同志社大学|美学特論 (4)
水曜5限|第9回
松永伸司
2026.06.24
SlidoのリンクはScrapbox上にあります。
前回分のリアクションペーパーに対するリプライもScrapbox上でまとめます。
次の基本概念を覚えて帰る。
単数芸術/複数芸術
作品/事例
タイプ/トークン
いろいろな芸術形式に当てはめて考えてみる。
1. 芸術存在論のモチベーション
2. 作品と事例
3. タイプ/トークン
素朴な事実
実践をすっきり説明する
作品の所在
「その作品はどこにありますか」という質問を考えてみよう。
この質問に問題なく答えられる種類の作品と、それができない(少なくともその問いに答えることに違和感がある)種類の作品がある。
大半の絵画作品や彫刻作品は答えられる。大半の建築作品もそうだろう。
音楽作品は答えづらい。「『どこ』と言われましても…」となるだろう。映画作品なども同じかもしれない。
小説作品、マンガ作品などはどうか。
版画作品、演劇作品などはどうか。
作品の保存
「作品を保存する」という課題を考えよう。
この課題がどういうことであるかがすぐにわかる種類の作品と、そうでない(少なくとも何をすれば「作品の保存」になるかを十分に考える必要がある)種類の作品がある。
大半の絵画作品や彫刻作品は、特定の物理的なブツの状態を維持することが課題の達成である。大半の建築作品もそうだろう。
音楽作品の保存がどういうことであるかは、ぱっと答えるのが難しい。ブツとしての楽器を残すことなのか。ブツとしての楽譜を残すことなのか。パフォーマンス(演奏)を記録することなのか。パフォーマンスを行う技能を伝承することなのか。
小説作品やマンガ作品などの印刷媒体を持つ作品、映画作品や録音音楽作品などの再生媒体に記録される作品はどうか。
同じ作品、別の作品
互いにそっくりな2つの物が、「同じ作品」になる場合と、「別の作品」または「偽物」になる場合がある。
大塚国際美術館にあるフェルメールの絵画作品にそっくりな作品は、(法的・道義的な問題は当然クリアしているとしても)「偽物」である。フェルメール作品を撮った写真も(どれだけ高精細であれサイズが実物大であれ)フェルメール作品そのものではない。
ストリートピアノで誰かがショパンのピアノ曲を楽譜に忠実に弾けば、それはその作品の演奏である。(うまい下手の評価はあれ)「偽物」とされることはない。
芥川の『羅生門』は、いろいろな形で出版されている。単行本サイズの本で読もうが、文庫サイズの本で読もうが、ブラウザ上で青空文庫版を読もうが、国語の教科書で読もうが、その作品の「本物」の鑑賞である。「『羅生門』を読んだことがある」と言うために、芥川の自筆原稿を読む必要はまったくない。
翻案、リメイク、リマスター
ある作品の翻案(adaptation)は、ふつう翻案元とは別の作品として扱われる。黒澤の映画『羅生門』と芥川の『藪の中』を同じ作品だと言い張る人はまずいない(仮にそんな人がいたとしても、その主張が正当だと認めるような実践はまず存在しない)。
私たちの実践
以上のことは、素朴に観察できる事実である。
「事実」という言い方が言い過ぎに思えるなら、「私たちの実践」と言い換えてもよい。私たちを含めた現代社会の人々は、いま示したような仕方で「作品」を扱っている。言い換えれば、私たちは「作品」をそのようなものとして理解している。
ここでの「実践(practice)」は、「みんなが普段当たり前のようにやっていること/信じていること」くらいの意味。「慣行」のほうがいい訳かもしれない。
哲学者のモチベーションと仕事
一般に、哲学者(存在論に関わるかどうかにかかわらず)の仕事は、そうした素朴な事実や日常的な実践・理解を前提としつつ、そこに何か謎や不思議さやひっかかりを覚えるところからスタートする。
「うーん、何かすっきりしませんね~」「不思議ですね~」からの、「じゃあもっと深く細かく考えて、すっきり説明できるような理論を作ってみましょう」「理論を使って整理することで、人々の実践や世界に対する『わかり度』を上げていきましょう」というのが、哲学の基本的な仕事のスタイルである。
単数芸術と複数芸術
「事例」という概念
理論を複雑にする
単数芸術/複数芸術
芸術存在論のもっとも初歩的な区分として、「単数芸術/複数芸術(singular art / multiple art)」という区分がある。
素朴に言えば、作品が「一点物」なのが単数芸術であり、作品が「一点物」でない、つまり作品の具体的な現れが複数ありえるのが複数芸術である。
ひとまず芸術形式を雑に分けると:
単数芸術:絵画、彫刻、建築、etc.
複数芸術:音楽、版画、映画、etc.
注意点①
「単数芸術/複数芸術」の区分は、以下の古臭い(にもかかわらず民間美学ではいまもなお健在な)区分とは別物である。
空間芸術/時間芸術
かつて造形芸術と言語芸術を対比するために提唱された古典的な区分。
雑かつ概念規定が甘すぎて、現代の諸芸術に対しては使い物にならない。
複製芸術/一回性の芸術
有名なベンヤミンの論文「複製技術時代の芸術作品」に由来する区分。「オリジナルの消失」とか「シミュラ~クル」みたいなことを言いたがる人が使いがち。
雑かつ概念規定が甘すぎるのはさておいても、文字通りには制作技術の区分なので、単数/複数の区分とは直接には関係ない。大量複製(マスプロダクション)の技術が複数芸術のバリエーションや規模を広げたくらいのことは言えるだろうが。
注意点②
「単数芸術/複数芸術」の区分は、厳密には芸術形式ごとではなく、個々の作品ごとに考えたほうがよい。
要するに、「絵画は単数芸術、音楽は複数芸術」といった言い方は厳密に考えると不適切であり、正確には「この絵画作品は単数芸術作品、この音楽作品は複数芸術作品」といった言い方をすべきである。
とはいえ、大まかな傾向として、同じ芸術形式に属する諸作品はおおむね同じ存在のあり方をしているので、特殊なケースを気にするのでなければ、「絵画は単数芸術、音楽は複数芸術」と言ってもそれほど問題はない。この授業でも、特定の具体例について細かい話をするとき以外は、作品単位ではなく芸術形式単位で考えることにする。
単数芸術と複数芸術の違いを明確化する
単数芸術と複数芸術の違いは、直感的に理解できるだろう。しかし、その違いを正確に言い表すにはどう言えばいいのか。
ここで理論的に導入されるのが、「作品の事例(an instance of a work)」という概念である。これは「作品(a work)」という概念とは区別される。
「作品の事例」という概念を使えば、次のように明確化できる。
単数芸術:ひとつの作品に対して、その事例がひとつしかありえないもの
複数芸術:ひとつの作品に対して、その事例が複数ありえるもの
作品の事例とは何か
ある作品の事例は、その作品の鑑賞をする際に鑑賞者が直接に接する具体的な事物である。言い換えれば、作品の鑑賞における知覚経験(見る、聴く、触る、etc.)の直接の対象である。
作品の事例は、文字通りの物体(object)である場合もあるし、時間的な幅を持った出来事(event)である場合もある。
※「事例」の原語は"instance"だが、オブジェクト指向プログラミングに馴染みがある人にとっては「インスタンス」と訳したほうがぴんときやすいかもしれない。実際、現代の形而上学で使われる"instance"は、「クラス/インスタンス」の対概念における「インスタンス」にかなり近い意味である。
作品の事例の具体例
絵画・彫刻:物理的な物体そのもの
演奏音楽:演奏によって発生する一連の音
録音音楽:再生によって発生する一連の音
演劇:上演によって発生する舞台上の一連の出来事(俳優の挙動・照明・音・etc.)
映画:上映/再生によって発生するスクリーン上の一連の映像+音
小説・マンガ(物理本):読者が実際に見る紙の冊子(に印刷された文字列・画像)
小説・マンガ(電子書籍):読者が実際に見るデバイスに表示される文字列・画像
版画:刷り上がりのプリント
写真(物理):現像されたプリント
etc.
理論のチェック
(再掲)「作品の事例」という概念を使えば、次のように明確化できる。
単数芸術:ひとつの作品に対して、その事例がひとつしかありえないもの
複数芸術:ひとつの作品に対して、その事例が複数ありえるもの
作品の事例の個数にもとづいた「単数芸術/複数芸術」という区分を、いろいろな芸術形式(あるいは芸術と言いづらいような文化的カテゴリー)や作品に当てはめてみよう。どちらとも言えないような具体例が見つかれば、理論を改訂するきっかけになる。
スライドの最初に示した素朴な事実が、「作品の事例」という概念を導入したことですっきり説明できるようになったかどうか確認してみよう。まだ不十分かもしれない。
「単数/複数」以外の観点
当然ながら、「単数芸術/複数芸術」という区分だけでは、諸芸術の多彩なあり方を細かく拾うことはできない。必要に応じて、さらなる別の観点を導入して理論を複雑にする必要がある。
いくつかのありえる観点を紹介しておこう。
事例のカテゴリー
作品の事例が、文字通りの物体(object)であるか、出来事(event)であるかという観点での区分ができる。
単数芸術の事例は物体であることが多いが、複数芸術の事例は物体の場合もあれば出来事の場合もある。
単数芸術かつ事例が物体:絵画、彫刻、建築、etc.
単数芸術かつ事例が出来事:パフォーマンスアート?(←作品っぽくない)
複数芸術かつ事例が物体:小説、版画、etc.
複数芸術かつ事例が出来事:音楽、演劇、etc.
事例生成の参照先
作品の事例を生成する際に、何が参照されるかという観点での区分もある。要するに、何をベースにして事例が生成されるかという区分。
お手本(exemplar)つまり模範的な事例を参照先にするケース
例:模範となる演奏 → 個々の演奏
作品の性質がエンコードされた記録媒体を参照先にするケース
例:フィルム写真のネガ → 個々のプリント
指示書(instruction)を参照先にするケース
例:楽譜 → 個々の演奏
事例生成の担い手
事例生成の参照先と密接に関わる区分だが、作品の事例が機械的に生成されるか、人の手によって生成されるかという区分もありえる。
事例が出来事の場合
人力:演劇、演奏音楽、ダンスなどのいわゆる上演芸術(performing arts)
機械的:録音音楽、映画、etc.
事例が物体の場合
人力:手で一枚一枚刷る版画
機械的:印刷機で印刷される小説やマンガ
当然ながら、「機械的/人力」の区別は程度問題である。
| 区分の観点→ ↓芸術形式 |
事例の数 |
事例のカテゴリー |
事例生成の参照先 |
事例生成の担い手 |
etc. |
|---|---|---|---|---|---|
| 絵画 | 単数 | 物体 | ― | 人力 | |
| 演奏音楽 | 複数 | 出来事 | 指示書/お手本 | 人力 | |
| 録音音楽 | 複数 | 物体/出来事 | 記録媒体 | 機械的 | |
| 映画 | 複数 | 物体/出来事 | 記録媒体 | 機械的 | |
| 版画 | 複数 | 物体 | 記録媒体 | 人力/機械的 | |
| 小説 | |||||
| 写真 | |||||
| ビデオゲーム | |||||
| ぬいぐるみ | |||||
| etc. |
内容は適当です。観点を増やすと、こういう複雑な分類表が作れるというイメージです。
理論との付き合い方
理論は観点を追加していくことで、いくらでも複雑にできる。
理論を複雑にすることで、現実の多彩なケースを解像度高く説明できるようになるが、その分ごちゃごちゃしてくる。
理論は、その都度の目的に沿ってすっきり使いやすいことが大事なので、不必要にごちゃごちゃさせるのはよろしくない。概念的な区別の引き出しがたくさんあるのはいいことだが、それを毎回フルに詰め込む必要はない。
目下の議論や考察にとって必要な観点だけを導入するようにしましょう。
タイプ/トークンの例示と特徴づけ
芸術作品の存在論とタイプ/トークン
質問
以下の詩文の中に単語はいくつあるでしょうか。
Rose is a rose is a rose is a rose.
2つの数え方
Rose is a rose is a rose is a rose.
数え方①
10個{Rose, is, a, rose, is, a, rose, is, a, rose}
数え方②
3個{rose, is, a}
というわけで、「単語の個数」と一口に言っても、2つの異なる解釈がありえる。①の数え方は、個々のものとしての単語の個数を、②の数え方は、単語の種類の個数を数えている。
言語記号のタイプ/トークン
タイプ/トークンの区別(type-token distinction)は、C. S. パースによって最初に導入された。
タイプ:単語そのもの、たとえば、"the"という単語そのもの。前の例の②の数え方で数えられるものに相当。
トークン:その単語の個々の現れ、たとえば、ある本の中にある"the"という文字列のすべて、ある会話で発声される[ðə][ði]音のすべて。前の例の①の数え方で数えられるものに相当。
タイプ/トークンの区別は、もともとは、言語記号にある2つの異なる水準(タイプとしての言語記号そのものと言語記号の個別の現れ)を区別するという文脈で使われるものだったが、その後いろいろな哲学分野でさまざまに使われていった。
タイプ/トークンの区別で説明されがちな例
人工物
一個の機種としてのiPhone 17/個々のユーザーが持つiPhone 17
行為
一個の行為種としての窃盗行為/個々の場面での誰かの窃盗行為
自然物
一個の生物種としてのタヌキ/タヌキの諸個体
文
特定の単語の特定の並び/個々の印字された文字列や一連の発声
iPhone 17
タイプ
Bさんのiphone 17
トークン
それぞれのスマホは同じ機種(似ている)。
Aさんのiphone 17
Cさんのiphone 17
Dさんのiphone 17
タイプ説
芸術作品の存在論では、音楽作品や文学作品のような複数芸術の作品は、一種のタイプとして存在するという主張がしばしばなされる(それに対する反論もあって論争がある)。
仮に作品がタイプだとすると、作品の諸事例はそのタイプの諸トークンであるとしてすっきり説明できる。
ベートーヴェンの交響曲第5番
タイプ
トークン
A楽団による
いついつの演奏
B楽団による
いついつの演奏
C楽団による
いついつの演奏
D楽団による
いついつの演奏
タイプ説の難点
タイプ説の難点としてよく挙げられる問題は、創造可能性のパラドックス。定義上、タイプは自然数などと同じく生成消滅しない抽象的存在者なので、人間が新たに作り出すことができるようなものではない。
創造可能性のパラドックス
(a) 音楽作品は作れる。[素朴な事実]
(b) 音楽作品は一種の抽象的存在者である。[タイプ説の主張]
(c) 抽象的存在者は作れない(生成消滅のないエターナルな存在である)。[抽象的存在者についての基本的な前提]
(a)(b)(c)をすべて認めると矛盾するので、タイプ説を採用するなら(a)(b)(c)の少なくともどれかひとつを否定しなければならない。
創造可能性の問題に対するタイプ説の応答:発見説
創造可能性のパラドックスに対するタイプ説の論者の応答のひとつとして、「(a) 音楽作品は作れる」という常識的な直観を否定するという戦略がある。
そうした論者によれば、作曲家は音楽作品を作っているのではなく、むしろ発見(discover)している。それは、数学者が定理や新たな素数を(創造するのではなく)発見すると言うのと同じである、と。
発見説の是非を考えるための他の材料
タイプ説は、音楽だけでなく文学などにも普通に当てはめることができる。
発見説的な考え方をすると、あらゆる文字列・単語の組み合わせは、抽象的存在者としてすでに存在している。それゆえ、有限の文字列からなるあらゆる文学作品は、人間がまだ見つけていないとしても、すでに存在していることになる。
発見説的な発想と相性がよさそうな事例
存在論・形而上学
秋葉剛史『形而上学とは何か』筑摩書房、2025年
倉田剛『日常世界を哲学する』光文社、2019年
倉田剛『現代存在論講義I・II』新曜社、2017年
タイプ/トークン関係
Linda Wetzel, "Types and Tokens," in Stanford Encyclopedia of Philosophy, 2006.
リチャード・ウォルハイム『芸術とその対象』松尾大訳、慶應義塾大学出版会、2020年
音楽作品の存在論関係
田邉健太郎「分析美学における音楽の存在論は何をどのように論じているのか」『ポピュラー音楽研究』21号、2018年 https://researchmap.jp/Walkure7/published_papers/21706155
スライドおわり