系共通科目(メディア文化学)講義A
月曜4限/第4回
松永伸司
2024.05.20
SlidoのリンクはScrapboxにあります。
前回のリアクションペーパーへの応答もScrapboxにあります。
日本語で俗に「表現」と呼ばれているものについての解像度を少し上げる。
そのために、〈表象〉と〈表出〉というテクニカル(専門的)な概念を大まかに理解する。
1. 民間用語としての「表現」
2. 表象とはなんだ
3. 表出とはなんだ
「表現」という語の用例
なぜテクニカルな概念を使うのか
例1:自治体の「表現ガイドライン」
おおむね「言葉づかい」「言い方」「呼び方」などと言い換えられる意味で「表現」という語が使われているように読める。
ただし「言葉や表現」と書いているところを見ると、言葉に限定していないのかもしれない。
普段何気なく使っている言葉や表現にも, 男性を中心としてきた社会構造や男女の役割分担意識が反映されたものがあります。
性別を強調する表現や女性と男性の対語のない表現などには気をつけ,公平な表現を心がけるようにしましょう。
子どもたちが歌唱や器楽、音楽づくりの活動に取り組む際、互いの表現を比較したり、表現と音楽を形づくっている要素とを関連付けたりしながら思考することを大切にしたい。なぜなら、互いの表現を比較したり、表現と音楽を形づくっている要素とを関連付けたりして思考することで、音楽的感受性が高まり、よりよい表現を追究していくことができると考えるからである。
〔…〕そこで、子どもたちが表現したり聴いたりする活動を繰り返す中で、音楽を形づくっている要素に結び付く発言や表現を見取り、問い返したり価値付けたりしていくことを大切にしたい。そうすることで、音楽を形づくっている要素の働きを感じ取って表現を工夫し、自分の思いや意図をもって表現することができると考えている。
続き
「表現」がどういう意味で使われているのかはっきりしない。
〈演奏する行為や作曲する行為〉を指しているようにも読めるし、〈そうした行為の結果生じる音そのものや楽曲そのもの〉を指しているようにも読める。あるいは、〈それらを通して自分の内面(?)を人に伝えること〉を指しているようにも読める。
〔再掲〕子どもたちが歌唱や器楽、音楽づくりの活動に取り組む際、互いの表現を比較したり、表現と音楽を形づくっている要素とを関連付けたりしながら思考することを大切にしたい。なぜなら、互いの表現を比較したり、表現と音楽を形づくっている要素とを関連付けたりして思考することで、音楽的感受性が高まり、よりよい表現を追究していくことができると考えるからである。〔…〕そこで、子どもたちが表現したり聴いたりする活動を繰り返す中で、音楽を形づくっている要素に結び付く発言や表現を見取り、問い返したり価値付けたりしていくことを大切にしたい。そうすることで、音楽を形づくっている要素の働きを感じ取って表現を工夫し、自分の思いや意図をもって表現することができると考えている。
例3:Wikipedia日本語版
「形」「態度」「言語」などによって「感情」「思想・意志」「物体」「事柄」などを示すこと全般を指す語として説明されている。挙げられている例は大半が芸術形式だが、「認識」や「科学」なども含まれている。
表現(ひょうげん、英語: expression)とは、自分の感情や思想・意志などを形として残したり、態度や言語で示したりすることである。また、ある物体や事柄を別の言葉を用いて言い換えることなども表現という。
表現の例:
演劇/映画/アニメ/マンガ/詩/小説/評論/音楽/絵画/造形/ボディーランゲージ/認識/発言/科学/他多数
〔第1項〕一 著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。〔…〕
〔第1項〕十の二 プログラム 電子計算機を機能させて一の結果を得ることができるようにこれに対する指令を組み合わせたものとして表現したものをいう。〔…〕
〔第3項〕この法律にいう「映画の著作物」には、映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され、かつ、物に固定されている著作物を含むものとする。〔…〕
〔第4項〕この法律にいう「写真の著作物」には、写真の製作方法に類似する方法を用いて表現される著作物を含むものとする。
続き
第1項1号(著作物全般の定義)では、表現されるものは明確に「思想」や「感情」とされている。表現するものの具体例として、「文芸、学術、美術又は音楽」が挙げられている。
第1項10号の2(コンピュータプログラムの扱いについての規定)では、何が何を表現するのかがはっきりしない。
ここでの「一の結果」は第1項1号が規定する著作物を指しており、それゆえプログラムが生成する「結果」は「思想」や「感情」を表現するものだが、一方で「これ〔電子計算機〕に対する指令を組み合わせたものとして表現したもの」という書き方からは、プログラム自体が何かを表現しているようにも読める。
第3項・第4項(映画・写真の扱いについての規定)では、著作物が「思想」や「感情」を表現するというよりも、著作物自体が表現されるという書き方になっているように読める。
テクニカル(=専門的)な概念を導入するモチベーション
いずれの「表現」の用例も、第2回授業で説明した意味での民間理論の概念に思える。
つまり、分節化が雑だったり(性格の異なる事柄をいっしょくたにしていたり、逆に同じようなものをなぜか区別していたり)、不明確だったり(語の適用条件があやふやだったり)、組織化が不十分だったり(概念間の関係がはっきりしていなかったり)するように見える。
日常生活を送る上では、こうした民間概念を使っていても大きな不便はないかもしれないが、日本語で「表現」とひとまとめにされている諸事象・諸事物についてもう少し丁寧に考えようと思うなら、テクニカルな概念を導入したほうがよい。
表象と表出
美学(とくに分析美学)では、伝統的に次の2つの概念が区別されてきた。
表象(representation)
表出(expression)
最低限これらの概念を知っておくと、「表現」と言われるいろいろな事柄を考えるときの解像度が多少は上がるだろうし、いま見た例のようにどういう意味なのかいまいちわからないといったことも、ある程度は避けられるようになるだろう。
※“representation”と“expression”はそれぞれに訳語の問題があるが、この授業ではひとまず「表象」と「表出」で通す。それぞれが「表現」と訳されるケースも少なくなく、かなり地獄である。また、日本語の「表現」だけでなく、“representation”と “expression”にもそれぞれ多義性がある。今回紹介するのは、特定の分野(美学の文脈)の言葉づかいであり、他の分野では同じ言葉が別の意味で使われることがある。いずれにせよ、言葉とその意味が一対一対応するという発想をしていると混乱するので十分注意すること。
表象の特徴づけと例
表象に関わる重要な論点
余談:訳語と多義性
表象(representation)の特徴づけ
最小限の特徴づけ
何かが別の何かをあらわす(あるいは別の何かの代わりになる)という、その働きのこと。〈あらわすものとあらわされるものの関係〉と言ってもよい。
以下の関係図式の→に相当する。
「猫」 → 猫
”cat” → 猫
🐈 → 猫
ややこしいが、→ではなく、→の左辺(あらわすもの)のほうを「表象」と呼ぶこともよくある。この授業でも、便宜上→の左辺を「表象」と呼ぶことがあるので注意。
※さらに文脈によっては右辺が「表象」と呼ばれる場合もあるが、こちらは明確に誤用と言ってよい。
記号作用?
このミニマルな意味での「表象」は、記号論で論じられる意味での「記号作用」や「意味作用」(signification)とおおむね同じ意味だと考えてよい。
記号論(細かく言えばソシュール系統の記号論)では、記号作用の両辺として「シニフィアン(記号表現)」と「シニフィエ(記号内容)」という用語が使われることがよくある。
シニフィアン → シニフィエ
ただ「シニフィアン/シニフィエ」はいかにも20世紀くさい言葉づかいなので、いま使うのはおすすめしない。
ちなみに〈あらわすもの〉と〈あらわされるもの〉の区別自体は古代からある。
身近な表象の例
意味を持つ言葉全般(書き言葉、話し言葉)
意味を持つジェスチャー
何かを描いた絵
写真・実写映像(これらは表象ではないという考え方もあるが、ひとまず入れておく)
楽譜
地図
グラフ
ピクトグラム
暗号
etc.
芸術関係の表象の例
具象画・具象彫刻
抽象画や抽象彫刻は表象ではないとされることが多い。
音楽の歌詞の大半
音楽そのものは表象ではないとされることが多い(標題音楽はかなり微妙な例)。
小説
叙事詩
抒情詩もある程度表象の側面を持っているのが普通だが、表出の性格が強い。
ほぼすべての演劇、映画、アニメーション、マンガ
一部のビデオゲーム
表象要素のない抽象的なゲームは少なからずある。たとえば『テトリス』など。
etc.
性質帰属の働き
表象は、その対象(あらわされるもの)についてのコメントを含んでいるものだということはよく言われる。
つまり、ニュートラルにその対象の代わりになるというよりは、その対象はしかじかの性質を持ったものであると述べる(性質Pを持つものとして対象Oをあらわす)という働きを含んでいるということ。
この働きのことを、哲学用語では「述定(predication)」と言ったりする。
ジェンダーの表象や人種の表象がしばしば倫理的な問題と見なされるのは、対象に性質を帰属するという表象が持つ働きのゆえである。
タヌキの表象
出典:東京タヌキ探検隊
あらわすもの
(文字・記号・絵・音声など)
対象
(表象がターゲットにしている物事)
性質
(表象によって対象に帰属される性質)
あらわされるもの
これを
これこれとして
あらわす
人工知能学会誌第29号(2014年)の表紙におけるアンドロイド(掃除ロボット)の表象
人工知能学会誌の表紙の絵が女性差別的な表象ではないかという批判を受け、学会が釈明のメッセージを出す事態になったという出来事があった。
参考
〈あらわすもの〉と〈あらわされるもの〉の区別
〈表象〉という概念によって、〈あらわすもの〉と〈あらわされるもの〉が明確に区別できるようになる。この区別は当たり前のように思えるかもしれないが、日常的な言葉づかいでは、両者を混同する物言いが少なからずある。
猫の絵は猫ではない。しかし、猫が描かれた絵を見ながら「そこに猫がいる」といった言い方を普通にする(文字通りには猫はそこにいないにもかかわらず)。
同じように、フィクショナルキャラクター(前回取り上げたPキャラクターという意味でのキャラクター)は絵そのものではない。それゆえ、アニメのキャラクターについて俗に言う「二次元」は明らかに不正確な言い方である。
口語では〈「りんご」という文字列〉を指すのに「りんご」と言う場合があるが、当然ながら「りんご」という文字列はりんごではない。
同じ語がこのように2通りの使われ方をすることを言語哲学では〈使用(use)〉と〈言及(mention)〉という対概念で説明する。
表象と解釈
〈あらわされるもの〉は、ほとんどつねに、〈あらわすもの〉に対する解釈を経て引き出される。この解釈はほぼ自動的に(無意識的に)なされることも多いだろうが、そこに意識を向けたほうがいい場面もある。
たとえば、歴史研究をする場合、(a) 史料そのもの、(b) それが述べている内容、(c) 実際の歴史的事実はそれぞれ別物である。(a)から(b)を引き出すには解釈(読解)が必要であり、また(b)が(c)について真実を述べているかどうかは、解釈とは別に検討する必要がある。
解釈はふつう機械的にできることではない。それゆえ、表象を相手にする研究は、ほぼつねに研究者自身による読みを含むことになる。計量的な研究の場合ですら、定量化するときに不可避に解釈が組み込まれる。
続き
表象を扱う研究では、解釈ができるだけ恣意的にならないように、言い換えれば解釈ができるだけ正当化された(justified)ものになるように、気をつける必要がある。
ただし、「解釈は「主観的」なのだから避けるべきだ」とか「何か「客観的」な解釈の方法がある」といった発想をしているかぎり、表象に関して(ひいては人間文化の大部分に対して)ほぼ何も論じることができないので注意すること。
“representation”の訳語について
英語やフランス語の“representation”には、分野や時代によってかなり多様な日本語訳が割り当てられきた。
「表象」以外の訳語の例:
「再現」「表現」「代表」「代理表象」「再現前化」etc.
また、“representation”とは別系統の言葉が「表象」と訳されることもある。
“representation”以外の「表象」と訳される語の例:
”perceptio”、”Vorstellung”、etc.
“representation”の多義性について
訳語の問題とは別に、“representation”自体にも多義性がある。
この授業で紹介しているのは、美学その他の文脈での「表象(representation)」の用法だが、文脈が変われば、それとはかなり別の意味で「表象」という語が使われることもある(完全に別とも言えないが)。
代表的な別の用法は、心のうちにある外的対象の像(心的イメージなど)を「表象」と呼ぶ用法。近世・近代哲学や認知科学(神経科学から心の哲学まで含む)の文脈で「表象」と言えば、基本的にこちらの意味である。
まぎらわしい場合は、こちらの意味のほうを「心的表象(mental representation)」と言ったりもする。
※ちなみに言葉や絵という意味での表象と心的表象の関係をどう考えるかは難しい話だが、たとえば戸田山『哲学入門』(筑摩書房、2014年)4章がそのあたりを考えるためのイントロダクションになる。
一般的な注意点
ある語が多義的であることやその訳語が複数あることは、概念(物事の切り分け)そのものの問題ではないが、十分に気をつけないと概念を理解する際の障害になる。
これは〈表象〉に限った話ではなく、この授業に登場するいろいろな概念にも当てはまる。
いずれにせよ、言葉そのものではなく言葉の用法(どのような意味で使われているか)に注意を向けることで、言葉の罠に足をすくわれないことが重要である。
言葉と概念が一対一対応する
という発想を捨てること!
ちょっと休み
表出の例と特徴づけ
表出と感情の関係
余談:訳語と多義性
表出(expression)の例
表出の一般的な特徴づけは難しい。表出と感情のあいだに重要な関係があることははっきりしているが、あとで見るようにその関係をどう考えるかについては諸説ある。
表出がどんなものかは、具体例から入ったほうがたぶんわかりやすい。「何らかの感情があらわれ出ている」と言えるようなケースが、表出の典型例である。
例:
人のうれしそうな表情(実際にその人がうれしいかどうかはともかく)
エモーティコン((^_^))、絵文字(🥺)、スタンプ
悲しい曲
抒情詩
表現主義の絵画作品(”expressionism”=「表現主義」は定訳なので、ここだけ「表現」にしてある)
etc.
表象と表出は何が違うのか
両方の側面を持つ例も多いので、具体例ベースでは概念の区別が難しい。
たとえば、絵文字などは表象としての面(これこれの顔のあり方をあらわす)と表出としての面(これこれの感情があらわれ出ている)の両方がある。
抒情詩や歌詞も、視点人物が置かれている状況をあらわす面(表象)と、その人物の気持ちがあらわれ出ている面(表出)の両方があることがよくある。
よく言われる表象と表出の違い:
表象は心の外の事柄(具体的な事物など)をあらわすが、表出は心の中の事柄(感情や態度など)をあらわす、という違い。
表象はそれとは別の何かをあらわすが、表出はそれ自体のうちに(気持ちなどが)あらわれ出ている、という違い。
続き
文章の末尾につける「(笑)」や「wwwww」などはかなり微妙な例。
表情やエモーティコンとは違って、「(笑)」や「wwwww」の場合は、そのもの自体のうちに感情があらわれ出ているわけではないかもしれない(発言者が笑っているということをたんに表象しているだけかもしれない)。
一方で、人によっては〈おかしみ〉という性質がそこにあらわれ出ていると感じる人もいるかもしれない。
とはいえ、両方の側面がある例やどちらになるかが微妙な例(境界事例=ボーダーラインケース)があるからと言って、概念の区別がないことにはならない。
明らかに表象だが表出ではないケースや、明らかに表出だが表象ではないケース(たとえば抽象表現主義の絵画)が普通にあるから。
「感情があらわれ出る」とはどういうことか
表象と同じく、表出でも二項関係が成り立っているように見える。
うれしい表情 → うれしさ
悲しい曲 → 悲しさ
エモい短歌 → エモみ
そう考えると、表出とは、その字面通りに、対象の内面の状態が外に押し出される(ex-pressされる)ことだと言ってもよさそうに思えるかもしれない。
しかし、この特徴づけだとうまく説明できない事実がいろいろある。
犬が悲しげな表情をすることはあるが、悲しげな表情の犬は必ずしも悲しいわけではない。
楽曲は生き物ではないので、感情を持ちようがない。それゆえ「悲しい曲」の「悲しさ」は、少なくとも楽曲そのものの感情ではない。
表出と感情の関係についての諸説
伝達説
音楽や絵画のような芸術作品の場合、作者の感情が作品の中に込められ、それが作品を通して受け手に伝わる。うれしい表情もそれと同じだ。これが表出というプロセスである。
伝達説への批判:作曲家や演奏家は、本当に悲しくなくても悲しい曲を作ったり演奏したりできる。表情も本心に対応しているとはかぎらない。
喚起説
作り手の感情は関係なく、受け手に特定の感情が呼び起こされるのが表出である。
喚起説への批判:悲しい曲を聴いて悲しくならないことは普通にあるし、状況次第では楽しい曲を聴いて悲しくなることもある。そもそも「悲しい曲である」という判断は、自分の感情ぬきにできることではないか。
類似説
悲しい曲は、人間の悲しげな表情やふるまいと似た特徴を持っている。それゆえ、悲しい曲を聴く人は、悲しげな表情の人を見るのと似た感覚を覚えるのだ。これが表出である。
類似説への批判:「類似」というのがどの点での類似なのかが、まるで明らかではない。犬の表情が人の表情に似ているという話はまだわかるが、メロディやコード進行が人の表情に似ているとは一体どういうことなのか?
隠喩説
「悲しい曲」というのはただの比喩にすぎない。曲が実際に備えている特定の美的性質(感じ)を指すのに、感情用語を比喩的に使う慣習がたまたま成り立っているだけである。実際の感情はとくに関係ない。
隠喩説への批判:定型句として確立しているケースはそれで説明できるとしても、最初に感情用語が比喩的に使われるときには実際の感情と何らかの密接な関係があったはずだろう。比喩は恣意的に使われ始めるものではない。
あらためて表出の特徴づけ
正確な特徴づけはともかく、大まかに言えば、表出とは〈感情用語(感情を指す言葉)によって示されるような何らかの性質が感知されること〉だと考えてよい。
伝達説や喚起説は、一部の表出のあり方を説明するものではある。
表情や作品が、表情の主や作者の実際の感情を反映している場合はよくあるだろうし、受け手側が悲しい曲を聴いて悲しい気持ちになることもそれなりにあるだろう。
とはいえ、必ずしもそうした事例だけではない点に、表出を一般的に特徴づけることの難しさがある。
“expression”の訳語について
“expression”は「表現」と訳されるのがおそらくもっとも一般的だが、その訳語には難点がいくつかある。
「表現」と訳すことのデメリット:
①他の語(たとえば“representation”)もしばしば「表現」と訳されるので、混同を避けたほうがよい。
②最初に見たように、日本語の「表現」という語は、非アカデミックな領域でかなりあやふやな使われ方をしている。
③次のページで見るように、言語学で使われる意味での“expression”の定訳が「表現」だが、今回紹介した美学の文脈での“expression”はそれとは別の意味なので、ごっちゃにならないようにしたほうがよい。
“expression”の多義性について
言語学およびその関連領域では、“expression”と言えば、書き言葉における書かれた文字列や話し言葉において発せられた音声のことを指す。
この意味での“expression”の定訳は「表現」である。
最初に見た函館市の「表現ガイドライン」の「表現」は、この用法にならったものかもしれない。
この用法をより一般化すると、“expression”は表象における〈あらわすもの〉を指すことになる。実際、記号論の文脈で「シニフィアン」を“expression”と呼び換える言葉づかいもある。
しかし、この言語学用語としての“expression”は、今回紹介した美学の文脈での“expression”や美術史における「表現主義」の「表現」とはまったく別物なので、混同しないように注意。
表出でも表象でもない「表現」
表出でも表象でもないが「表現」と呼ばれる事例はいろいろある。
例:
完全に抽象的かつ感情用語がまったく適用されないグラフィックデザイン
とくにエモくないインストゥルメンタルの楽曲
服装が「自己表現」と言われるようなケース
etc.
そういうわけで、〈表象〉と〈表出〉だけでは民間概念としての「表現」は十分にカバーできない(あいまいな民間概念をカバーしなければならない理由もとくにないが)。
分析美学系の文献
ステッカー『分析美学入門』森訳、勁草書房、2013年
8~9章が表象の話、10章が表出の話。訳語は「再現」と「表現」が採用されている。
5章の古典的な定義論の箇所も表象や表出に大きく関係している。
グッドマン『芸術の言語』戸澤・松永訳、慶應義塾大学出版会、2017年
1章が表象(とくに画像表象)の話、2章が表出の話。訳語は『分析美学入門』と同じく「再現」と「表現」。
今回の授業は、ある程度グッドマンの考え方をベースにしている(それだけではないが)。
ややこしいが、この授業で言う意味での「表象」は、グッドマンにおける「指示(denotation)」に相当する。
源河『悲しい曲の何が悲しいのか』慶應義塾大学出版会、2019年
今回の授業での表出の特徴づけの諸説については、主にこの本を参考にした。表出について勉強したい場合は最初におすすめする。
源河さんの単発論文から入ってもよい。本人のResearchmapからいろいろ落とせるはず。
清塚『絵画の哲学』勁草書房、2024年
描写の哲学の入門書。
描写(depiction)は表象の一種(pictorial representation)なので、表象を理解することと描写を理解することは直接つながっている。
分析美学系の文献 続き
村山「表出性と創造性:表出説を改良する」『新進研究者 Research Notes』5号、2022年
村山「自己理解の自由としての表現の自由」『第73回美学会全国大会 若手研究者フォーラム発表報告集』2023年
村山「意図を明確化するとはどういうことか」『Contemporary and Applied Philosophy』14号、2023年
〈作者の内面が作品のうちにあらわれ出ること〉としての表出を一貫して論じる論者。ある種の芸術家が作品制作を通じて何をしているのかについての理解が深まる。
Carroll, The Philosophy of Art: A Contemporary Introduction, Routledge, 1999.
分析美学の入門書(英語)。1章と2章がそれぞれ表象と表出の話。
以下のブログで内容がまとめられているので、まずそちらを読むのをおすすめする。
芸術史・文学史の文献
エイブラムズ『鏡とランプ』水之江訳、研究社、1976年
今回は紹介するのをやめたが、西洋の芸術観が、いわゆるロマン主義(19世紀)の時代に、表象=模倣ベースから表出ベースに変わったことを論じた古典的な本。タイトルにある「鏡」と「ランプ」は、それぞれ表象と表出のメタファーになっている。
邦訳は入手困難だが、さいわい京大図書館には何冊か入っている。
スライドおわり