メディア文化学/美学美術史学(特殊講義)
月曜4限/第6回
松永伸司
2025.12.08
「タイプ/トークン」という対概念を理解した。
その対概念が、クラシック音楽作品とその個々の演奏に適用できることを確認した。
タイプ実在論 vs. 唯名論という不毛なバトル(無視してOK)があることを確認した。
「タイプ/トークン」の考え方がポピュラー音楽にどこまでスムーズに当てはまるか当てはまらないかを見る。
芸術存在論の理論をどう作るかは、私たちの鑑賞・批評の実践のあり方に依存することを理解する。
1. ポピュラー音楽の実践
2. 録音再生とライブ
3. 楽曲のカバーを説明する
ポピュラー音楽とはなんだ
素朴な事実
定義論はしない
前期の授業を聞いていた人はだいたい理解していると思うが、文化的カテゴリーの定義論は不要かつ不毛なのでしない。
👉 参考
とはいえ、まったくの説明なしだと「ポピュラー音楽って何?」と思う人もいると思われるので、簡単な特徴づけと例示をしておく。
以下に挙げる特徴は必要条件でも十分条件でもないので注意。「反例がありますけど?」みたいなクソリプはしないでください。
非専門性
「ポピュラー音楽」という言い方は、本来はマスプロダクション(大量生産)や商業主義(大衆受け狙い)を前提とした言い方だと思われるが、現代のポピュラー音楽は必ずしもそういうニュアンスではない。オルタナティブ志向のインディー音楽もノイズ音楽も、カウンター志向のパンクもヒップホップも、すべてポピュラー音楽に含めてよい。
この意味でのポピュラー音楽は、通常クラシック音楽と対比されるが、そこでの対比のポイントは、(鑑賞および制作・演奏に関する)高度な専門性の有無だと思われる。あるいは、高度な専門教育が十分に制度化されているかどうかの違いと言い換えてもいいかもしれない。
余談:「サブカルチャー」の誤用に注意
ついでに書いておくが、日本では「サブカルチャー」という語の誤用が多すぎるので注意。「サブカルチャー」を「ポピュラーカルチャー」や「ローカルチャー」と似たような意味で使うのは明確に誤用である。
👉 参考ツイート
サブカルチャー(subculture)は、主流(mainstream)のカルチャーに対置される概念であって、ハイブロウ/ローブロウ(高尚/低俗)の対比とは直接には関係ない。同じくポピュラーカルチャーかどうかにも関係ない。
サブカルチャーは、一般にオルタナティブ志向やカウンター志向を持つ文化であり、それゆえどちらかと言えば(少なくとも大衆好みの薄味の文化という意味での)ポピュラーカルチャーとは逆方向の概念である。
音楽ジャンルの傾向
ポピュラー音楽は、音楽の中身(音楽ジャンル)によってもある程度特徴づけられる。
ポピュラー音楽とされがちな音楽ジャンル:
ブルース、カントリー、ロック、ポップス、R&B、ヒップホップ、演歌、各種のクラブ音楽、ボカロ、etc.
ポピュラー音楽とされないがちな音楽ジャンル:
クラシック、伝統的な邦楽、ジャズ(微妙)、各種の民族音楽(微妙)
録音音楽ファースト
マスプロダクションや商業主義の帰結だが、ポピュラー音楽は、基本的に録音物として頒布・鑑賞される。もちろんライブ演奏の実践もよくあるが、録音音楽としてのあり方が第一にあるのが普通である。この点は、クラシックや民族音楽との顕著な傾向の違いと言ってよい。
もちろんクラシック音楽も録音されて頒布・鑑賞されるので、線引きの基準にはまったくならないが。
理論が説明すべきことの確認
クラシック音楽の回ではきちんとやっていなかったが、本来の芸術存在論は、鑑賞・批評の実践を観察・記述するところから始まる。というのも、どういう事実を説明するために理論をデザインするかを、最初にある程度はっきりさせておいたほうがいいから。
ポピュラー音楽の実践についても、観察できる素朴な事実をまず確認しておく。
録音音楽の制作と鑑賞
演奏のレコーディングや打ち込みによって録音物のマスターが制作される。
そのマスターのコピーが、販売・頒布される(物理的な記録メディアの頒布であれ、デジタルデータの頒布であれ)。
録音物の個々のコピーは、鑑賞者が所有する音楽再生デバイス(オーディオシステムであれスマホ+イヤホンであれ)によって機械的に再生される。
鑑賞者は、その再生を通じて鳴る音を鑑賞する。場合によっては、その鑑賞経験にもとづいて曲を批評する。
録音再生とライブ
ポピュラー音楽の鑑賞には、録音物の再生による音楽の鑑賞とは別に、ライブを通じた音楽の鑑賞もよくある(生楽器をどこまで使うか、どこまでがその場での生演奏であるかはともかく)。
ライブの鑑賞では、通常、曲自体が鑑賞される面と、ライブのパフォーマンス(演奏行為や舞台演出をはじめとした当の出来事の全体)が鑑賞される面の両方がある。
パフォーマンスを鑑賞するという面は、録音物の再生の場合は普通ない(録音物の再生においても、再生デバイスの品質についての批評はありえるが、それは目下問題にしたい意味での音楽鑑賞・批評の実践ではない)。
楽曲のカバー
あるひとつ楽曲を「カバー」するという実践がある。
楽曲のカバーは、大まかに特徴づければ、ある楽曲に一定のアレンジを加えて別物にするという実践である。
楽曲Sのカバーは、楽曲としてはSだが、「Sのオリジナル」とは別の作品である。
カバーは、ライブで演奏されるだけの場合もあれば、録音物として形になる場合もある。
説明したいこと
ポピュラー音楽の実践には、他にも特徴的な事実がいろいろあると思われるが、今回の授業では、(a) 録音再生とライブとでは鑑賞のあり方に違いがある、(b) ある楽曲のオリジナルとカバーは別の作品と見なされる、の2点に注目する。
以下では、それらの事実を存在論的に説明するのに、どのような理論的な概念が必要か(クラシック音楽の場合とどう違うのか)を考える。
今井の議論
少し複雑にして図式化する
論文「ポピュラー音楽の存在論」
今井晋は、論文「ポピュラー音楽の存在論:《トラック》、《楽曲》、《演奏》」(『ポピュラー音楽研究』15号、2011年)において、ポピュラー音楽の存在論を本格的にやっている。今井の議論を足がかりに考えていこう。論文の要旨は以下の通り。
本稿では音楽の哲学における存在論の議論を参考としながら、ライヴ演奏とレコード鑑賞における対象の存在論的性格と関係を明らかにする。ポピュラー音楽の鑑賞の対象として《楽曲》・《演奏》・《トラック》という存在者があることが明らかになり、ライヴ鑑賞においては、《楽曲》と《演奏》の間に、レコード鑑賞においては《トラック》と同一の録音物の《再生》、および《楽曲》と同一の録音物の《再生》間それぞれに、タイプとトークンという一般的な存在論的関係があることも示される。さらに以上の存在者と関係を用い、ライヴやカヴァー、リマスターなどのポピュラー音楽の実践を統一的に説明する。
「作品」ではなく「鑑賞の対象」を問題にする
「我々は〔ポピュラー音楽の鑑賞において〕どのような対象について批評や判断を行っているのかを明らかにする必要がある」
「本稿は「ポピュラー音楽にとって作品とは何であろうか?」という問いには答えない。その代わりに、「ポピュラー音楽の鑑賞において、重視される対象は一体いかなる種類のものであるのか?」という問いを立てる。」
「〔「作品」という概念にこだわることで陥る〕問題を避けるために、ポピュラー音楽における鑑賞を大まかに「ライヴ鑑賞」と「レコード鑑賞」という二つの種類に区別し、それぞれの鑑賞における対象の存在論的性格とその関係を議論する。」
「ライヴ鑑賞」における鑑賞の対象
ライブでの鑑賞対象には、「楽曲(song)」と「演奏(performance)」の2つがある。
この点では、クラシック音楽とポピュラー音楽は大差ない。
《楽曲》と《演奏》という関係は、西洋のコンサート文化の影響を受け、ポピュラー音楽のライヴ演奏においても成立している。〔…〕クラシックのコンサートにおいては、聴衆はベートーヴェンが作曲した《楽曲》「交響曲第5番」を、カラヤンの指揮によるベルリン・フィルの《演奏》を聴くことによって鑑賞する。同様に、私はストゥージズのオリジナルメンバーによって作られた《楽曲》「I Wanna Be Your Dog」を、1998年の8月1日にイギーとそのサポート・ミュージシャンたちの《演奏》を聴くことによって鑑賞する。つまりライヴにおける鑑賞の対象は《演奏》それ自体と、《楽曲》の二つあるのだ。
「楽曲」と「演奏」の存在論的な関係
今井によれば、クラシック音楽の場合と同様に、ポピュラー音楽のライブにおける鑑賞の対象は、タイプ/トークン(普遍者/個別者)関係で説明できる。
論文から図を引用:
「レコード鑑賞」における鑑賞の対象
今井によれば、録音再生での鑑賞対象には、「楽曲(song)」と「トラック(track)」がある。
「トラック」もまた個別の「再生」(トークン)によって例化されるタイプだが、「楽曲」よりも「分厚い」性質を持つ。
自宅のオーディオでCDの2曲目「I Wanna Be Your Dog」を再生したとき、それは毎回、微妙に異なる個別の音の出来事が発生する。しかしながら、我々はその個別の音の出来事それ自体を鑑賞の対象とするというよりも、その音の出来事をトークンとするいくつかのタイプを鑑賞の対象とするだろう。〔改行〕そのようなタイプの一つとして考えられるのは、前節で説明した《楽曲》がありうる。〔…〕それではレコード鑑賞において、鑑賞の対象となるタイプは《楽曲》だけであるのか。もちろん、そうではない。我々はCD『The Stooges』の2曲目の《再生》によって、《楽曲》としての「I Wanna Be Your Dog」を鑑賞すると共に、レコーディングされたその独特な楽器の音響やイギー・ポップの歌い方の細部までを、我々はレコードを通して鑑賞している。
「楽曲」と「トラック」の違い
楽曲:メロディー、ハーモニー、リズムなどで構成される音の構造
トラック:録音技術によって記録・再生可能な「分厚い」音響的性質のすべて
つまり録音物の《再生》において、我々が鑑賞の対象として持ちうるのは、前述した《楽曲》〔=音の構造〕に加え、特定のミュージシャンが特定の楽器やスタジオの機材を用いて構築した音のタイプである。それは「ある一定のメロディーやハーモニー、リズム」だけでなく、「特定の楽器の音響や特定の人の声質」など、録音技術によって録音再生される最大限に分厚い性質を持っている。そして、Andrew KaniaはGracykの議論を引き継ぎ、この存在論的に分厚く、録音物のコピーの再生を通して例化されるものに《トラック》という名前を与える。
「楽曲」「トラック」「再生」の存在論的な関係
今井によれば、「楽曲」も「トラック」もタイプであり、個別的な「再生」によって例化される。「楽曲」と「トラック」は、性質の「分厚さ」の点で異なる。
今井の理論の評価
今井の「楽曲」と「トラック」の区別は、録音音楽の再生の鑑賞において、音の構造としての曲そのものを鑑賞することに加えて、そこに「録音」されている分厚い音響自体を鑑賞する面もあるという事実をうまく説明している。
また、「トラック」をタイプとして説明している点も理論的に適切だろう。「トラック」もまた「楽曲」と同じく、さまざまな場所・時間にさまざまなデバイスで再生されることで、繰り返し具体化されるものだからだ。
今井自身は、録音物の頒布については積極的にモデルに組み込んでいないが、その点も含めてもう少し複雑な図式を作ってみよう。図式化によって余計ややこしくなるかもしれないが、存在論的に見れば実際にややこしい構造をしているのがわかるという利点がある。
個別者
楽曲「I Wanna Be Your Dog」[S]
普遍者
Sの演奏 [p1]
例化
[p2]
[p3]
p1, p2, p3...はSのトークン。
鑑賞者は、p1, p2, p3...を通じてSを鑑賞すると同時に
個別的な出来事としてのp1, p2, p3...自体も鑑賞する。
色分け
例化関係
個別者間の関係
ライブの鑑賞の構造
録音物『The Stooges』のマスター [Rm]
個別者
Rmのコピー [R1]
楽曲「I Wanna Be Your Dog」[S]
トラック「I Wanna Be Your Dog」[T]
普遍者
R1の2曲目の再生 [p1]
再生
複製
例化
[R2]
[p2]
[p3]
[R3]
[R4]
例化
p1, p2, p3...はSのトークンでもあるし、Tのトークンでもある。
鑑賞者は、p1, p2, p3...を通じてSやTを鑑賞する。
色分け
※Rmの2曲目の再生や、R2, R3, R4...の2曲目の再生も、SやTのトークンになる。
※Rm, R1, R2...自体が例化する《録音物のタイプ》も考えられるが、図には含めていない。
※曲単位ではなくアルバム単位での《トラック》もありえる。その場合、そのトークンはアルバム全体の再生である。
例化関係
個別者間の関係
録音再生の鑑賞の構造
ちょっと休み
カバーの事例
カバーを説明する
楽曲のカバーはたくさんある
ポピュラー音楽の実践において、楽曲のカバーは、ジャンルを問わず頻繁に見られる現象である。
いわゆるセルフカバー(他のアーティストに自作の楽曲を提供したアーティストが、自分でもその楽曲の別バージョンを制作・演奏すること)も、少なくとも存在論の構造から言えば、通常のカバーと違いがない(オーセンティシティの点での違いはあるかもしれない)。
実践において「カバー」とは呼ばれないような微細なバージョン違い(いわゆるリミックスも含む)も、理論上はカバーと同じように考えて問題ないだろう。
カバーの事例
事例は無数にあるが、七尾旅人の「サーカスナイト」とその多様なカバーを挙げておく。
今井によるカバーの説明
今井は「楽曲」と「トラック」の区別を使ってカバーの実践を説明している。
今井によれば、カバーとは、その録音物の再生が、オリジナルの録音物の再生が例化する《楽曲》を例化してはいるが、オリジナルの録音物の再生が例化する《トラック》は例化せず、別の《トラック》(今井の言い方だと《カヴァー・トラック》)を例化しているようなケースのことである。
正確に書くと言い回しがややこしくなるが、簡単に言えば、「楽曲としてはオリジナルと同じだがトラックとしては違う」というのがカバーである。
図にすると?
ライブだけのカバーと録音されたカバーの違いも含めて、カバーの実践の存在論的な構造の全体を図にしようとしたが、面倒になったのでやめた(今井自身も図を描いているが、かなり意味不明な図になっている。右図の通り)。
気になる人は自力で考えてみてください。
その他の説明できそうな実践
コピーバンドがやる「コピー」には、実質的にカバーになっている場合と、特定のトラックの忠実な例化を目指した演奏をしている場合があると思われる。
リマスタリングの扱いもケースバイケースだろう。今井は、リマスター版とオリジナル版を同一のトラックを例化するものとして説明しているが、リマスター版が実質的にカバー(同じ楽曲のトラック違い)として批評されるケースもある。
サンプリングはどういう扱いになるの?
ややこしすぎて考える気が起きないので、気になる人は自力で考えてください。
おそらく、「あるトラックの一部や一側面を別のトラックの要素として組み込むケース」という感じの説明になると思われるが、再生における例化関係を図にしようとするとややこしすぎる。
この授業では、期末レポートの課題を出す予定です。
課題の内容、評価の観点、提出期限、提出方法などの詳細は、Scrapbox上で共有します(来週中くらいをめどに共有します)。
いまのところ、締め切りは、学部4回生と修士2回生(いずれも留年予定者含む)は1月末、それ以外は2月中旬になる予定です。
課題の内容は、「特定の文化的なアイテムを取り上げ、その存在論的な特徴を説明せよ。ただし授業内で紹介された概念群を使えるかぎりで使うこと」といったものになる予定です。詳しくはScrapbox上で共有します。
LLMの使用は制限しませんが、授業内容の理解度を重視します。
スライドおわり