メディア文化学/美学美術史学(特殊講義)
月曜4限/第3回
松永伸司
2025.10.27
授業資料について
PandAの「基本情報」にあるURLから、授業資料置き場(Scrapbox)に飛べます。そのページをブックマークしておくことをおすすめします。
授業資料置き場(Scrapbox)のURLは、オンラインで公開・共有しないでください。
授業資料は、基本的にスライド(いま見ているこれ)を毎回作る予定です。
紙で何かを配ることはありません。授業資料は、各自のノートPCやスマートフォンで閲覧してください。
スライドをPDFで見たい方は、Scrapboxの「スライドをPDFとしてダウンロードする方法」のページを見てください。
Slidoについて
授業中に質問や感想などを投稿するツールとしてSlidoを使います。
SlidoのURLは毎回異なります。URLはScrapboxで共有します。
Slidoに投稿した内容は受講者全員に共有されます。
Slidoの投稿は成績評価には影響しません。
授業中いつでも書き込んでかまいません。
授業に関わる内容であればなんでもかまいません。
質問などに対しては必要なかぎりで反応します。
成績評価について
配点は、平常点50%、期末レポート50%の予定ですが、期末レポートの内容をどうするかは未定です。
平常点
平常点は、毎回授業後にGoogleフォームで提出していただくリアクションペーパーの提出実績およびコメントの内容で評価します。
提出用のURLは、毎回授業後にPandAのお知らせ機能で共有します。
今日の授業の最後にまた説明します。
期末レポート
詳しい実施要領は、11月下旬以降にアナウンスします。
「作品の事例」概念についてもう少し突っ込んで理解する。
種類と個体のレベルの違いを意識する。
作品自体と作品の内容のレベルの違いを意識する。
事例生成の参照先は、作品そのもの(または作品の事例)ではないことを理解する。
1. 種類と個体
2. 作品とその内容
3. 事例生成の参照先
4. その他
今回の授業は、主に前回のリアクションペーパーに対して答えるというかたちで進めます。新しい話題はほぼ出ません。
リアクションペーパーから
「パフェが芸術であるという言説があるとおっしゃっていたことに関して、食べ物が作品であるという考えを受容するかどうかは難しいと思いました。食べ物は視覚で楽しんだり根拠をもって評価をしたりと、鑑賞および批評の対象となり得ます。一方、個別化され同定されると言い切るのは困難であると感じます。例えば≪真珠の耳飾りの少女≫の場合は、絵画というジャンルの中で「これ」と言って名指すことができますが、肉じゃがの場合は、肉じゃがというジャンルを指すことはできても、家の肉じゃがやお店の肉じゃが、つまり個々の肉じゃがを「これ」といってある社会の中で名指しづらいと思います。作品というものを特徴づけする場合も、食べ物は絵画や音楽と比べて、例として挙げにくいので難しいと思いました。」
整理
以下を区別する。
①「肉じゃが」という食べ物の種類。
②「お店Aの肉じゃが」「レシピBにもとづいて作られる肉じゃが」という、①よりも狭い範囲の食べ物の種類。
③個々の肉じゃが。たとえば「今日私が作った肉じゃが」、「昨日お店Aで私が食べた肉じゃが」。
①②は種類(個体の集合)、③は個体(個別的な具体物)である点に注意。
※「タイプ/トークン」という有名な区分を導入したほうが便利だが、新しい概念を導入すると認知的負荷がかかると思われるので、今回は「種類/個体」という言い方で説明する。「タイプ/トークン」については次回取り上げる予定。
①種類としての肉じゃが
②お店Aの肉じゃが
カレー
肉じゃがカレー
🥔
🥔
🥔
🥔
③私が今日作った肉じゃが
③私が昨日お店Aで
食べた肉じゃが
②レシピBにもとづいて
作られた肉じゃが
🥔
🥔
🥔
③私がレシピBに従って
おととい作った肉じゃが
🥔
🥔
🥔
🥔
🍛
🍛
🍛
🍛
🥔
②スーパーCの
冷凍肉じゃが
🥔
鑑賞・批評の対象になるのはどのレベル?
料理鑑賞の実践によるとしか言えないが、①が鑑賞・批評の対象になることはあまりなさそう。
一方、②は普通に鑑賞・批評の対象になりえる。批評(理由にもとづいた価値づけ)の対象という点では、③よりも②のほうが普通かもしれない。
②を鑑賞・批評する場合も、当然ながら③(個体)としての事例を直接に味わうことを通して、②を鑑賞・批評することになる。
リアクションペーパーから
「作品の事例が「物体」の場合においてもかなりグラデーションがある気がして理解しにくかったです。例えば、絵画は確かに私たちが直接的に触れるのは描かれた絵、その物体そのものであるというのは理解できます。ただ、小説の場合、知覚経験の直接の対象が紙の冊子や文字であるというのは感覚的に不自然に感じてしまいます。紙に描かれた文字を眺めていてもそれは小説を読んだことにはならないように思うからです。小説に描かれた物語を受け取るにあたって、文字を読もうが朗読を聞こうが同じ物語であると私は感じます。絵画や彫刻は確かに物が大切ですが、小説はそうではありません。私としては、作品の事例が物体か出来事かという区別はあまり説得力を感じられませんでした」
前提
芸術存在論では、大半の文学作品(小説や詩)の同一性は、文字の並び(あるいは単語の並び:word-sequence)によって規定されるという考えが標準である。
通常の小説の場合、読者は物語の内容(や場合によっては文体の味わい)を楽しむわけだが、それらは作品の内容であって、作品そのものとは区別される。
作品の内容が作品そのものとは区別される理由はいくつかあるが、ひとつには、物語の内容(当の虚構世界の中でどのような出来事がどのような順序で起きるか)は翻案作品でも維持できるという事実がある。翻案作品は別の作品である以上、物語の内容を作品と同一視することはできない。
ちなみに、具象画などでも作品自体と作品の内容の区別は言える。
言語芸術としての文学
文学作品には、「作品/作品の内容」の区別とは別のややこしさもある。
通常の小説の場合、物理的な冊子(物体)で読もうが、電子書籍リーダー(物体)で読もうが、テキスト読み上げ(出来事)で読もうが、誰かの朗読(出来事)で読もうが、同じ作品の事例と見なせるという事実がある。
これは、そもそもインクによる印字でも音の生成でも実現できるという、言語が一般に持つ特性によるが、結果として、文学作品の事例は必ずしも物体である必要はないという帰結が出てくる。
タイプとトークン
芸術存在論では、読み上げの事例と印字の事例が「同じ」文学作品の事例であることを説明するために、「タイプ/トークン」の区分を利用するのが一般的である。
この対概念については次回授業で詳しめに紹介する予定だが、先に示した「種類/個体」に近い区分だと理解しておけば問題ない。
読み上げ事例と文字列事例は、同一の「タイプ」に属する異なる「トークン」として説明される。
同じ文学作品の諸事例の間には、多くの質的な違いがあるのが普通だが(たとえば、フォントの違い、文字サイズの違い、インクの色の違い、紙質の違い、組版の違い、etc.)、それらも「タイプ」としては同じという説明がされる。
前回のSlido/リアクションペーパーから
「「作品の事例」を作る際の源は「作品」だと思っていたのですが、「お手本/記録媒体/指示書」と「作品」は違いますか(違うように思えます)」
「写真においては事例生成の際ネガが参照されて個々の事例が作られるというお話がありましたが、そのネガ自体(あるいは浮世絵の版木などもそうですが)は芸術作品(事例)とは捉えられないのでしょうか?」
「疑問点として、事例が物体であるものと出来事であるもの、という分け方については音楽がやや扱いづらいのではないか、ということを考えました。レコード盤は物体ですが、あれを再生せずに物体として持っている状態が「音楽」という作品の事例かというと違うのではないか、とも思います。再生されなければ音楽の事例にはならないのではないか、と思いました。そのあたりは単純に2分割されるものでもなく「出来事に使われる物体」のような事例も考えるべき、ということでしょうか?」
前回のスライドから再掲
作品の事例を作る際に、何が参照されるかという観点での区分もある。要するに、何をベースにして事例が生成されるかという区分※。
(a) お手本(exemplar)つまり模範的な事例を参照先にするケース
例:模範となる演奏 → 個々の演奏
(b) 作品の性質がエンコードされた記録媒体を参照先にするケース
例:フィルム写真のネガ → 個々のプリント
(c) 指示書(instruction)を参照先にするケース
例:楽譜 → 個々の演奏
※この三区分は、S. Davies, "Ontology of Art," in The Oxford Handbook of Aestheticsよる分類をそのまま借りた。
回答
まず、事例生成の参照先は(お手本のケースを除けば)作品でも作品の事例でもない。
理由は、少なくとも標準的な鑑賞実践においては、事例生成の参照先が鑑賞・批評の対象になるわけではないから。
楽譜やレシピ、版木やCDの盤をしげしげと眺めることで当の作品の鑑賞になるわけではない。
「楽譜を見ることで脳内で音楽が鳴って~」みたいな言説はよくあるが、それも楽譜自体を鑑賞しているわけではないので、とくに反例にならない。
例示を増やしてみる
(a) お手本(exemplar)つまり模範的な事例を参照先にするケース
例:
口承の音楽:模範となる演奏 → 個々の演奏
小説:作家の直筆原稿 → 個々の印刷物
ワープロソフトで執筆するケースはまた微妙に違った話になりそうだが、無駄にややこしくしないために昔ながらの手書き原稿を想定している。
実際には直筆原稿から印刷物までの間に清書・組版など複数の制作プロセスを挟むが、単純化している。
お手本は、それ自体として作品の事例になる。
(b) 作品の性質がエンコードされた記録媒体を参照先にするケース
例:
フィルム写真:ネガ → 個々のプリント
木版画:版木 → 個々の刷り
録音音楽:CD → 個々の再生
映画:フィルム → 個々の上映
このケースでは、事例生成は記録媒体にエンコード(符号化)された情報を、デコード(復号)するプロセスになる。デコードは、人力でなされることも機械的になされることもある。
(c) 指示書(instruction)を参照先にするケース
例:
演奏音楽:楽譜 → 個々の演奏
演劇:戯曲・台本 → 個々の上演
建築:設計図 → 個々の建物
料理:レシピ → 個々の料理
この(c)の方法が成り立つには、記譜法(notation)がある程度確立されている必要がある。
(b)と比べて、(c)は作品の事例が満たすべき条件が相対的にゆるい(ようするに指示書は記録媒体に比べて細かい点まで規定していない)。結果として、一般に(c)の方法による事例生成は、(b)の場合よりも事例間の多様性を許容する。
(b)のケースの複雑さ
映画を例に:
作品 → マスターフィルム(個体)
(b)のエンコードのプロセス。
マスターフィルム(個体) → 個々の上映用フィルム(個体)
このプロセスは(a)に近い。
個々の上映用フィルム(個体) → 個々の上映(個別的出来事)
これは(b)のデコードのプロセス。
毎回の授業後に、Googleフォームを通してその回の授業についてのコメントを提出していただきます。
GoogleフォームのURLは、授業後にPandAの「お知らせ」で共有します。
提出の締め切りは、その週の木曜日の23時です。
提出実績およびコメントの内容は、成績評価に使います(評価基準については次頁を参照)。
コメントは、名前を伏せたかたちで次回の授業で紹介することがあります。
重要そうな質問・疑問には、基本的にScrapboxのQ&Aページで答えを返します(すべてに返すわけではありません)。
コメントの内容は、その回の授業の内容(とくに重要なポイント)について、ご自分が理解したこと・考えたことや疑問・質問などを自由に書いてください。高いクオリティはとくに求めません。重要なポイントがなんとなく理解できている(あるいはどの点が理解できなかったかを自分で理解している)のがこちらに伝われば、平常点の評価としては問題ありません。
ただし、以下の点に注意してください。
白紙やその回の授業に関係のないことしか書かれていない場合は、不提出と同じ扱いにします。また、ろくに授業を聞いてないっぽい(あるいはまるで理解してないっぽい)コメントの場合は大きく減点します。
日本語の文章として明瞭でない(何が言いたいのかぱっと読んでわからない)場合も減点します(非日本語ネイティブには配慮します)。
不必要な情報を書き連ねるとか、極端に冗長である場合も減点します。
コメントはLLMだけで済まさないでください。クオリティが低くて読んでいてうんざりするからです。
スライドおわり
来週(11/6)は休講にします