音楽作品の存在論の前置き
メディア文化学/美学美術史学(特殊講義)
月曜4限/第4回
松永伸司
2025.11.10
「タイプ/トークン」という対概念を理解する。加えて、そのための前提として、「普遍者」と「個別者」の区別という存在論の基本的な考え方を理解する。
音楽作品の存在論の代表的な論者の説と、その背後にあるモチベーションを大まかに理解する。次回にします。
1. 質問・疑問コーナー
2. 普遍者と個別者
3. タイプ/トークン
4. 音楽作品の存在論
今回は存在論一般の話題で、抽象度が高いです。
音楽作品の存在論の前提として詳しめに説明しておきたいのですが、分量が多くなったので、音楽作品の存在論(実質的にはオーソドックスなクラシック音楽作品の存在論)は次回に回します。
ポピュラー音楽(主に録音音楽)の存在論については次回か次々回に扱いますが、その他の多様な音楽実践(たとえば伝統的な民族音楽、ジャズ、サンプリングベースの音楽、etc.)にどこまで言及するかは未定です。
美学者の基本スタンス
複雑または特殊なケースを挙げて「こういう場合の作品はどれになるのか、これとこれは同じ作品なのか」式の疑問を書くコメントが少なからずあるので、美学者としての(おそらくは標準的な)態度を示しておきます。
引用元
前々回のスライドの「実践をすっきり説明する」の箇所も参照してください。
「タイプ/トークン」と「作品/作品の事例」
「作品/作品の事例」は、鑑賞・批評の実践をうまく説明するための道具です。
「タイプ/トークン」は、より一般的な(抽象度の高い)区分で、作品とその事例の関係やそれぞれの存在のあり方を考えたり説明したりするための道具です。
具体例ベースで考えると一見同じ概念に見えると思いますが、何を説明しようとしているかの目的が違うという観点から見てみてください。
タイプやトークン、種類と個体といった概念は前回扱った作品と事例の関係と少し似ていて混乱しそうになった。トークンや個体は、タイプに対応するすべての事例の集合体という理解でよいのだろうか。
作品自体と作品の内容の区別に関する話が難しく感じました。鑑賞者が楽しむのは作品の内容であって、それは虚構世界でどんな出来事がどんな順序で起きるかを指している、ということを理解しました。ただ、翻案作品でもその物語の内容を維持できる、という部分が少し引っかかっており、どこまでの精度で原作をなぞればそう言えるのか疑問に感じました。物語の大筋にそこまで関係しない細かい出来事が省かれていても、維持できていると言っていいのでしょうか。
秘すれば花
参照先のケース分けの話が結構面白かったので自分でも複雑な事例について考えてみた。授業で出てきた複雑な事例とはまた異なるが、伝統芸能の「秘伝」に基づくパフォーマンスの事例も、ある種複雑な参照先のケースとして捉えられると思う。私が長らく習っている茶道で考えると、初級の点前までは師匠の口伝とともに市販の教本があり、指示書参照型と言えるだろう。だが中級に入ると点前は秘伝になり、外部に情報を漏らすことは許されない。ここで完全に師匠(=模範的な事例)を参照するケースに切り替わる。茶道が芸術か否か/他の芸術の形式と同じ枠組みで語れるかは置いておいて、点前をある種のパフォーマンスとして考えるとこのように捉えられもするのではないか。
普遍者の例示と特徴づけ
普遍者のいろいろなカテゴリー
素朴な事実
赤い物体は世界にたくさんある。
本屋には本がたくさんある。
コンビニにはチョコのアイスがいくつかある。
ピカチュウの個体はたくさんいる。
体重が55kgの人は世界にたくさんいる。
iPhone 17は1000万台くらい生産されている。
歴史上、暗殺事件はたくさん起きた。
毎日、たくさんの人が勉強という行為をしている。
いまこの教室には複数の人がいる。
個々のものが同じ何かを共有する
いずれも、個々のものがある点で「同じ」であるという例。言い換えれば、個々のものが「同じ何か」を部分的に共有しているという例。
個々の物体が〈赤さ〉という性質を共に持っている。
個々の物体が〈本〉という種類に共に属している。
個々の人が〈体重55kg〉という性質を共に持っている。
個々の物体が〈iPhone 17〉という種類に共に属している。
個々の出来事が〈暗殺事件〉という種類に共に属している。
個々の行為が〈勉強〉という種類に共に属している。
個々の人が〈この教室にいまいる人〉という集合に共に属している。
普遍者と個別者
このように、複数の個々のものに共有される(正確には共有されうる)何かのことを、哲学用語で「普遍者(universal(s))」と言う。それに対して、個々のもののほうを「個別者(particular(s))」と言う。
訳語では便宜上「者」がつけられるが、人にかぎるわけではない。なんであれ、存在するものごとをすべて含む。
この区分は、古代から現代にいたるまで、いろいろな哲学分野で基礎的な考え方として使われ続けている。
アリストテレスの「第一実体」は個別者、「第二実体」は普遍者のこと。
近世以前の哲学の文脈では「普遍/個物」と訳されることも多い。
赤さ
普遍者
赤いものA
赤いものB
赤いものC
赤いものD
個別者
普遍者としての性質とそれを持つ個別者の関係は
一般に「例化(instantiation)」と呼ばれる。
たとえば、赤いものAは赤さを例化している。
赤い個別者たちは、赤いという点で互いに同じ(似ている)。
豆知識:普遍論争
「普遍論争」と呼ばれる中世スコラ哲学の有名な論争がある。これは、いま示した意味での普遍者が実在するか否かをめぐる論争である。
普遍者は実在するのだ(たとえば、プラトンが言うイデアのようなかたちで実在するのだ)とするのが「実在論(realism)」、普遍者は実在しないのだ(たとえば、私たちがものごとをグルーピングしてラベルを付けているにすぎないのだ)とするのが「唯名論(nominalism)」。
現代形而上学でも似たような論争はいろいろなところでなされているが、音楽作品の存在論でも「実在論 vs 唯名論」という対立軸で議論されることがある。覚えておくと便利。
普遍者と個別者のよく言われてきた対比(ただし論争含み)
| 普遍者 | 個別者 | |
|---|---|---|
| 述定可能性 | 命題内で述語になりえる | 命題内で述語になりえない(主語にしかならない)※ |
| 反復可能性 | 別の時と場所で再度現れうる | 生成と消滅が一度きり |
| 抽象性 | 抽象的(abstract) | 具体的(concrete) |
| 因果性 | 因果的な効力を持たない | 因果的な効力を持つ |
| 時空間的位置 | 時空間的な位置を持たない | 時空間的な位置を持つ |
※「宵の明星は明けの明星だ」のような、何かと何かが同じひとつの個別者であるという言明は、「同一性言明」と呼ばれる。この場合の「明けの明星」は(文法上どうであるかはともかく)命題上は述語扱いされないのが普通。
普遍者は、いくつかのカテゴリーに分けられる。
性質(property)
赤さ、55kg性、けばけばしさ、etc.
種類(kind)
猫、ピカチュウ、チョコアイス、iPhone 17、etc.
集合(set / class)
この教室にいまいる人の集まり、自然数の集まり、etc.
込み入った論争が多い話題なので話半分で問題ないが、これらのカテゴリーがどれかひとつに還元できるのかどうか(たとえば、性質や種類は集合に還元できるのかどうか、できないとすれば何が足りないのか)という問題は、分析哲学の古典的な問題のひとつとしてある。ベン図(集合の図)で何が描けて何が描けないのかという話でもある。
タイプ/トークンの例示と特徴づけ
他の普遍者と何が違うのか
トークンと個別者
質問
以下の詩文の中に単語はいくつあるでしょうか。
Rose is a rose is a rose is a rose.
2つの数え方
Rose is a rose is a rose is a rose.
数え方①
10個{Rose, is, a, rose, is, a, rose, is, a, rose}
数え方②
3個{rose, is, a}
「単語の個数」と一口に言っても、2つの異なる解釈がありえる。②の数え方は、単語のタイプの個数を数えている。
言語記号のタイプ/トークン
タイプ/トークンの区別(type-token distinction)は、C. S. パースによって最初に導入された。
タイプ:単語そのもの、たとえば"the"という単語そのもの。
トークン:その単語の個々の現れ、たとえばある本の中にある"the"という文字列のすべて、ある会話で発声される[ðə][ði]音のすべて。
この区別は、もともとは、言語記号にある2つの異なる水準(タイプとしての言語記号そのものと言語記号の個別の現れ)を区別するという文脈で使われるものだったが、その後いろいろな哲学分野でさまざまに使われていった。
美学では、とくに芸術存在論の話題で頻繁に召喚される。
余談:記号論を少し勉強した人向けの注意
タイプ/トークンの区別は、いわゆるシニフィエ/シニフィアン(記号内容/記号表現)の区別とは完全に別物なので、混同しないように注意。
「雨」という文字列の印字 ← 単語トークン
「雨」という単語 ← 単語タイプ(シニフィアン)
〈雨〉という意味内容 ← 意味タイプ(シニフィエ)
2つの区別の掛け合わせで4項を作るモデルもよくある(ある見かたをすれば、ソシュールの記号論自体がそういうモデルになっている)。
タイプ/トークンの区別で説明されがちな例
人工物
一個の機種としてのiPhone 17/個々のユーザーが持つiPhone 17
行為
一個の行為種としての窃盗行為/個々の場面での誰かの窃盗行為
自然物
一個の生物種としてのタヌキ/タヌキの諸個体
文
特定の単語の特定の並び/個々の印字された文字列や一連の発声
普遍者としてのタイプ
自然に考えれば、個々のトークンに共有される何かであるという点で、タイプも普遍者の一種である(異論はあるものの、細かい話なのでスルーする)。
iPhone 17
タイプ
Bさんのiphone 17
トークン
それぞれのスマホは同じ機種(似ている)。
Aさんのiphone 17
Cさんのiphone 17
Dさんのiphone 17
タイプと集合と違い
集合は、それに属するメンバーによって同定される。ある集合のメンバーが入れ替われば、定義上、別の集合になる。タイプは、それに属するトークンが増えようが減ろうが通常は同じままである。
トークンが0個のタイプもありえるが、トークン0個のタイプの間で区別がつけられる。たとえば、いまだにひとつのトークンもない文のタイプは無数にあるだろうが、それらは互いに別のタイプである。空集合(メンバー0個の集合)の場合、そうはならない。
個々のトークンが共通に持つ特徴の多くを、それらが属するタイプ自体も持つ。集合の場合、そのメンバーが共通に持つ特徴をその集合自体が持つことはあまりない(体重55kgの人の集まりの重さは55kgではないし、偶数の集まりは数ではない)。
飛ばします
タイプと性質と違い
性質は、典型的には述語として表現される。一方タイプは、個別者と同じく、典型的には単称名で表現される。
「~は白い」、"... is white" ➡ 白さ
"iPhone 17" ➡ iPhone 17
「白いものは白い」という言い方は成り立つが、「白さは白い」と言うのは意味不明である。一方タイプの場合、それに属する諸トークンが本質的に持つ特徴を、タイプ自体も持つと言える。「iPhone史上最薄」という特徴を、iPhone 17の諸トークンも持つし、iPhone 17のタイプも持つ(少なくとも私たちはタイプについてそのように語る)。
総じて、タイプは物(object)に近いあり方をしている。
飛ばします
注意点
トークンになるのは定義上つねに個別者だが、「トークン」という概念は「個別者」とイコールではない点に注意。
トークンは、必ず「何々(特定のタイプ)のトークン」という仕方で、タイプとセットになる。タイプ抜きのトークンはない。それに対して、個別者は、普遍者とセットである必要はない。
例:
「〈アメリカ大統領〉タイプのトークン」と「ドナルド・トランプ」は同一の個別者を指すが、トランプはアメリカ大統領でなくなってもその個別者としての同一性を失わない(アメリカ大統領のトークンではなくなる)。
存在論・形而上学
秋葉剛史『形而上学とは何か』筑摩書房、2025年
倉田剛『日常世界を哲学する』光文社、2019年
倉田剛『現代存在論講義I・II』新曜社、2017年
タイプ/トークン関係
Linda Wetzel, "Types and Tokens," SEP, 2006.
リチャード・ウォルハイム『芸術とその対象』松尾大訳、慶應義塾大学出版会、2020年
次回予習用
銭清弘「音楽作品の存在論まとめ:レヴィンソン vs ドッド」obakeweb、2018年
時間が余ったら
質問コーナーの続き、
Slidoへの応答などをします
スライドおわり