:01:43] 文脈づけ、記述、解明、分析、歴史的な位置づけ、価値づけ
[1:02:23–1:04:24] 解明(シンボリズム)、価値づけ
続き
[1:06:24–1:08:23] 作者の意図の推定、文脈づけ、解釈
[1:08:50–1:12:58] 文脈づけ、解明、作者の意図の推定
[1:22:23–1:25:02] 記述、解明、文脈づけ、作者の意図の推定、解釈
[1:25:40–1:27:34] 文脈づけ、解釈(『風の谷のナウシカ』の「前日譚」としての解釈)、歴史的な位置づけ
「アカデミック」な作品論の特徴
作品論についての問い
批評と「アカデミック」な作品論の比較
各芸術学分野で「学術論文」として発表されるような「アカデミック」な作品論は、いま見たようなタイプの批評と比べたときに、どんな特徴を持つものだと言えるのか。
「アカデミック」な作品論の典型的な特徴
(a) 価値づけの側面(キャロルが批評の最終的な目的と考えているもの)が相対的に少ない。つまり、作品の出来のよしあしを明示的に述べることが相対的に少ない。
とはいえ、歴史的な位置づけも価値づけの一種だと考えれば、「アカデミックな作品論」もある意味での価値づけをしていると言える。
(b) 各種の根拠づけの作業を相対的に厳密に(確かな証拠をもとに)行う。たとえば、分類や文脈づけを十分な知見にもとづいて行う。
(c) 対象となる作品の選択にそれなりに気をつかう。つまり、当の作品を取り上げる研究上の意義をそれなりに気にする。
次回に回します
次回に回します
続き
とはいえ、「アカデミック」な作品論がやっている具体的な作業は、キャロルが挙げる批評の諸作業の範囲内におおよそ収まるはずである。(キャロルが言う意味での)批評と作品論に何か違いがあるとしても、それは相対的な程度の違いだと思われる。
次回に回します
問い①:作品論の意義
個別の作品を論じる「学術的な」意義は(仮にあるとして)何なのか。
対象となる作品ごとにその意義は変わるのか。つまり、「この作品を論じる意義はあるが、この作品を論じる意義はない」といったことはあるのか。もしあるとすれば、その基準は何か。
既存の確立した研究分野における作品論は、基本的に、古典的な作品またはハイカルチャーの作品を対象にするが、ポピュラーカルチャーのアイテムを対象にする場合でも、作品論に意義はあると言えるのか。
キャロルが言う意味での批評は、すべて「アカデミック」な作品論として認められるのか(認められるべきなのか)。
作品論の意義は、批評の意義と同じか。
問い②:解釈・分析の正当性
ある作品に対する解釈(解明と狭義の解釈の両方を含む)や分析が適切かどうかを判定するための基準はあるのか。もしあるならどんな基準が考えられるか。
いわゆる意図主義、つまり、作者の意図通りに解釈・分析することは、つねに「正解」なのか。
意図主義の立場をとることに問題はないのか。たとえば、集団制作による作品に対して「作者の意図」を言うのはおかしくないか。
既存の「アカデミック」な作品論の中では、作品解釈や作品分析が実際どのように正当化されているのか(そもそも正当化の手続きはあるのか)。
作品の解釈は、たとえば史料としての文書資料を解釈(読解)することや法律の文言を解釈することと同じなのか。異なるとすれば、どの点で異なるのか。
リアクションペーパーのお題(任意記述)
コメントに書くかどうかは任意ですが、問い①と問い②に挙げているような問題についてちょっと考えてみてください。
文学部の学生であれば、ある程度自分なりの考えを持っておくべき問題だと思います(自分で作品論をやるかどうかにかかわらず)。
スライドおわり