メディア文化学特殊講義/美学美術史学特殊講義
月曜4限/第10回
松永伸司
2022.07.04
1. 質問への回答など
2. 美術史の様式論
3. デザインパターンの歴史
コメントの紹介と回答
今回の授業で興味深かったのが、多くの芸術分野とは違い、ビデオゲーム文化では、リアリズムの追及が未だに行われているということである。絵画におけるリアリズムの追及は、写真の登場によって失効したと考えられるが、ビデオゲームがある種、動画に近い要素を持っており、没入感を重視するという考えがあるということから、このような状況につながっていると思われる。
「没入感がある」と「リアリスティックである」は、少なくともこの種の文脈だとほぼ同義だと思われるので、「ビデオゲーム文化では没入感が重視されているのでリアリズム志向がある」というのは説明としてあまり情報量がないように思えます。循環にならないように「没入感」の内実を別の言い方で考えてみてください。
芸術運動におけるリアリズムと授業で扱うリアリズムの違いがよくわかりませんでした。
前者はどのような主題を選択するかのレベル、後者はそれをどのようにあらわすかのレベルという違いです。ビデオゲームの3つのリアリズムのうち、「フィクションのリアリズム」と呼んでいるものは前者に近いです。
【以下一般的な話】
定義や特徴づけを与えられているにもかかわらず、「概念Aと概念Bに違いがないように思える」という場合には、以下に示すテストをしてみてください。集合の話なので、ベン図などで考えるとよいです。
全体 👉 https://scrapbox.io/pikopiko2022/%E7%AC%AC9%E5%9B%9E%E3%81%AEQ&A
今年2月にポケモンの新作映像が発表された際、主人公のグラフィックに対して(少なくとも一部からは)評判が良くなかった。新作の主人公は、従来の作品に比べて見た目が幼い、目の大きさなどがより実際の人間に近いなどの特徴があり、設定上のフィクション内容に対して従来よりリアリスティックであるといえる。このようなケースは、従来のようなグラフィックの主人公や、ユーザ側が想像していた姿に対してリアリスティックでないと捉えられるのか、リアリズムが重視されない対象であったといえるのか、どちらなのだろうか(それとも言葉の定義の問題に過ぎないのか)。
少なくとも2つ解釈がありえると思います。
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画像のリアリズムの正確さの話で「対象が判断者が標準的に想定するもの」によるので、リアリズムというのは普遍的とはいえないのではと思った。〔…〕画像のリアリズムというのは、非常に曖昧で定義困難なものなのではないかとぼんやりと思った。
前回も前々回も言いましたが〔…〕個別事例をどう考えるかについては作品解釈の問題なので人によって見解が違うこともあるでしょうし、実際には「人によって違う」と言ってもたいていは一定の解釈共同体の中で一定の合意が得られるのがふつうだと思います。いずれにしても、個別の事例についての判断が人によって違いうる(そして判断が人によって違う度合もケースごとに違いうる)こと自体は論じるまでもなく自明〔…〕
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〔…〕グラフィックの正確さとは人によって評価が異なって然るべき項目なのだろうか?それならば、同じゲームでも人によってリアリズムの評価は幅が生まれることになるだろうがそれで良いのだろうか?
ゲームのグラフィックのリアリズムについて、「想定された姿」と描かれた姿との距離の近さによって正確さを判定するということにスライドによればなる。だとすれば、例えばマリオだと6,7頭身くらいの「(一般的な画像として)リアリスティック」なマリオの絵よりも実際のゲームのマリオのほうが(ゲームグラフィックとして)リアリスティックということになるのだろうか。つまり、グラフィックとしてのリアリズムと画像としてのリアリズムとは完全に異なると考えるべきなのだろうか。〔…〕
画像一般でも同じ話です。〔…〕どういう姿が想定されるかはケースごと・人ごとにいろいろでしょうし、ひとつのケースでもそこまで明確に想定されていることは多くないと思います。ここで提示している理論(この箇所にかぎった話でもないですが)は、ある対象に対してリアリスティックである/リアリスティックでない(あるいはどっちとも言えない)という判断があったときに、それがどういう基準による判断なのかを説明するためのものであって、ある対象がリアリスティックであるかリアリスティックでないかを判断するためのものではないです。
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リアリスティックの議論の中で正確さはいわば基礎点の様なものであり、典型性は減点式の項目、情報量が加点式の項目であるように感じた。ドラゴンの例にもあるように、架空のものリアリスティックにおいても、想像の中の理想のドラゴンに対しては一定の類似性がありドラゴンっぽさが一定あれば、後は細かな点、例えばうろこの感じなど情報量がリアリスティックの度合いを決めると思う。一定以上のレベルではリアリスティックは情報量に大きく左右されるのではないかと考えた。
考えてなかったですが、たしかにそれぞれ基礎点/加点/減点に対応するというのは的確なイメージかもしれません。
リアリズムの基準について、正確性と情報量が入ることについては経験的にも理解しやすかったが、三つ目の典型性についてはあまりピンとこなかった。
グッドマン『芸術の言語』(絵のリアリズムは慣習・慣れですべて決まるという無茶な主張をしている本)を参考にすると、たとえば以下のような例が当てはまると思います。
2つの絵(写真でも可)を考えます。どちらも線遠近法に完全に従っているとします。また描き込みの度合い(情報量)も同程度だとします。
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画像のリアリズムにおけるカルヴィッキの考えの、「典型性のマイナス方向に働くケース」がよくわかりませんでした。具体例が欲しいです。
リアリスティックの議論の中で正確さはいわば基礎点の様なものであり、典型性は減点式の項目、情報量が加点式の項目であるように感じた。ドラゴンの例にもあるように、架空のものリアリスティックにおいても、想像の中の理想のドラゴンに対しては一定の類似性がありドラゴンっぽさが一定あれば、後は細かな点、例えばうろこの感じなど情報量がリアリスティックの度合いを決めると思う。一定以上のレベルではリアリスティックは情報量に大きく左右されるのではないかと考えた。
考えてなかったですが、たしかにそれぞれ基礎点/加点/減点に対応するというのは的確なイメージかもしれません。
ビデオゲーム文化においてリアリズムが重視されるのは、ビデオゲームをプレイする動機として「フィクション世界に没頭し、あたかも現実世界であるかのようにプレイしたい」という欲求があるからなのでしょうか。その場合、特にそういった効果を期待されるビデオゲームは、ナラティブ的な側面がかなり重要視されると思います。もちろんグラフィックのリアリズムなども非常に重要になりますが、いわば「別の世界」を精巧に作り上げることが求められるという点において、「ビデオゲームとしての純粋な(いわゆる”ゲーム的な”)面白さ」の評価度合いが軽視されてしまうように感じます。〔…〕
〔…〕余談:ビデオゲーム関係であるとないとにかかわらず、「ナラティブ」という言葉づかいはやめたほうがいい(日本で謎の広まり方をしているガラパゴス用語法で、英語の"narrative"の理解に難をきたす可能性があるという意味で有害なので)と長年主張しているので、参考までに一連の資料を共有しておきます。〔…〕
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今回のリアリズムの話では、フィクションのリアリズムにおいてメタ要素はどのような扱いになるのか疑問に思った。例えば、キャラクターが急にこれはゲームの中の出来事だとわかっているかのような発言をしたとすると、それがゲーム内での出来事だ、というのはある意味最も現実に即した事実と言えるが、だからメタ要素の多いゲームはリアリスティックである、と言うのは違和感を感じる。
メタフィクションの効果はいわゆる「第四の壁の崩壊」と呼ばれるものが典型ですが、リアリズムとは別の話題ですね(経験のあり方がだいぶ違います)。今回の枠組みを使ってその違いを説明すれば、フィクションのリアリズムは虚構世界と現実の類似度について判断であり、それゆえ両者の区別は維持されているのに対して(というのもAとBが似ていると判断できるためにはAとBは別物であるという認識がまず必要なので)、メタフィクションの効果の場合は両者の区別があいまいになる(なったかのような錯覚を覚える)ということだと思います。〔…〕
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『ブラックジャック』に出てくる、「浮世絵の時代は人物がそんな風に見えていたのだろう」といった内容の言葉を思い出しました。当時一般に受け入れられていた価値観としてあの描き方が典型性を持っていたため、当時の人々は浮世絵を写実的だと思っていた可能性もあるのでしょうか。
前半部分についてはよく言われる話ですが、基本的に古い時代の人の認知の内容は確かめようがないので、放言がいくらでもできてしまう話題でもありますね。ゴンブリッチ『芸術と幻影』という本が部分的にそういう話を扱っているのでおすすめします。邦訳の質はあまりよくないですが、20世紀の人文書の中では古典中の古典と言ってよい名著です。
様式の事例
様式概念の特徴づけ
様式論がやっていること
観相学とその問題点
続き:スライドだけ見ている人向け
授業内で扱う部分には〇、扱わない部分には✖をつけます。
〇 様式の事例
〇 様式概念の特徴づけ
〇 美術史学の様式論は何をやっているか
✖ 様式の名づけ
✖ 様式の比較・分析の実例(ヴェルフリンの話)
〇 様式から事実を推測する
〇 様式の形成・変化の原因の種類
〇 様式論的観想学の問題点
✖ アブダクションについて
✖ ビデオゲームについての様式論的観相学の事例
✖ 普遍的な発展パターン
デザインパターン
マッチ3(タイルマッチングパズル)の歴史
以下の授業資料をベースにして話します。
2020年度 東京都立大学 表象文化史B 授業資料
全員向けの注意点
上記の授業資料は主にユールの論文からの引用文だけで書かれていて、読んだだけではポイントがわかりづらいので、次ページ以降でポイントをまとめます(補足も多少加えてあります)。
授業資料のポイント+補足
ユールが言う「デザインパターン」は、美術史における様式にかなり似た概念である。
デザインパターンの例:
いろいろあるが、わかりやすいものだと「3すくみ」(じゃんけん的なもの)など。RPGに典型的な「戦闘/リソース獲得/成長」のサイクルなども含めていいだろう。
おそらくゲームジャンル/サブジャンルそれ自体も、一種のデザインパターン(あるいはその組み合わせ)として考えられる。
ユールの論文では、純粋にゲームメカニクス上のパターンが主に取り上げられているが、グラフィックやフィクション上のパターンも(もっと言えば収益モデルのパターンなども)考えられる。
続き:授業資料のポイント+補足
ユールは、デザインパターンの観点からビデオゲームの歴史が記述できると考えている(つまり様式論的な研究ができると考えている)。
ただし、それはあくまで特定の観点からの歴史記述であって、絶対的な記述ではない。ビデオゲームの歴史はつねに複数の異なる記述を許容する(相対主義的な歴史観)。
ユールはこの考え方をもとに、ビデオゲームの一ジャンルであるマッチ3(およびその上位カテゴリーであるタイルマッチングパズル)の歴史的な展開を、実際にデザインパターンの観点から記述することを試みている。
具体的には、そのジャンルに属する個々の作品が先行するパターンを受け継ぎつつも、同時に新しい要素を付け加える、そしてその要素がまた後続の作品に受け継がれることで、新しいパターンとして確立する、という流れを記述している。
続き
具体的には、ユールは、デザインパターンの観点からビデオゲームの歴史が記述できると考えている(つまり様式論的な研究ができると考えている)。
ただし、それはあくまで特定の観点からの歴史記述であって、絶対的な記述ではない。ビデオゲームの歴史はつねに複数の異なる記述を許容する(相対主義的な歴史観)。
ユールはこの考え方をもとに、ビデオゲームの一ジャンルであるマッチ3(およびその上位カテゴリーであるタイルマッチングパズル)の歴史的な展開を、実際にデザインパターンの観点から記述することを試みている。
ビデオゲームの様式論?
ユールがやっているのは、パターン=様式の変遷を追っていくということだけであり、前半で示した「様式論は何をやっているか」の分け方で言えばAである。
A. 様式の把握・比較・分析
B. 様式から事実の推測
C. 事実から様式の説明
ユールの議論をもとに、そこからさらに進んでBやCをやることも可能かもしれないが、タイルマッチングパズルのケースだとあまり意味はないかもしれない(観相学を適当にでっち上げることはできるかもしれないが)。
続き
ドット絵(ピクセルアート)の様式論を以前に少し試みたことがあるが、これも主にAしかやっていない。
松永伸司「ピクセルアートの美学 第2回 ピクセルアートの様式」メディア芸術カレントコンテンツ、2020年 https://mediag.bunka.go.jp/article/article-16323/
これは、技術や産業構造の視点からの説明に偏りがちなビデオゲームの歴史記述に対して、様式という視点からのオルタナティブな歴史記述がありえることを強調したかったためだが、AだけでなくBやCもふつうに可能だろう。
続き
「ピクセルアートの様式」から引用①:
「このグラフィックをどう評価するかはともかく(例えば「上手とは言えないピクセルアート」として評価することもできるかもしれない)、それが独特の表現であることはたしかだろう。こうした独特の表現がなぜ、どのようにして生まれたのかは、技術的な制約の観点からは説明できない。それはデザイナーの技量や癖の結果かもしれないし、何らかの芸術的な意図の結果かもしれないが〔…〕、いずれにしろそれを明らかにするのはピクセルアートの様式論の仕事になる。様式という概念は、技術とは別の切り口からピクセルアートの歴史を語る視点を与えてくれるのだ。」
引用の続き
「伝統的な美術史学の様式論は、「様式の自律的な発展」という考えを押し出している。これは、それぞれの芸術ジャンルは外的な環境要因(例えば技術的条件や産業構造)による変化とは別に、それ自身のうちに内在している傾向性によって変化していくという考えだ。そして、その自律的な変化は芸術ジャンル間である程度共通しており、一定の発展パターンがあるとされる。
〔…〕同種の発展パターン(素朴→調和→過剰)は、おそらくどの時代のどの芸術ジャンルにも多かれ少なかれ見いだせるだろう。また、多くの文化に見られる過去の様式の「リバイバル」という現象もまた、様式の自律的な変化の一形態と考えることができる。〔…〕筆者の考えでは、この「自律的に発展する様式」という考えは、ピクセルアートにも問題なく適用できる。〔…〕
ビデオゲームの歴史は、これまで主に技術や産業の観点から語られてきた。もちろん環境要因が表現に与える影響は無視できないが(とりわけビデオゲームのように技術的な発展が速い領域ではそうだろう)、それでは説明のつかない独特の表現が大量にある。様式という視点は、表現文化そのもののうちに変化と多様性の契機があることをわかりやすく示してくれる。さらにその視点は、グラフィックに対してだけでなく、ビデオゲームの芸術的な側面のすべて――ゲームメカニクス、物語表現、サウンド表現、UIデザイン、etc.――に対しても有効だろう。」
来週の予定
物語論の枠組みを説明する。
ビデオゲームの物語表現の独特さを考える。
スライド最後