系共通科目(メディア文化学)講義A
月曜4限/第2回
松永伸司
2023.04.24
毎回こういう感じで
その回の到達目標を
簡単に示します。
理論とはだいたいどんなものか大まかに理解する。
理論にどんな有益さがあるのか大まかに理解する。
実は日々の生活の中で素朴な理論を使っていることを自覚する。
1. 初回ガイダンスのおさらい
2. 文化の研究いろいろ
3. 理論とはなんだ
4. 概念とはなんだ
今回の内容はかなり抽象度の高い話が多くてしんどいと思いますが、次回以降(具体的な理論の紹介)の前提になる話なので、なんとなくでも頭に入れておくと、次回以降の内容がわかりやすくなると思います。
逆に、次回以降の内容を踏まえてから今回の話に戻ると、よりわかるようになっているということもあると思うので、十分に理解できなくても問題ありません。
授業資料について
Slidoについて
成績評価について
授業資料の共有
PandAのトップページにあるURLから、授業資料置き場(Scrapbox)に飛べます。そのページをブックマークしておくことをおすすめします。
授業資料は、基本的にスライド(これ)を毎回作る予定ですが、Scrapboxで作る場合もあるかもしれません。紙で何かを配ることはありません。
スライドのURL、ScrapboxのURLは、他の人に共有しないでください。
授業の趣旨や授業の進めかたについては、初回の授業資料に書いてあるので読んでください。
全体連絡の方法
PandAのお知らせ機能を使います。メール通知もします。
主に、以下の2つの用途で使います。
①毎回のリアクションペーパー(あとで説明)の提出用フォームの共有
②休講連絡
その他連絡関係
履修しないがPandAに登録してほしいという場合は、授業後にお知らせください。
その他、何か個別のご連絡があれば随時メールでお知らせください。メールアドレスはPandAに掲載してあります。
使いかたのガイドライン
投稿内容は共有されます。
匿名で投稿してかまいません。顕名や偽名でもいいですが、どれであれSlidoの投稿は成績評価には影響しません。
授業中いつでも書き込んでかまいません。
授業に関わる内容であればなんでもかまいません。
定期的に確認して、質問などに対しては必要なかぎりで反応します。
荒らさないでください。
成績のつけかた
配点は、平常点30%、期末レポート70%です。
平常点は、毎回授業後にGoogleフォームで提出していただくリアクションペーパーの提出実績およびコメントの内容で評価します。提出用のURLは、毎回授業後にPandAのお知らせ機能で共有します。
期末レポートは、いわゆるレポート課題ではなく、記述式のテストに近いものを考えています(設問に対して答える形式)。6月下旬ごろに実施要領を共有する予定です。
より詳しいことは、初回の授業資料を確認してください。
文化の研究の4つのタイプ(目標別)
「文化の研究」とは?
目標別の4タイプ(排他的な分類も網羅的な分類も意図していない)
(a) 過去どうであったかを明らかにしたいタイプ
歴史研究など。
(b) いまどうであるかを明らかにしたいタイプ
社会調査など。
(c) 何か普遍的な法則(こうすればこうなるなど)を見つけたいタイプ
実験心理学など。
(d) 考えかたを提案したい(他の考えかたを批判したい)タイプ
哲学など。
(a) 過去どうであったかを明らかにしたいタイプ
よくある方法
史料(過去の事実を推測するためのデータ)を集める。
史料を読み解く(史料から事実を合理的に推測する)。
事実の推移をストーリーとして記述する(物語化する)。
(b) いまどうであるかを明らかにしたいタイプ
よくある方法
質問紙やインタビューや参与観察によってデータを集める。
得られたデータをもとに、文脈込みで細かく記述する(厚い記述)、計量化したうえで統計処理を施して何か一般的なことを言う、など。
(c) 何か普遍的な法則(こうすればこうなるなど)を見つけたいタイプ
よくある方法
仮説を立てる。
その仮説の検証に適した人工的な条件のもとで実験を行う。
実験で得られたデータに統計処理を施す。
結果を考察・解釈する(仮説を支持するかどうかなど)。
(d) 考えかたを提案したい(他の考えかたを批判したい)タイプ
よくある方法
事柄をよく観察する(あるいは常識的な事柄を整理する)。
先行文献を読んで著者の言い分を理解する。
どのような考えかたがその事柄の説明として最適かをよく考える。
ひとつの研究にはふつう4つのタイプの成分が混ざっている
実際には、あるひとつの研究の中に、これらのタイプの成分がいろいろな割合で含まれていることが多い(研究者自身がどこまで自覚しているかどうかはともかく)。
例
歴史学者は、ストーリーを作る部分では(d)をやっている。
実験系の研究者も、結果の解釈部分では(d)をやっている。
仮説形成や調査設計の手続きには(d)に近い作業がほぼ必ず含まれる。
外にデータを取りに行かないとdisられがちな哲学者も、実際のところは、論証の前提や説を検証するための材料として、何らかの確からしい事実を必ず持ち出す。「常識」や哲学者自身による観察のこともあるが、(a)や(b)の知見を踏まえることもよくある。
「理論的研究」とは?
この授業で取り上げる意味での「理論的研究」は、(d)を主成分とするような研究を想定している。
とはいえ、いま見たように、(a)(b)(c)タイプの研究でも(d)の成分、つまり理論的な成分が一定の役割を持っている。
その意味で、(a)や(b)や(c)を主成分とするようないわゆる「実証的」な研究にとっても理論は重要である。
また逆に、理論的研究にとってもデータ(観測の結果)は重要である。
哲学的方法論
ウィリアムソン『哲学がわかる 哲学の方法』廣瀬訳、岩波書店、2023年
哲学者が何をやっているかを大まかに理解するためのおすすめ入門書。
歴史記述の方法論
科学哲学の古典
※「文化研究の方法論についての入門書」というピンポイントのニーズに応えてくれる文献はおそらくないが、科学哲学を含め各種の方法論についての文献が十分参考になる。
科学哲学全般の入門
個別科学の哲学
「科学哲学」と言うと、物理学についての哲学がなんとなく思い浮かぶかもしれないが、実際にはいろいろな個別科学(自然科学だけでなく社会科学含む)についての哲学がそれぞれにある。日本語で読める入門書は多いので、関心がある分野について何か読んでみることをおすすめする(本のリストは上記の伊勢田ブックガイドのセクション3を参照)。
理論の簡単な特徴づけ
文化研究の理論の具体例
「特徴づけ」とは?
“characterization”の定訳。
「定義(definition)」と言うと、厳密な線引きをするという含意が入ってしまう。結果として、反例や境界事例を挙げるといった(場合によってはあまり生産的でない)議論になりがち。
「特徴づけ」は「定義」よりもゆるいニュアンス。「この概念あるいは対象は、一般におおむねこんな感じのものである」とか「これこれの特徴がその中核にある」くらいのことを言いたいときには、「定義」ではなく「特徴づけ」と言ったほうがよい。
科学理論
科学理論とは何かという問題については、科学哲学の中で相当の議論の蓄積がある。そこで問題になっている「理論」は、たとえば(物理学であれば)地動説であり、ニュートン力学であり、エーテル理論であり、相対性理論である。
よくある考えによれば、科学理論とは、現実のある側面を抽象化・理想化したモデル(模型)であり、既知の観測データを十分に説明できる(あるいは未知の観測データを十分に予想できる)かどうかがその都度検証されるべきものである(説明・予想が十分にできなければモデルの修正が求められる)。
とはいえ、この授業で取り上げていきたいのは、そういうタイプの「理論」とはちょっと違う。科学理論の特徴づけは参考にはなるが、それをそのまま採用するのは無理がある。
ポアンカレによる「仮説」の種類の区別
ポアンカレ『科学と仮説』「序文」から引用(5頁)
「われわれはまた、仮説といってもいろいろな種類があることを知るであろう。仮説の一つ目の種類は、検証可能なものであり、それはひとたび実験によって確証されるならば、非常に豊かな知見をもたらすような、もろもろの真理ということになる。もう一つの種類の仮説は、われわれを誤謬に陥れることなく、われわれ自身の思惟を固定させるのに有用な道具とみなされるだろう。最後に、仮説の第三の種類のものは、仮説といっても見かけ上そうであるにすぎず、実際には偽装された定義や規約に帰着するものである。」
現代で一般に「仮説」と呼ばれるのは、ポアンカレが挙げる第1の種類だと思われる。前のページの「科学理論」もおおむねそれに相当する。
この授業で取り上げるタイプの理論は、おそらく第2や第3の種類に近い。
理論の評価基準としての便利さ
ポアンカレ『科学と仮説』から引用(105頁)
「それでは次の問いを考えてみよう。〔第3の種類=規約としての〕ユークリッド幾何学は真なのであるか。この問いには何の意味もない。それは、メートル法が真で、古い計測法は偽であるのか、とか、デカルト座標が真で、極座標は偽であるのか、と問うのと同じことである。一つの幾何学が別の幾何学よりも真だということはありえない。それはただ、より便利だ、というだけである。」
現代文化に関する理論的研究の具体例をちょっと見ましょう。
VTuberの三層理論
難波優輝が提案したVTuberのありかたの独特さを説明するための理論。以下のブログ記事が初出だが、その後いくつかの文章で展開されている。
「パーソン/ペルソナ/キャラクタ」という3対の概念を導入して、VTuberの存在様態としてその3つの「層」があることを主張している。同時に、それはVTuberを受容する際の焦点が複数あることを示すものでもある。
難波はこの理論を使って、他のジャンルと比べた場合のVTuberというジャンルの独特さを説明するだけでなく、VTuberごとの特徴の違いも説明している。
「キャラ」と「キャラクター」
伊藤剛が提案したマンガのキャラクターのありかたを説明するための理論。
伊藤『テヅカ・イズ・デッド』NTT出版、2005年
伊藤によれば、マンガのキャラクターと一言でいっても、物語上の(ふつうは豊かな内面を想像させる)登場人物という意味でのキャラクターとしての面と、(たいていデフォルメされた)絵で描かれる何か魅力ある身体を持ったキャラクターとしての面がある。
言葉づかいがややこしいが、伊藤は前者の面を「キャラクター」と呼び、後者を「キャラ」と呼ぶ。
伊藤は、それぞれの側面をどれくらい重視しているか、両側面の関係がどうなっているかといった観点から、個々のマンガ作品の特徴だけでなく、日本のマンガ史(あるいはマンガ受容史)の流れも説明している。
「ルール」と「フィクション」
イェスパー・ユールが提案したゲーム(主にビデオゲーム)のありかたの独特さを説明するための理論。
ユール『ハーフリアル』松永訳、ニューゲームズオーダー、2016年
「ルール」は、その内部での可能な状態を定義し、入力に対して結果を返す抽象的なシステム。それによってプレイヤーが取り組むべき挑戦課題が作り出される。
「フィクション」は、虚構世界上のキャラクターや出来事をプレイヤーに想像させるもの。映画や小説と共通する側面。
ユールによれば、伝統的なゲーム(ボードゲームやスポーツ)の多くはほぼルールの面しかなかったが、ビデオゲームはルールとフィクションの両面を重視する(さらにふつうはそれらを関係づける)傾向にある。
ここまでのまとめ
文化の研究の(d)タイプ
こういうふうに考えるとよいのではないか(そういうふうには考えないほうがよいのではないか)という提案をすることを目標にする。
理論的研究は(d)の成分を主とするもの。
ポアンカレの「仮説」の第2・第3の種類
「われわれを誤謬に陥れることなく、われわれ自身の思惟を固定させるのに有用な道具」
「定義や規約」
理論的研究の具体例(難波・伊藤・ユールの理論)
「こういうふうに考えるとよいのではないか」という提案を(その考えかたを実際に使ってみせることも含めて)やっている。
概念の簡単な特徴づけ
日常で使われる素朴な理論
理論的研究のうれしさ
文化の理論的研究がやっていること
難波・伊藤・ユールらがやっていることを一言でいえば、ようするに特定の文化に関わる事柄(作品、現象、それらの歴史、etc.)をよりよく説明・理解(あるいは分析)するために、物事のとらえかたのパターン=型を提案しているということである。
この「物事のとらえかたのパターン」は、難しく言えば「概念」という。
理論的研究は、まったく新しい概念を提案することもあれば、既存の概念を批判したり部分的に修正したりすることもある。
概念の特徴づけ
概念とは、大まかに言えば、〈何らかの特徴によって複数の事柄をグルーピング(カテゴライズ)して把握するための心のかまえ〉みたいなものだとひとまず考えてよい(この特徴づけは厳密ではないが)。
何かと何かをグループとして区別すること(難しく言うと「分節化」)は、概念のはたらきの典型である。
たとえば、色の区別、血液型、性別、etc.
個別的特徴を備えた多様な事物をある一定の特徴にのみ注目して(つまりそれ以外の特徴は無視して)ひとまとめにすることは「一般化」や「抽象化」と言うが、これも概念のはたらきである。
猫、大学生、京大生、ケーキ、スマートフォン、地雷系、etc.
概念と言葉
概念は、言葉そのものではないが、たいていは個々の概念には何か決まった言葉(単語や語句)が割り当てられており、ふつうはそのおかげでコミュニケーションができる。
色の名前など。
ついでに言うと、「概念と言葉は別々の事柄である」というしかたで物事をとらえることもまた概念のはたらきである。
文化の研究において概念と言葉を区別することの重要さについては、別の回にまた取り上げる。ひとまずはあまり考えなくてよい。
理論と概念
少なくともこの授業で扱う意味での理論は、〈組織立った(organizedな)概念の集まり〉くらいに言い換えてよい。
「組織立った」は、個々の概念がばらばらにあるのではなくて互いに(何か有意義なかたちで)結びついているということ。
概念の数がより多く、かつそれらの組織化の度合いが高ければ高いほど、その理論は「体系化」されていると言ってもいいかもしれない。
日常生活上の理論
この意味での概念や理論は、研究の中でだけ使われるものではない。わたしたちは、日々の生活の中で、多かれ少なかれ〈組織立った概念群〉を使って認識したりコミュニケーションしたりしている。
ただし、日常的な概念の多くは、分節化が雑だったり(だいぶ違う性格の事柄をいっしょくたにしていたり、逆に同じようなものをなぜか区別していたり)、不明確だったり(適用条件があやふやだったり)、組織化が不十分だったり(概念間の関係がはっきりしていなかったり)する。
そういう日常で使われる素朴な理論は、研究者が作るタイプの理論と対比して「民間理論(folk theory)」と呼ばれることがある。
民間理論と自然科学の対立の例
たぬき・むじな事件(1924年)
民間理論の分節化と生物学上の分節化が食い違っているという状況のもとで、ある行為の法律上の扱いをどう考えればいいのかが問題になったケース。
経緯
狩猟法によって一定期間中にタヌキその他を捕獲することが禁じられた。
ある猟師がその期間中にムジナを捕まえた。
生物学的にタヌキ=ムジナなので猟師が逮捕された。
猟師は「うちの地方ではタヌキとムジナは別物である。私はタヌキは捕まえていない。ゆえに無罪である」と主張した。
一審・控訴審では有罪になったが、大審院判決で最終的に無罪になった。判決では、タヌキ=ムジナという生物学上の分類は認めつつ、その同一視が十分に一般的な認識ではないとして猟師の故意責任が否定された。
メンタルヘルス関係の民間理論
HSP概念への批判
HSP(highly sensitive person)は、「感受性が高い(それゆえにいろいろなしんどさがある)人」くらいの意味で使われている民間概念(もともとは心理学の論文で提唱された概念らしいが、曲解されて広まっているらしい)。
たとえば各種の発達障害やパーソナリティ障害などは精神医学上で認められた概念であり、DSM(精神障害の診断と統計マニュアル)に記載されているが、HSPは認められていない。
メンタルヘルスに関する民間概念は、人々の「正しい」自己理解・他者理解の妨げになり、ひいては治療の妨げになりえるという批判がある。
ただし、DSMに記載されているような精神障害も概念によるカテゴライゼーションという点ではHSPと同じである点に注意。違いは(もしあるとすれば)その概念を使うことの有効さ・有益さ・体系性の程度といった点にある。
理論的研究をしてどんないいことがあるのか
理論と解像度
一般的に言えることとしては、基本的には研究上の理論を知ったほうが、日常的なものの見かたよりも解像度がはるかに上がるという傾向はある。ようするに、事柄をより細やかでクリアに見れるようになる。
とはいえ、何かについての解像度を上げることが「役立つ」と感じるかどうか、「うれしい」かどうかは人によるだろうし、その対象への興味関心の度合いによっても大きく変わると思われる。
最終的には、文化の研究におけるいろいろな理論や概念にそれぞれどんなうれしさがあるのか(あるいはないのか)は、個々人で判断してもらうしかない。
この先の授業を聞く上で一番大事なこと
理論(あるいはその構成要素である個々の概念)は、ひとつのものの見かた、ひとつの道具でしかない。
それをまるまる信じて使うのも、自分の目的に沿わない(あるいは単純に理解できない)という理由で否定するのも、理論がなんであるかについて勘違いしている。
ちゃんとした研究分野内である程度認められている理論や概念はそれなりの検討と批判を経て生き残っているはずなので、それは尊重したほうがよいが、別に絶対的なものでもなんでもない。
自分の目的にとって使えそうなら吟味しながら使う、不十分に思えるなら少し改変する、使えなさそうならひとまず無視する、というのが、文化の研究をするうえでの無理のない理論との付き合いかたである。
リアクションペーパーの提出
毎回の授業後に、Googleフォームを通してその回の授業についてのコメントを提出していただきます。
GoogleフォームのURLは、授業後にPandAの「お知らせ」で共有します。
提出の締め切りは、同じ週の木曜日の夜になる予定です。
提出実績およびコメント内容は、成績評価に使います。
いただいたコメントは、名前を伏せたかたちで次回授業で紹介することがあります。
コメント内容と成績評価
コメントの内容は、その回の授業を聞いて自分で考えたことや疑問に思ったことを軽く書いていただければ、それで成績上は問題ありません。
白紙や授業に関係のないことしか書かれていない場合は、不提出と同じ扱いにします。また、ろくに授業を聞いてないっぽい(あるいはまるで理解してないっぽい)コメントの場合は減点します。
追記:Scrapboxの「第2回のコメントと応答」の注意①もよく読んでください。
その他質問があれば書いてください。答えたほうがよさそうな場合は次の回に答えます。
来週について
GWですが、5/1は授業する予定です。
スライド最後