系共通科目(メディア文化学)講義A
月曜4限/第4回
松永伸司
2023.05.08
美学で伝統的に論じられてきた「美的判断/美的性質/美的述語」という概念を理解する。
インターネット上で近年さかんに使われている “aesthetic” という概念を理解する。
美的性質やそのパターンを対象にした研究の方法について考える。
1. 概念を使えるようになること
2. 美的判断/美的性質/美的述語
3. インターネット文化のaesthetic
「概念を理解する」とはどういうことか
「概念を理解する」とは?
「明確な定義がないと新しい概念を理解できない」といった趣旨のコメントがいくつかあったので、「概念を理解する」とはそもそもどういうことなのかについて以下で少し説明しておきます。説教くさい内容です。
先にポイントを書いておきます。以下の2点です。
「ある概念を理解すること」とは「あるカテゴライゼーションの型を使えること」であり、それができるようになるために必ずしも定義は必要ない。
概念も道具の一種である以上、これまで自分が使っていなかった概念(ものの見かたの型)が最初は扱いづらく思えるのは当たり前である。
概念とはなんだ
第2回のスライドから再掲
「物事のとらえかたのパターン」は、難しく言えば「概念」という。
概念とは、大まかに言えば、〈何らかの特徴によって複数の事柄をグルーピング(カテゴライズ)して把握するための心のかまえ〉みたいなものだとひとまず考えてよい。
何かと何かをグループとして区別すること(難しく言うと「分節化」)は、概念のはたらきの典型である。
概念を理解すること
「ある概念を理解すること」とは、ようするに「あるカテゴライゼーションの型を使えること」であり、それができるようになるために必ずしも定義は必要ない。
そのことは、自分がふだん使っている日常的な概念のそれぞれを、自分がどのようにして習得したかを考えてみればわかるはずである。
いま自分が使えている概念の中には、明確な定義を通じて習得したものもあるだろうが(初等・中等教育を受ける中で習得した概念の一部はそうかもしれない)、そうでないもののほうが圧倒的に多いだろう。
例示と特徴づけの役割
新しい概念の理解は、事例(その概念の典型的な適用の例)をいくつか見て、そこに何らかのパターンを見いだすことによって十分可能である。
そのパターンは、ある程度言語化できる場合もあればそうでない場合もある。
例示に加えて、簡単な特徴づけ(「だいたいこんなもんだよ」)があると、さらに理解しやすくなるだろう。
例示も簡単な特徴づけも、その概念の使用法についての決定的な正解(もし正解などというものがあるとすれば)を与えてくれるものではないが、概念を使えるようになるためのガイドには十分なる。
※ とはいえ、下手な例示や特徴づけだと、よけいに混乱してしまうかもしれない。おそらく前回の授業での「表象」や「表出」の例示・特徴づけが下手だったせいで、よくわからないという反応を複数いただいたのだと思われる。申し訳ないです。
理論的概念をめぐる定義論
テクニカルタームの中には、明確な定義(規約的定義)によって導入されるものもよくあるが、定義ぬきに理解しなければならないタイプのものも少なくない。
前回の「表象」や「表出」は後者だし、今回の「美的性質」や「美的判断」もそうである。
前回は「表出」の定義論を紹介したが、見かたを変えれば、定義ぬきに型=パターンが把握されて使われている概念だからこそ、その定義(必要十分条件の明示)についての議論が生じうるのである(すでに規約的に定義されているなら、議論も何も生じようがない)。
新しい概念に接するときの心がまえ
概念も道具の一種である以上、これまで自分が使っていなかった概念(ものの見かたの型)が最初は扱いづらく思えるのは当たり前である。
逆に、新しい概念にすぐにピンときて理解できる場合は、同じようなカテゴライゼーションを自分がすでになんとなくやっていたということもあるかもしれない。
また、自分が使えない道具の便利さ/不便さを判断できないのと同じように、自分が理解していない概念の便利さ/不便さも判断できないだろう。
理論的概念にかぎらないが、新しいものの見かたを本当に習得しようと思うなら、安易に「定義」を求めるのではなく、ひとまず意識的にその見かたになじもうと努める態度が重要になる。
※ 余談:レスバですぐに定義定義と言うのは素人感が出る(あるいはまともにコミュニケーションをする気がないように見える)ので、相手を煽りたいのでなければやめましょう。意味がよくわからない言葉を相手が使っていてコミュニケーション不全を感じたなら、例示(およびもし可能なら簡単な特徴づけ)を求めつつ、だいたいこういう意味ですか?と聞いたりして確認するとよいです。
ためになりそうな文献
ウィトゲンシュタイン『哲学探究』鬼界訳、講談社、2020年
多彩な論点を含む哲学の古典だが、「家族的類似」という概念によって昔ながらの定義観(必要十分条件による線引き)への批判をしている箇所が有名。
家族的類似の話は65節あたりからしばらく続く。
ぜんぶ読もうとするとかなりしんどい本だが、その箇所くらいは大学生の基礎教養として全員読んでおいたほうがよい。
テイラー『認知言語学のための14章』辻他訳、紀伊国屋書店、2008年
1~4章がカテゴライゼーションとそれをどう説明するかの諸理論の話になっている。プロトタイプ理論の入門としてよい。
美学の概説
美的なもの
美的性質の共有可能性・伝達可能性
美学という分野について
今回扱う「美的性質」や「美的判断」という概念は、美学(aesthetics)という研究分野で伝統的に論じられてきたものである。
美学は「美・芸術・感性を対象にした哲学」であると言われることがよくあるが(佐々木『美学辞典』など)、そう言われたところでピンとこないかもしれない。
話の前提として、美学という分野の成り立ち・名称・対象について、最初に簡単に説明しておく(より詳しく知りたい場合は、杉山先生の授業をとるとよいでしょう)。
※ ちなみに、俗に「男の美学」などと言ったりする場合の「美学」は、「美意識」「美的な価値観」「美的なこだわり」くらいの意味であって、研究分野としての美学とは別物だと考えたほうがよい(無関係ではないが)。人間の生きかたや仕事のしかたについての思想やこだわりが俗に「哲学」と言われるのに近い。
美学の成り立ち(教科書的な内容)
18世紀半ばのライプニッツ=ヴォルフ学派の哲学者バウムガルテンが、それまできちんと論じられていなかった新しい領域として提唱した。
バウムガルテンの見解
人間の認識には、知性的な認識、つまり概念にもとづいて対象を把握するタイプの認識があるが、それとは別に、感性的な認識、つまり概念的な把握以前に感性にもとづいて対象を把握するタイプの認識もある。
明晰(clear)かつ判明な(distinct)認識
明晰(clear)だが渾然とした(confused)認識
美とは、感性的な認識の「完全性」にほかならない(「完全性」という概念はいろいろな前提がないと理解できないので説明省略)。
そういう感性的な認識やそのための能力を主題にして論じる新しい分野が必要である。
「美学」という名称について
バウムガルテンは、この新しい分野の名前として、“aesthetica”(ドイツ語 “Ästhetik”)がふさわしいと考えた。
言葉の由来はギリシア語で「感覚」を意味する “αἴσθησις” からだが、それをラテン語化して使ったのはバウムガルテンのオリジナルらしい。
英語の “aesthetics” やフランス語の “esthétique” は、“aesthetica” や ”Ästhetik” の訳。
日本語では通常「美学」と訳されるが、バウムガルテンの本来の趣旨を汲むなら「感性学」としたほうがよいという意見もよくある。
同様に、形容詞の “aesthetic” は通常「美的」と訳されるが、「感性的」としたほうがよいという意見もある。そのほか、文脈によっては「審美的」や「美感的」などと訳されることもある。
この授業では「美学」「美的」で通す。
美学と芸術の関係
「感性の学」としての美学の対象はいわゆる芸術にかぎらないが、美学は成立当初から芸術とかなり密接なつながりがあった。
バウムガルテンを批判的に引き継いで美学の議論を発展させたカント(『判断力批判』)は、むしろ自然美を美の模範的な例として取り上げたが、自然に注目するのは美学の歴史の中ではどちらかというと珍しい。
美学と芸術がセットになりがちな理由
感性を働かせる領域の典型が芸術(制作・鑑賞ともに)だった。
バウムガルテン自身も詩やその制作法を美学の主な対象として扱っていた。
現代のわたしたちが言う意味での「芸術」というカテゴリー自体が、バウムガルテンと同時代の18世紀半ばにおおむね成立したものだった(当時は“beaux arts”(美しい技術)などと呼ばれた)。ようするに、「知性だけでなく感性も大事」という発想と「科学技術だけでなく芸術も大事」という発想は、ともにその時代(啓蒙主義の時代)の要請であった。
美的なもの?
哲学上の言葉づかいとして、「美的なもの(the aesthetic)」という形容詞の名詞化がよく使われる(「美的な事柄」と訳してもいいかもしれない)。
美的判断、美的性質、美的経験、美的価値などは、いずれも美学で論じられてきた事柄だが、「美的なもの」は、これらの互いに関連する事柄をまとめて呼ぶための便宜上の言葉だと考えてよい。
倫理的・道徳的な事柄(善悪の判断、行為の正/不正、人格の有徳さのように、倫理学で論じられてきた事柄)との対比で使われることもよくある。
美的判断
何らかの事物(たとえば自然物や作品やパフォーマンス)について、それが感性的に把握される独特の質を備えていると判断することを、「美的判断(aesthetic judgment)」と言う。
美的判断は、価値づけ(美的な意味でのよしあしの判断)を伴うことが多いが、価値中立的なケースもある。
例(適当)
この花瓶はシュッとしていてエレガントだ。
このダンスには静謐さと強さの両方がある。
この楽曲は激しい中にもやさしさを備えている。
美的判断に正誤が言えるのかどうか、つまり、正しい美的判断と間違った美的判断の区別がありえるのかどうか(言えるとすればどのような意味でか)というのは、美学の古典的かつ最重要の問題のひとつだが、この問題はひとまず脇においておく。
美的性質と美的述語
美的判断において、当の事物が持つとされている質のことを「美的性質(aesthetic property)」という。
例:エレガントさ、シュッとしてる性、静謐さ、etc.
美的性質を名指す言葉のことを「美的述語(aesthetic predicate)」や「美的用語(aesthetic term)」と言う。
例:「エレガントである」「シュッとしてる」「静謐である」etc.
美的性質は「いわく言い難いもの(je-ne-sais-quoi)」であることが少なくないので、必ずしも美的述語が一意に割り当てられているわけではないし、比喩的な言いかたもよく使われる。とはいえ、典型的な美的述語(美的述語として使われることが非常に多い語)はそれなりにある。
余談:美について
美的性質のひとつとしての美
いわゆる美(beauty)は、美的性質の一種として考えることもできる。つまり、他のいろいろな美的性質(エレガントさ、けばけばしさ、かわいらしさ、ダイナミックさ、etc.)と並んで、それ自体として独特の性格を持った美的性質のひとつとして考えることができる。
純粋な美的価値としての美
「美しい(beautiful)」が性質を指す語としてではなく、純粋な価値づけ語として使われることもしばしばある。その場合の「美しい」は「美的によい」と同義語になる(「すばらしい(wonderful)」や「見事である(splendid)」といった言葉も、そういう純粋な価値語として使われることがよくある)。
この意味での美は、美的性質の一種というよりは美的価値そのもののことである。
「感性によって把握する」ってどういうこと?
美的性質は、とりあえず「感性によって把握される性質」とされるが、「感性によって把握される」がどういうことなのかは、まるではっきりしていない(今回は紹介しないが、美学上で専門的な議論はいろいろある)。
「感性」は、俗に「美的センス」などと言われる何らかの能力のことで、伝統的には「趣味(taste)」とも呼ばれてきたものだが(「趣味が悪い」という場合の「趣味」)、とはいえ、この「センス」がどんな能力なのか(仮に本当にそんな能力があるとして)についても、まるではっきりしていない。
結果として、ある事物が特定の美的性質を備えているとする主張には、その性質を知覚できない人からすれば、つねにある種のうさんくささが漂っているように見えるかもしれない。
美的性質は共有・伝達できるのか
「わかる人」のあいだで美的性質を共有したり伝達したりすることはできるが、その共有可能性・伝達可能性の度合いは、おそらくかなり限定的である(少なくとも色知覚や形状知覚を人と共有したり人に伝えたりできる度合いよりはだいぶ狭い)。
とはいえ、まったく共有・伝達できないものというわけでもない点に注意しよう。
具体例で考えてみる:
美的なものを扱う文化研究
美的性質の本性が何であれ、またそのような性質が「実在」するかどうかはともかく、わたしたちが美的述語を駆使しながら自分の美的判断を人に伝えたり人と共有したりしている(ように見える)のは、事実である。
多くのカルチャーには、そのような「美的判断の実践」と呼べるような営みが見いだせる。
それゆえ、文化研究のひとつの方向として、美的判断や、そこで事物に帰属される美的性質や、それを指す美的述語を取り上げて論じるタイプの研究が考えられる。
とはいえ、どのようにすれば、共有や伝達が難しい美的性質やそれについての判断を研究対象として扱えるのか。この点に方法論上の問題がある。
美学全般の入門書
佐々木『美学辞典』東京大学出版会、1995年
定番の教科書。美学には、美的なもの以外にもいろいろな論点があることがわかる。
初見でひとりで読むと難しくてしんどいと思うが、可能であれば、わからないところを詳しい人に補足してもらいながら読むのをおすすめする。
この本を苦労なく読めるようになれば、美学に入門できたということでいいと思う。
小田部『西洋美学史』東京大学出版会、2009年
歴史的な流れを知りたければ、この本をおすすめする。
リンク先の「pdf版」「word版」のところからファイルを落とせる。
現代の分析美学の諸論点とそれぞれの論点についての日本語文献を知りたければ、ひとまずここから確認するとよい。
本格的に分析美学を勉強するには、英語文献を読む必要がある。
美的なものについての本
源河『「美味しい」とは何か』中央公論新社、2022年
分析美学のとくに美的なものをめぐる諸論点が、食べものの評価という独特の視点からコンパクトに読みやすくまとめられている。
美的なものに関心を持ったら最初に読む本としておすすめ。
源河『悲しい曲の何が悲しいのか』慶應義塾大学出版会、2019年
よりつっこんだ内容が知りたければ、この本の2~3章が美的判断や美的性質の話(とくにその「客観性」をめぐる議論)になっているのでおすすめ。
ステッカー『分析美学入門』森訳、勁草書房、2013年
3~4章が美的なものについて扱っている。
けっこうしんどいと思うので、最初に読む本としてはおすすめしない。
シブリー「美的概念」吉成訳、西村編・監訳『分析美学基本論文集』勁草書房、2015年
フランク・シブリーは、分析美学の中で美的なものの特徴づけを積極的に論じ続けた哲学者。「美的概念」はその初期の代表的論文で、美的なものがだいたいどんなものかを理解するのに最適。この話題に関心があるなら一読をおすすめする。
邦訳があるのはいまのところこの論文のみだが、論文集の翻訳が目下進んでいる(松永も一部担当)。おそらく今年度中に出版されるはず。
ネットスラングとしての ”aesthetic”
美的性質のパターンについてどう研究するか
“aesthetic”の現代的な用法
現代(おそらく2010年代以降)の英語使用圏のインターネット上で、“aesthetic” という語が独特の意味合いをもったスラングとして使われることがよくある。
本来この語は形容詞だが、この現代的な用法では名詞として使われるのが一般的であり、単数だと “an aesthetic”、複数だと “aesthetics” となる。
ある種の感嘆符として使われることもある。
いつごろから定着した言葉づかいなのかははっきりしないが、vaporwave的なグラフィックの独特の質感を指す際に “aesthetic”(全角で表記するのがポイント)という言いかたが使われ出したあたりから、とくに広まった印象がある。
Know Your Memeの “aesthetic” の項目に、この用法が広まった経緯についての一説を含めた概要が書かれている。
Wikipedia英語版では、“Internet aesthetic” という見出しでこの用法が扱われている。
vaporwave
vaporwaveは、2010年代以降に、インターネット上の音楽プラットフォーム(Bandcamp、SoundCloud、YouTubeなど)を舞台にして広がったインディー音楽のジャンル。音楽そのものだけでなく、それと組み合わせられる独特なアートワーク(グラフィック)も “vaporwave” と呼ばれることが多い。
futurefunkをはじめ、多くの派生ジャンルを生み出した。
西側諸国の1980~90年代前半くらい(日本で言えばバブル期)の商業主義的で軽薄なカルチャーや当時の技術的状況(いまから見ればローテク)へのノスタルジーを、しばしばコミカルな(あるいは揶揄的な)ニュアンス込みで喚起させることを主な特徴とする。
音楽制作の手法としては、サンプリングした音源に遅回し(chopped and screwed)やピッチ下げやリバーブなどの効果を強くかけて、あえてローファイでこもった音にしたものが多い。
グラフィックについては、とりわけ日本的なモチーフ(文字の使いかたから映像の素材にいたるまで)が取り入れられることが多い。
vaporwaveのaesthetic
vaporwaveの古典的な例
Macintosh Plus, “リサフランク420 / 現代のコンピュー”(2011)
Saint Pepsi, “Private Caller” に動画をつけたもの(2013)
vaporwave的なグラフィック
Google検索 vaporwave artwork
こういう感じ・雰囲気・質感・テイストが、vaporwaveの “aesthetic” と呼ばれる。
この意味でのaestheticは、感性によって把握される質だという点で、先に示した美的性質の一種だと考えてよい。
Aesthetic Wiki
Aesthetic Wikiというウェブサイトは、この意味でのaestheticを大量に収集・リスト化し、それぞれのaestheticについて具体例つきで特徴の説明をしている。
Aesthetic Wiki, “List of Aesthetic”
リストに挙げられているのは、現代のaestheticが大半だが、20世紀よりも前の美術様式など(たとえば「バロック」「印象派」「アールデコ」など)も含められている。日本発のものも少なくない。
基本的にどれもビジュアルのaestheticだが、ジャンルは、絵・写真、映画、ファッション、アニメーション・マンガ、グッズ、音楽、文学など多岐にわたる。
サイト内の記述によると、こうしたaestheticの分類と名づけの実践の成立に大きく寄与したのは、2010年代前半のTumblrにおける画像のタグづけ文化だという(よりあとの時代だと、InstagramやPinterestが同種の役割を担うことになると思われる)。
美的性質のパターンとしてのaesthetic
Aesthetic Wikiに挙げられている個々のaestheticは、ひとつのパターン=型として特徴づけられ、それぞれに名前(タグになるもの)がつけられている。
aestheticの名前としては、“-core” や “-punk” といった接尾辞がよく使われる。これらは日本語の「~系」という言いかたに近い。
あるaestheticから、さらに別のaestheticが派生するということもよくある。
例:“cottagecore” から “cottagegore” への派生
いずれのaestheticも美的性質と言ってよいものだが、それらは、その文化に参加する人々にとって、名づけられたパターンとして認識されている(いわば概念化されている)という点が重要である。
美術史上の様式や音楽のサブジャンルなども美的性質のパターンだが、それと同じことがインターネット文化のaestheticにも言える。
美的性質のパターンを論じる研究?
個々の事物(たとえば個々の作品)の美的性質についてあれこれ言うのは、研究というより、批評あるいはレビュー以上のことにはなりづらい。
それはラーメンブロガーがやっていることと実質的に変わらない(「作品論」という名のもとにそういうのが研究として認められる分野もあるが)。
一方で、たとえばある特定の文化について、美的性質の主流のパターンの歴史的変遷の流れを追うとか、その流れの中に個々の事物を位置づけるといったことをすれば、十分に文化史の研究と言えそう。
実際、美術史学において「様式論」と呼ばれてきたアプローチの研究の一部は、そういうことをやっている。
続き
とはいえ、ここでもまた、美的性質のパターン、つまり感性によって把握されるパターンがあることをどのように人に伝え、その変遷を説得的に論じることができるのかという方法論上の問題が出てくる。
この問題に対しては、次回授業でこうすればいいのではないか(あるいはすでにこういうやりかたで研究が行われているのではないか)という応答の案をいくつか示す予定だが、何か思いついたことがあれば、今回分のリアクションペーパーに書いてください(何かあれば書いてくださいくらいのことで、課題ではないです)。
スライド最後