系共通科目(メディア文化学)講義A
月曜4限/第7回
松永伸司
2024.06.10
SlidoのリンクはScrapboxにあります。
前回のリアクションペーパーへの応答もScrapboxにあります。
まだないです🙇♀️🙇🙇♀️🙇🙇♀️🙇
特定の美的性質があることを人に伝えたい場合にどうすればいいのかについて考える。
美的性質のパターンも含め、一定のアイテム群に共通するパターン(とくにその歴史的変遷)に注目するタイプの研究の考え方と、その注意点について理解する。
1. 前回のおさらい
2. インターネット文化のaesthetics
3. パターンの歴史を研究すること
美的判断と美的性質
美的判断とは
何らかの事物(たとえば自然物や芸術作品やパフォーマンス)について、それが感性的に把握される(と言いたくなるような)独特の性質を備えていると判断することを、「美的判断(aesthetic judgment)」と言う。
美的判断は、価値づけ(美的な良し悪しの判断)を伴うことが多いが、価値づけを伴わないケースもよくある。
美的判断の例
このアメニティグッズのデザインは垢抜けない。
このコーディネートには抜け感がある。
この曲はチルい。
etc.
関係する諸概念
美的性質(aesthetic property)
美的判断において対象に帰属される性質。感性的に把握される独特の質のこと。
例:垢抜けなさ、抜け感、チルさ、etc.
美的述語(aesthetic predicate / aesthetic term)
美的判断で使われる述語。美的性質を名指す語。形容詞になりがち。
例:「垢抜けない」「抜け感がある」「チルい」etc.
美的判断の対象
美的性質の帰属先。美的判断の主語の指示対象のこと。
例:特定のアメニティグッズ、特定のコーディネート、特定の楽曲、etc.
このアイテムのデザインは垢抜けない。
マリメッコのアメニティグッズ
垢抜けなさ
性質帰属
美的判断
美的判断の対象
美的性質
美的述語
美的にいまいち
価値づけ
美学で美的判断の特徴として言われていること(前回スライドから一部だけ抜粋)
規範性
美的判断には、「正しい」判断と「間違っている」判断の区別がある。
この点で、美的判断はただの好き嫌いとは異なる。
判断の理由の一般化できなさ
美的判断はしばしば理由づけ(なぜその判断が正当だと言えるのか)を伴う。しかし、その理由はふつう一般化できない。
この点で、美的判断は道徳的判断や有用性の判断とは異なる。
知覚との類比
美的判断を行うための経験や、その判断を正当化するための手段は、通常の知覚(たとえば色知覚)やその正当化のあり方に近い面がある。
ネットスラング “aesthetic”
aestheticを扱う研究はどのようにして可能か
スラングとしての “aesthetic” の用法
現代(おそらく2010年代以降)の英語使用圏のインターネット上で、“aesthetic” という語が独特の意味合いをもったスラングとして使われることがよくある。
本来この語は形容詞だが、この現代的な用法では、名詞として使われるのが一般的であり、単数だと “an aesthetic”、複数だと “aesthetics” となる。
ある種の感嘆符として使われることもある。
この言葉づかいがいつごろから定着したのかははっきりしないが、vaporwave的なアートワークの独特の質感を指す際に “aesthetic”(全角文字で表記するのがポイント)という言い回しが使われ出したあたりから、とくに広まった印象がある。
※Know Your Memeの “aesthetic” の項目に、この用法が広まった経緯についての一説を含めた概要が書かれている。
※Wikipedia英語版では、“Internet aesthetic” という見出しでこの用法が扱われている。
vaporwaveを例に
vaporwaveは、2010年代以降にインターネット上の音楽プラットフォーム(Bandcamp、SoundCloud、YouTubeなど)を舞台にして広がったインディー音楽のジャンル。
音楽そのものだけでなく、それと組み合わせられる独特なアートワーク(グラフィック、映像)も “vaporwave” と呼ばれることが多い。
future funkをはじめ、多くの派生ジャンルを生み出した。
西側諸国の1980~90年代前半くらい(日本で言えばバブル期)の商業主義的で軽薄なカルチャーや当時の技術的状況(現在から見ればローテク)へのノスタルジーを、しばしばコミカル/シニカルな味付け込みで喚起させることを主な特徴とする。
音楽制作の手法としては、サンプリングした音源に遅回し(chopped and screwed)やピッチ下げやリバーブなどの効果を強くかけて、あえてローファイでこもった音にしたものが多い。先行ジャンルであるchillwaveとの連続性がよく指摘される。
アートワークについては、なぜか日本的なモチーフ(文字の使い方から映像の素材にいたるまで)が取り入れられることが多い。
DJWatashi「つかみどころがないVaporwaveとかいうジャンル」から引用
〔…〕
さて、興味があってもその正体がイマイチつかめないこのジャンル。
まず特徴・傾向をいくつか挙げます。
1. 80年代後半くらいの曲をサンプリングして再構築した曲
2. 80年代後半くらいの画質の粗い映像を適当につなぎ合わせたMV(っぽい映像)
3. 音楽ジャンルでいうとディスコ、フュージョン、アンビエント、チルウェイブとかそのあたり
4. なぜか蔓延する日本の言葉、映像、音楽
5. 曲、映像から曲名やプロデューサー名など使われる言葉は支離滅裂で意味を持たない
6. 表立って活動している人がほぼいない
てな感じで、作品に寄りけりではあるものの特徴だけでもちょっと異質ですね。この特徴をもとにVaporwaveの色々を紐解いていこうと思います。
〔…〕
音質・画質の粗さ、CGのチープさやカクカクした3Dポリゴンとか…80年代後半~90年代前半頃の曲、映像のサンプリングです。
これが「特徴① 80年代後半くらいの曲をサンプリングして再構築した曲」と「特徴② 80年代後半くらいの画質の粗い映像を適当につなぎ合わせたMV(っぽい映像)」です。多少時代は前後するものの、曲も映像も元ネタは80年代後半~90年代前半から引っ張って来てることが多く、この時代感は一貫しています。
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DJWatashi「Future funk と Seapunk というマイナージャンル」から引用
〔…〕
Future funkはVaporwaveから派生したサブジャンル。Vaporwaveのカオティックな部分(わざとザラ付かせたローファイサウンド、変則的な展開、ピッチを極端に落として伸びきった元ネタなど、初見の人を困惑させるような要素)をある程度差し引いてダンサブルにしたような音楽で、ファンク、AOR、ディスコ、アンビエント、チルウェイヴなんかのクロスオーバー。Vaporwaveと比べると圧倒的に爽やかでオシャレなジャンルです。
Vaporwaveとの共通点は、80年代当時のブラコン・ポップス・AORなんかのジャンルの音楽をサンプリングしているコラージュ音楽だということ、曲と関係ない日本語や映像などが多用されている点などなど。素材やベースはほとんど一緒。しかしFuture FunkはVaporwaveと違いスクリュードさせず、逆にピッチを上げる。だから出来上がる曲は近いようで別物。紙一重というか味付け次第でVaporwaveともFuture funkともなりえる為、一緒くたにされがちの兄弟ジャンルです。
カッティングギターやサックスなどの生音、重低音強めの4つ打ちで踊りやすくした現代版復刻ディスコサウンド、まさしくFutureなFunkです。ネオディスコ、ヴェイパーブギー等と言われることもある模様。
最初に聴いた時は”80年代の曲(杏里とか角松敏生とか)の4つ打ちダンスミックス”みたいな印象でした。真夏のビーチを想わせるグル―ヴィな曲もあれば、きらびやかで落ち着いた都会の夜を想わせるムーディな曲(伝わるかな…)とか。普通にクラブとかで流れていても違和感無さそうなオシャレで一般受けしそうな曲多数。
❝
vaporwaveのaesthetic
vaporwaveの古典的な例
Macintosh Plus, “リサフランク420 / 現代のコンピュー”(2011)
Saint Pepsi, “Private Caller” にElFamosoDemonが動画をつけたもの(2013)
vaporwave的なアートワーク
Google検索 vaporwave artwork
このような感じ・雰囲気・質感・テイストが、vaporwaveの “aesthetic” と呼ばれる。この意味でのaestheticは、感性によって把握される(と言いたくなるような)独特の性質だという点で、美的性質の一種である。
Aesthetics Wiki
Aesthetics Wikiというウェブサイトは、この意味でのaestheticを大量に収集・リスト化し、それぞれのaestheticの特徴を具体例つきで説明している。
Aesthetics Wiki, “List of Aesthetic”
リストに挙げられているのは、現代のaestheticが大半だが、20世紀よりも前の美術様式など(たとえば「バロック」「印象派」「アールデコ」など)も含められている。日本や韓国発祥のものも少なくない。
大多数は視覚的なaestheticだが、ジャンルは、グラフィックデザイン、絵画・イラストレーション、写真、映画、ファッション、グッズ、音楽など多岐にわたる。
サイト内の記述によると、こうした大量のaestheticの分類と名づけの実践の成立に大きく寄与したのは、2010年代前半のTumblrにおける画像のタグづけ文化だという(よりあとの時代だと、InstagramやPinterestが同種の役割を担うことになると思われる)。
Aesthetics Wikiのリストから一部抜粋
美的性質のパターンとしてのaesthetic
この意味での “aesthetic” は、美的性質のパターン、とりわけ “vaporwave” のような決まった名前が付けられた美的性質のパターンを指すと考えてよい。
ここでの「パターン」は、ある種の〈型〉、つまり〈複数のアイテムに共通して見て取れる性質〉くらいの意味である。
いずれのaestheticも一種の美的性質だが、それらは、当の文化に参加する人々にとって、明確に名づけられたパターン=型として認識されている(いわば概念化されている)という点が重要である。
また、複数のアイテムに共通する性質を指すという点で、個々のaestheticの名前(“Steampunk”, “Jirai Kei”, etc.)は、ある種の分類語として機能する面もある。
”aesthetic” に似た概念
このネットスラングとしての ”aesthetic” は、日本語の俗語における「~系」「~風」「~テイスト」といった言い回しに大まかに対応するだろう。
実際、aestheticの事例として「~Kei」が多数挙げられている。
また、この意味での ”aesthetic” は、美術史学などの芸術学における「様式(style)」にもかなり近い概念だと思われる。
実際、ロマネスク、ゴシック、バロック、ロココといった美術史上の様式もaestheticの一種としてカウントされている。
さらに、文化的なアイテムを分類するのに使われる概念であるという点では、「ジャンル」にも近い。
実際、vaporwaveは音楽の一ジャンルである。
美的性質を論じる研究?
個々のアイテム(たとえば個々の作品)の美的性質についてあれこれ言うのは、研究というより、批評あるいはレビュー以上のことにはなりづらい。
それはラーメン批評ブロガーがやっていることと実質的に変わらない(ただし「作品論」という名のもとにそういうのが研究として認められる分野もある。この点は次回扱う予定)。
一方で、たとえばある一定の文化的なアイテム群について、それらに見られる主流な美的性質のパターンの歴史的変遷を追うとか、その変化の流れの中に個々のアイテムを位置づけるといったことをすれば、十分に「文化史研究」になると言ってよさそうである。
あとで述べるように、実際、美術史学において「様式論」と呼ばれてきたアプローチの研究の一部は、そういうことをやっている。
対象を共有できないと研究にならない
文化史研究でなくとも、Aesthetics Wikiに挙げられているような特定のaestheticを取り上げて、何かを論じる研究は十分考えられる。それは、現代のとくにインターネット文化上の美的実践のあり方を考える上で、非常に重要な視点だろう。
しかし、個々のaestheticが美的性質のパターンである以上、それを人に伝えるのが難しい場合があることが予想される。
そして当然ながら、自分が論じる対象を読み手・聞き手と共有できなければ、研究にならない。それゆえ、これは方法論上の問題になる。
これは現代文化の研究だけの話ではなく、たとえば美術史学で特定の様式を取り上げる研究にもある程度同じことが当てはまる。
方法論上の問題
自分が何か特定のaesthetic(美的性質のパターン)を対象として論じたいとする。
しかし、論じたいaestheticがどういうものなのかについて、周りの人(たとえば指導教員や周りの学生)はぴんときていないとする。
この場合、どのようにして当のaestheticがたしかにあることを相手に伝えればよいか。
言い換えれば、特定のaestheticを取り上げる研究において、論じる対象を聞き手と共有するために最初にするべきことは何か。
ひとまず考えられる方法(互いに排他的ではない)
①とにかくまずは聞き手に事例を見せ(or 聴かせ)、どの特徴に注目すべきかを言語化し、それによって問題のaestheticを聞き手自身が知覚できるように促す。
これは美術史学などでも使われてきた、ごくオーソドックスな方法である。
vaporwaveの動画を見せながらポイントを説明するのもこの方法である。
これは色判断の正当化などと同じく、「知覚的証明」の一種と言ってよい。
②問題のaestheticに言及している人々(受容者や制作者)の語りを引用し、そのaestheticに意識を向けたりそれについてコミュニケーションをしたりする文化的実践が実際にある(or あった)ことを示す。
③機械学習等を利用して、一定のパターンが計量的に特定できることを示す。
余談:筋の悪い反応
この方法論上の問題に対して、以下のように反応するのは筋が悪い。それぞれ簡単にブロックしておく。
反応①:
美的性質やaestheticなどというものは、そもそも存在そのものがあやふやであり(なぜなら主観的なものにすぎないから)、それを研究の対象とすることは無理である。
反応①への応答:
形而上学的な意味での「存在」や「主観性」を論じる以前に、特定の美的性質についての認識を一定の人々(どういう人々かはさておき)が実際に共有していることは、たしかな観測事実である。その認識を共有できない人がいること自体はたいした問題ではない(あらゆる専門領域は、一部の人にしか共有できない事柄に満ちている)。
加えて、その種の研究は実際にすでに行われており、「無理」でもなんでもない。
反応②:
美的判断はその理由が一般化できないということだが、そうすると美的性質の成立条件が一般化できないということになる。それはつまり、個々の美的性質についてその一般的な特徴づけ(すなわち定義)ができないということだろう。だとすれば、そうしたものを対象にした研究などそもそもできるはずがない。
反応②への応答:
研究に必要なのは、研究の受け手(口頭発表の聞き手、論文の読者、論文の査読者、etc.)との対象の共有であって、対象の特徴づけそれ自体ではない。特徴づけは、問題の事柄が何であるかを人と共有するための手段のひとつでしかない。
加えて、特徴づけは必要十分条件を提示することではない。厳密な一般化が難しい対象でも、いろいろと説明したり例示することでなんとなく伝わるということは十分ありえる(第2回授業スライドを参照)。
反応③:
「なんとなく伝わる」というレベルでは研究対象の共有として不十分だろう。厳密な特徴づけ(すなわち定義)がなければ、研究対象が確定しているとは言えない。
反応③への応答:
「研究」について何か誤ったイメージを抱いていると思われる。
あるカテゴリー・概念に何が含まれ、何がそこから排除されるかという厳密な線引きが重要になるタイプの研究でないかぎり、必要十分条件の提示という意味での定義はまったく不要である。境界事例があることで当の研究にとって何か困ることがあるのかどうかをまず考えたほうがよい(多くのケースでは別に困らない)。
ついでに一般論として、たんに自分が当のカテゴリー・概念にぴんときていないというだけのことを、「定義」が示されていないことの問題であると誤認しないように意識したほうがよい。
知覚的証明関係
シブリー「美的概念」吉成訳、西村編訳『分析美学基本論文集』所収、勁草書房
おすすめの古典的論文。
この論文の後半では、美的性質を人にどう知覚してもらうか(それによって知覚的証明を達成するか)について、考えられるいろいろな方法が論じられている。確実に成功する方法などないというのも含めて、示唆に富む指摘がたくさんある。
源河「美的性質と知覚的証明」『科学哲学』47巻2号(2014年)
ピンポイントでこの話題を扱っている論文。内容は専門性が高くて難しいかもしれないが、オンラインで手軽に読めるのでおすすめ。
〈様式〉という概念
パターンの観点からの文化史研究
様式論
どの芸術分野であれ、一定の作品群・アイテム群に共通して見てとれる特徴的なパターン(=型)の歴史的な変化を追っていく研究は昔からある。そういう研究を指す決まった名称はないが、美術史学の言葉づかいにならって「様式論」と呼んでおく。
絵画であれ建築であれ音楽であれ映画であれ、芸術史の教科書は、様式論的な記述が多くの部分を占めている(高校までの教科書を想像せよ)。
そこで取り上げられるパターンは、同じ作者や流派の作品群に共通のものである場合もあれば、より広く同じ地域・時代に共通のものの場合もある。あるいは、技術や技法にパターンが結びついていることもあるだろう。
そのように時代・地域・技術・個人・流派等々に紐づいたパターンは、一般に「様式(style)」と呼ばれる(文学の場合、日本語だと「文体」になるが、英語では同じく“style”である)。
様式の具体例
「様式」と呼ばれるものの中には、美的性質のパターンも含まれるが、美的でない性質のパターンも含まれる(技法上・技術上の特徴がそのまま美的性質に直結しているなど、両者が切り離しづらいことも多い)。
参考:別の大学での授業資料
美術史での例:
【仏像】天平様式、貞観様式、定朝様、鎌倉様式(慶派)、etc.
【建築】ロマネスク様式、ゴシック様式、ルネサンス様式、バロック様式、etc.
【絵画】ヴェルフリンによるルネサンスとバロックの5つの対比
etc.
造形芸術だけでなく、音楽などでも同様に様式の分類がなされる。
現代文化における様式
この意味での様式は、現代のいろいろなカルチャーにも見られる(美術史学その他の芸術学で扱われることがないおかげで、それらが「様式」と呼ばれることはいまのところほとんどないが)。
例:
Aesthetics Wikiで挙げられているaesthetic
2000~2010年代の日本のファッションにおける「赤文字系/青文字系」
ドット絵における「8-bit / 16-bit / 32-bit」
ポピュラー音楽のあらゆるサブジャンル
etc.
様式論の進め方?
様式論のアプローチによる研究、つまり、一定の作品群・アイテム群に共通して見てとれる特徴的なパターンの観点からの文化史研究は、いわゆる「芸術」だけでなく、およそその種のパターンとその歴史的変遷が見られるあらゆる文化的領域を対象にしうる。
とはいえ、パターンについての歴史的研究は、具体的にどのような方向で研究を進めればよいのか。それは最終的に何を目指すものなのか。
昔の様式論
昔ながらの様式論の方法は、おおむね次の二段階の手続きとして特徴づけられる。
第一段階:ある作品・アイテム(群)が備える様式を特定する(場合によっては、新しい様式を発見し、新たに名前を与える)。
第二段階:その作品・アイテム(群)がその様式を備えているという事実を手がかりにして、その作品・アイテムそれ自体やそれを取り巻く環境に関する何らかの事実を推測する。
例:
第一段階:この仏像はどうも天平様式だ。
第二段階:この仏像が天平様式だということは、この仏像について(あるいはその制作者について、その制作時期について、etc.)、これこれのことが推測できる。
どんな事実を推測するか
第二段階で推測される事実には、いろいろな種類がありえる。
作者(個人であれ集団であれ)
制作時期・地域
当のジャンルに関する当時の約束事・ニーズ
当時利用可能だった技術
当時の社会的状況
受容者や作者の社会階層
先行する作品との関係(インスピレーション関係)
作者個人の心理的傾向
作者・受容者が属する集団全体の心理的傾向
etc.
現代の様式論?
ただ、様式をもとに第二段階の事実推測を行うアプローチは、現代ではあまり流行らない。そもそも様式論自体がまったく流行っていないと言ってもよい。
主な理由は単純で、様式以外の史料(文書資料、考古資料、物理学的・化学的調査、etc.)から推測される内容のほうが確からしいことが多いから。他の史料が十分にある場合、様式はあくまで補強材料のひとつということになる(他の史料から推測されることと様式から推測されることが食い違っている場合には、その不整合を解消する説明が求められることになるが)。
加えて、かつての様式論は、集団の心理的傾向(たとえば「時代精神」や「民族精神」)を様式のあり方から推測するということをやりがちで、その手の発想が現代では忌避されているという事情もあるかもしれない。この件については「社会反映論」を扱う回で再び取り上げる予定。
第一段階だけの様式論
古い様式論はともかく、第一段階だけ(様式のあり方を書いていくだけ)で十分に研究として成り立つ場合もある。
たとえば、あるひとつのジャンルに関して、「この時代はこれこれのパターンが主流だったが、次の時代はこれこれのパターンが主流になった」「全体として、こうしたパターンの移り変わりが見られる」といったことを明らかにするタイプの研究。
各種の芸術についての教科書に典型的に見られるような文化史では、いまだにそうした様式論ベースの歴史記述がなされているし、実際にそういうものが求められているはずである。
第一段階だけの様式論は、現代文化の研究のひとつの方向としても十分有望である。
第一段階だけの様式論のいい例
ゲーム研究者のイェスパー・ユールは、「デザインパターン」とその変遷という観点から、ビデオゲームの歴史を論じる方法を提案している。この「デザインパターン」は、この授業で言う「様式」とほとんど同じ概念である。
Juul, “Sailing the Endless River of Games: The Case for Historical Design Patterns”
内容については以下の授業資料を参照。
ユールがここで提唱している方法は、第一段階だけの様式論による文化史記述にかなり近いものだと思われる。
ユール自身は、とくにタイルマッチングゲーム(いわゆる落ち物パズル、マッチスリーなど)というゲームジャンルの歴史を論じているが、他のジャンルにも問題なく適用可能な方法である。
余談:様式論の対象を広げる
手前味噌だが、今年出たビデオゲーム研究の論文集で、様式論的なアプローチでJRPG(ドラクエ、FFなど)の特徴を論じてみるという論文を書いた。
ドット絵(ピクセルアート)の様式論の可能性を示す論考も以前書いた。
私見では、様式論(美的性質のパターンも含めて、アイテム群に共通する特徴的なパターンに注目する研究)は、古い作品よりもむしろ現代文化のジャンルやアイテムを対象としてもっとなされるべきだと思っている。
様式概念を理解するための文献
シャピロ/ゴンブリッチ『様式』細井・板倉訳、中央公論美術出版、1997年
マイヤー・シャピロとエルンスト・ゴンブリッチは、いずれも20世紀の芸術学の大家。この本は、それぞれによる様式概念の解説(どちらも事典の項目)を収録したもの。訳は読みづらいが、内容は非常によい。おすすめ。
松永「様式とは何か」9bit、2020年 https://9bit.99ing.net/Entry/98/
様式概念について本格的に勉強したいなら、この記事で挙げられている各文献を読むところから入るとよい。
伊藤他「〈討論〉芸術の様式について」『美学美術史論集』10号、1995年
https://seijo.repo.nii.ac.jp/records/175
複数の人が持論を展開していてまとまりがない上に抽象度が低い(概念整理が下手な)話が多いが、「様式」という語が諸芸術学の中でどういう使われ方をしているかの雰囲気をつかむにはおすすめ。
現代文化の様式論(スライド内で紹介したもの)
Juul, “Sailing the Endless River of Games: The Case for Historical Design Patterns,” The First International Joint Conference of DiGRA and FDG 2016, Dundee, 2016. https://www.jesperjuul.net/text/endlessriverofgames/
松永「ピクセルアートの美学 第2回 ピクセルアートと様式」カレントコンテンツ、2020年 https://mediag.bunka.go.jp/article/article-16323/
松永「様式化されたシミュレーション:JRPGの「不自然さ」を考える」、楊・鄧・松本編『日中韓のゲーム文化論』所収、新曜社、2024年
文学部公式サイトに関係するアンケートへの回答のお願い
趣旨:文学部の系分属および専修分属に関する情報を分属前の学生さんにどう伝えるのがよいかということが検討されています。毎年9月の分属説明会やそこで提示される資料が、現状ではあまり有効に機能していないと思われるためです。
質問内容:系分属および専修分属の選択をする際にどういう情報があるとうれしいか(どういう点で困ったか)について、学生目線でのご意見を頂戴したいです。答えられる部分だけでも答えていただけると助かります。
対象:文学部2・3・4回生、文学部卒業者
回答方法:今日中に、リアクションペーパーのURLとは別に、PandAのお知らせで回答用のURLをお送りします。無記名回答です。
回答期限:締め切りは設けませんが、できれば今週金曜日までにお願いします。
スライドおわり