系共通科目(メディア文化学)講義A
月曜4限/第5回
松永伸司
2023.05.15
美的性質を人に伝える方法について考える。
作品や表現それ自体が持つパターン(型)に注目して文化の歴史を研究する方法について考える。
美術史学での「様式」という概念を大まかに理解する。
1. 美的性質の伝えかた
2. パターンと様式
美的性質をわかってもらうことの何が難しいのか
シブリーが挙げる美的性質を伝える方法
美的性質は共有・伝達できるのか(前回のスライドから)
「わかる人」のあいだで美的性質を共有したり伝達したりすることはできるが、その共有可能性・伝達可能性の度合いは、おそらくかなり限定的である(少なくとも色知覚や形状知覚を人と共有したり人に伝えたりできる度合いよりはだいぶ狭い)。
とはいえ、まったく共有・伝達できないものというわけでもない点に注意しよう。
具体例で考えてみる:
美的性質やそのパターンを研究することのハードル(前回のスライドの複数箇所から)
どのようにすれば、共有や伝達が難しい美的性質やそれについての判断を研究対象として扱えるのか。
〔…〕たとえばある特定の文化について、美的性質の主流のパターンの歴史的変遷の流れを追うとか、その流れの中に個々の事物を位置づけるといったことをすれば、十分に文化史の研究と言えそう。
実際、美術史学において「様式論」と呼ばれてきたアプローチの研究の一部は、そういうことをやっている。
とはいえ、〔…〕美的性質のパターン、つまり感性によって把握されるパターンがあることをどのように人に伝え、その変遷を説得的に論じることができるのかという方法論上の問題が出てくる。
どの点に研究上の難しさがあるのか
研究対象となる事物が特定の美的性質を確かに備えていることや、それがどんな性質であるかを、ただ強弁するのではなく、読み手(卒論であれば指導教員、査読論文であれば査読者、講演であれば聴衆)に説得的に伝えなければならない。
しかし、それを言葉で説明するのは極端に難しい。
例としては、マリメッコのケースなどを想定するとよい。
「マリメッコのグラフィックは昭和の家電の花柄に似ていて野暮ったい」と述べる人に対して、「両者はかなり異なる美的性質を持つ」ということをどのように説得的に伝えることができるのか。
美的性質は非条件支配的である
美学者のフランク・シブリーは、美的性質が一般に持つこの「明確に説明できない」という特徴を、「非条件支配的(not condition governed)」という言いかたで説明している。
ここでの「条件」は概念の適用条件(これこれの条件を満たしていればこれこれであると言える条件)のこと。
それゆえ「美的性質は非条件支配的である」は、「ある事物が特定の美的性質を備えているという判断は、その事物がこれこれの条件(たとえば特定の色や形)を備えているから、というやりかたでは正当化できない」と言い換えることができる。
わかりやすく言えば、美的判断には一般化できるような基準などないということ(この主張自体は、シブリーにかぎらず美的判断について伝統的に言われてきたことである)。
余談:民間美学としての黄金比
黄金比や白銀比は、ポジティブな価値を持つ美的性質(典型的には美しさ)の普遍的な「基準」のひとつとして俗に持ち出されることがあるが、本当にそういう何らかの比率に従っていればいい感じのものができるのであれば、アーティストやグラフィックデザイナーは苦労しなくていいし、その専門性も必要ない。
美的判断の実践(アーティストやデザイナーの制作を含む)を少しでも観察してみれば、黄金比と美を無条件に関係づける物言いがまるで的外れであることはわかる(何らかのガイドとして参考になるくらいのことはあるかもしれないが(それすらもあやしいが)仮にそうだとしても使える文脈はかなり限られるだろう)。
「美的性質を伝える」とはどういうことか
シブリーによれば、美的性質を人に伝えるということは、自分が知覚しているその性質を、相手も同じように知覚できるように仕向ける(そしてそれを首尾よく成功させる)ということである。
相手もその美的性質を知覚できれば、その事物がその美的性質を持つということが(少なくともその二者のあいだで)共有され、そのかぎりでその美的判断が正当化されることになる。
シブリーは、こういうやりかたでの判断の正当化を「知覚的証明」と呼んでいる。
知覚的証明は、色判断の正当化などでも使われることがある。
ちなみに、倫理的判断(「嘘をつくことは悪い」「暴力行為はよくない」など)を正当化する場合は、そういう方法にはまずならない。倫理的判断の正当化では、より一般的な規範命題(ようするに善悪を判断するための基準)を前提として持ち出し、その論理的帰結として当の判断が導かれることを示すのが基本である。
美的性質を伝えるための方法
シブリーは、美的性質を人に伝える方法、つまり、自分が知覚しているその性質を相手も同じように知覚できるように仕向ける方法を7つ挙げている(注意:これらの方法はとりあえずぱっと考えつくものを挙げてみたというくらいのもので、網羅性も相互排他性もとくに意図されていないと思われる)。
①美的性質を支える非美的な特徴に言及する。
例:「この部分のこの曲線のフォルムをよく見てください」
②伝えたい美的性質そのものに言及する。
例:「この花瓶シュッとしてるでしょ!」
③美的性質と非美的特徴を結びつけて言及する。
例:「この曲線のフォルムのおかげでシュッとしてるでしょ!」
続き
④直喩や隠喩を使う。
例:「まるでサラブレッドの立ち姿のようだ」
⑤他の事物(想像上の事例を含む)と比較・対照する。
例:「あそこにある別の花瓶と見比べてみてください」
⑥繰り返し見せ、パターンを学習するようにうながす。
例:「シュッとしてるってのはたとえばこういう感じのやつだよ!」
⑦言葉に加えて、声の調子、表情、身振り手振りなどを使う。
例:シュッとしてる性をうまく伝えられそうな表情やジェスチャーをする。
論文や口頭発表で使える方法
知覚的証明の前提として、いずれも当の伝えたい美的性質を持つ事物を、まず相手に見せる(音楽の場合であれば聴かせる、食べ物の場合であれば味わわせる)必要がある。
論文であれば図版を使う、口頭発表であればスライドで見せるとかその場で音を流す、といったことになるだろう。
そのうえで、シブリーが挙げている方法をいろいろ使いながら説明することで、自分が伝えたい美的性質を読み手/聴衆が知覚できるように仕向けることができる(もちろんうまくいくとは限らない)。
①②③④⑤の方法は論文でも使えるし、口頭発表なら加えて⑦の方法も使える(研究では④はあまりおすすめできないが、場合によっては効果的なこともあるかもしれない)。
※ 難しい話だが、読み手や聴衆に見せるのは必ずしもオリジナルの現物である必要はないし、現実的に無理なことも多い。たとえば、絵画作品の美的性質を伝えたい場合、ある程度まではその作品の写真で済む面はあるだろう(不十分な面も当然あるが)。このへんは伝えたい美的性質がどんなものなのかにもよる。
余談:読み手/聞き手の態度
著者や発表者が美的性質を伝えようとして知覚的証明のためのいろいろな方法を使っている場合、読み手や聞き手のとるべき態度は、言われている美的性質を知覚しようと努めることである(チャリタブルリーディングの一種)。
説明されても当の美的性質が知覚できない(ピンとこない)こともあるかもしれない。それは著者/発表者の説明が下手なせいかもしれないし、知識や素養も含めて当の美的性質を知覚する能力が読み手/聞き手に不足しているせいかもしれないが、どちらにしても「ただのあなたの印象では?」「研究なのに主観的な経験を語られても困るんですが?」みたいな反応をするのは、最悪の態度だと思ったほうがよい。
もちろん、著者/発表者が伝えようとしている美的性質を、他の人々(たとえば作者自身や作品が作られた当時の人々)も同様に知覚している(していた)かどうかは別の問題である。それらは知覚的証明とはまた別の方法で正当化する必要がある。
非条件支配性と知覚的証明について
シブリー「美的概念」吉成訳、西村編・監訳『分析美学基本論文集』勁草書房、2015年
フランク・シブリーは、分析美学の中で美的なものの特徴づけを積極的に論じ続けた哲学者。「美的概念」はその初期の代表的論文で、美的なものがだいたいどんなものかを理解するのに最適。この話題に関心があるなら一読をおすすめする。
今回紹介した7つの方法は、論文の後半パートにある。
源河「美的性質と知覚的証明」『科学哲学』47巻2号(2014年) https://doi.org/10.4216/jpssj.47.87
ピンポイントでこの話題を扱っている論文。
内容は難しいかもしれないが、オンラインで手軽に読めるのでおすすめ。
「様式」の概念
パターンの観点からの文化史研究
様式史研究
どの芸術分野であれ、一定の作品群・アイテム群に共通して見てとれる特徴的なパターン(=型)の歴史的な変化を追っていく研究は昔からある。
そういう研究を指す決まった名称はないが、美術史学の言葉づかいにならって「様式史」と呼んでおく。
絵画であれ建築であれ音楽であれ映画であれ、芸術史の教科書は、様式史的な記述がおそらく多くの部分を占めている。
そのパターンは、同じ作者や流派の作品群に共通のものである場合もあれば、より広く同じ地域・時代に共通のものの場合もある。あるいは、技術や技法にパターンが結びついていることもあるだろう。
こうしたパターンは、一般に「様式(style)」と呼ばれる。
※ 様式は、その独特の特徴を生み出す背景になった何らかの心理的な実体(個人の性格特性や「民族性」や「時代精神」など)に結びつけられることも多いが、この点はひとまずスルーしてよい。社会反映論を扱う回で批判的に取り上げる予定。
美術史における様式
様式と呼ばれるものの中には、美的性質のパターンも含まれるが、美的でない性質のパターンも含まれる(技法上の特徴がそのまま美的性質に直結しているなど、両者が切り離しづらいことも多い)。
例
仏像における定朝様や慶派様式
建築におけるゴシック様式(とくにロマネスクとの対比)
ヴェルフリンによるルネサンスとバロックの5つの対比
etc.
現代文化における様式
このような意味での様式(=一定のアイテム群に共通して見てとれる特徴的なパターン)は、現代のいろいろなカルチャーにも見られる(美術史学その他の芸術学で扱われることがほぼないおかげで、それらが「様式」と呼ばれることはいまのところほとんどないが)。
例
前回の授業で紹介した諸々のaesthetic
2000年代の日本のファッションにおける「赤文字系/青文字系」
ドット絵における「8bit / 16bit」
ポピュラー音楽のあらゆるサブジャンル
etc.
いわゆるジャンル(サブジャンル)は、基本的には複数のパターンの集まりとして同定されるものだと考えてよい。
様式史研究の方法
そういうわけで、様式史研究、つまり一定の作品群・アイテム群に共通して見てとれる特徴的なパターンの観点からの文化史研究は、いわゆる「芸術」だけでなく、およそその種のパターンとその歴史的変化が見られるあらゆる領域を対象にしうるように思われる。
とはいえ、パターンの歴史は具体的にどのような方法で研究すればよいのか。とりわけそれが美的性質のパターンである場合には、どうすればよいのか。
いくつかの考えられる方法(相互排他的・網羅的であることは意図していない)
(a) 研究者自身が大量の作品群・アイテム群を実際に確かめ、そこにパターンを見いだして記述していく。論文や発表では、読み手/聞き手にそのパターンが十分に伝わるように工夫する。
難点:それ単独では、論者自身の見解以上のものではない。また、とくに美的性質のパターンの場合は、論者が「目利き(connoisseur)」であるかどうかで結果が大きく左右される。
とはいえ、チャリタブルな読み手/聞き手がその見解に説得されるかどうか、後続の研究者(同じく大量のアイテム群を確かめる人)が同意するかどうか、といった反応も含めれば、研究コミュニティ全体として一定の正当化の作業が行われることになる。
実際、これまでの様式史の多くは、この方法でなされてきたと思われる(おそらく、かつての美術史学が「目利きの学問」と言われてきたゆえんでもある)。
続き
(b) そのパターンに言及している受容者や制作者の語りをピックアップし、そうしたパターンに意識を向ける文化的実践が実際にあったことを示す。
難点:
受容者や制作者が実際に意識していたパターン以上のことは言えない。結果として、数世代にわたるような大きなスケールの文化史のストーリーは作りづらい。
留意点:
そこで語られているパターンがどんなものであるかは、結局(a)の方法と同様に研究者が自分自身で認識し、それを読み手や聞き手に伝える努力をしなければならない。
また、もしその語りに同時代的な認識を代表させたい場合は、それが支配的な言説だったのかどうかを別途検討する必要がある。
続き
(c) 機械学習によって何らかのパターンを導く。
難点:
機械可読なデータのフォーマット(たとえばデジタル画像)に落とし込めるアイテム群に対象がかぎられる。
逆に言えば、最初からデジタル画像としてあるインターネットのaestheticの分析とは相性がいいかもしれない。
文化史的に取り上げる意義のあるパターンが出てくるかどうかは、まったく保証されない。結局のところ、出てきたパターンが重要かどうかを判断するのは研究者自身である。
とはいえ、明らかに作業量の節約にはなりえる。
様式から何かを推測する
様式史研究は、パターンやその変遷を記述して終わりというよりは、それを根拠としてさらに何かを論じる(推測する)こともよくある。
パターンから推測されがちな事柄の例
制作者・制作年代・制作地域
当のパターンやその変遷の原因
当時の制作上の約束事
当時の受容者のニーズや流行
制作者や受容者集団(あるいは当時の社会全体)の心理的な傾向
etc.
こうした方向の研究とその注意点については、別の回にまた取り上げる。
ビデオゲームの様式史
ゲーム研究者のイェスパー・ユールは、「デザインパターン」とその変遷という観点からビデオゲームの歴史を論じる方法を提案している。
Juul, “Sailing the Endless River of Games: The Case for Historical Design Patterns”(2016)
細かい話は以下のスライド資料を参照。
ユール自身は、とくにタイルマッチングゲーム(いわゆる落ち物パズル、マッチスリーなど)というゲームジャンルの歴史をこの方法で論じている。
ユールが提唱している方法は、ここまで説明してきた様式史の方法にかなり近いものだと思われる。
入門
シャピロ/ゴンブリッチ『様式』中央公論美術出版、1997年
マイヤー・シャピロとエルンスト・ゴンブリッチは、いずれも20世紀の芸術学の大家。この本は、それぞれによる様式概念の解説(どちらも事典の項目)を収録したもの。
訳は読みづらいが、内容は非常によい。
松永「様式とは何か」9bit、2020年
様式概念のポイントをまとめたブログ記事。
様式概念について本格的に勉強したいなら、この記事で挙げられている文献をいろいろ読むところから入るとよい。
伊藤他「〈討論〉芸術の様式について」『美学美術史論集』10号、1995年
最近見つけたもの。
複数の人が持論を展開していてまとまりがない上に抽象度が低い(概念整理が下手な)話が多いが、「様式」という語が諸芸術学の中でどういう使われ方をしているかの雰囲気をつかむにはおすすめ。
古典
ヴェルフリン『美術史の基礎概念』海津訳、慶應義塾大学出版会、2000年
美術史学の様式論の古典中の古典。かなりしんどい本だが、美学美術史を勉強するなら、最初のほうだけでもいいので、一度は目を通しておいたほうがよい。
その他
Jesper Juul, “Sailing the Endless River of Games: The Case for Historical Design Patterns,” The First International Joint Conference of DiGRA and FDG 2016, Dundee (2016).
「デザインパターン」の観点からのビデオゲーム史の試み。
論文の中で具体的に論じられるのはタイルマッチングパズルの歴史のみだが、それを通してより一般的な研究方法が提案されている。ビデオゲームの歴史だけでなく、現代文化の様式史研究全般に当てはまる話としても読めるだろう。
英語だが、とくに難しい文章ではないし、ウェブテキストなのでDeepLなどにそのまま投げてもよい。個人的に全訳を作ってあるので、そのうちどこかで公開するかもしれない。
来週(5/22)は休講です。
スライド最後