系共通科目(メディア文化学)講義A
月曜4限/第6回
松永伸司
2023.06.05
物語言説と物語内容という概念を理解する。
物語論と呼ばれる研究には大きく分けて2種類あることを理解する。
物語論の理論的概念をいくつか理解したうえで、その応用可能性について考える。
1. 物語言説と物語内容
2. 2つの物語論
3. 物語論を応用する
物語ってなんだ
物語言説と物語内容
物語の例示
物語(英:narrative、仏:récit、独:Erzählung)とは何か?
毎度のように、具体例と大まかな特徴づけから考える(「物語」や“narrative”という言葉そのものから考えないようにする)。
物語の例
日本の古典上の「物語」(『竹取物語』、『源氏物語』、『平家物語』、etc.)
戯曲とその上演(ギリシア悲劇、シェイクスピア、近松門左衛門、etc.)
小説
映画の大半
マンガの大半
アニメーションの大半
続き
以上はフィクションの物語の例だが、フィクションでない物語(あるいはフィクションかどうかが微妙な物語)の例もあるとされる。
物語の例の続き
ドキュメンタリー(いわゆるノンフィクション含む)
都市伝説
個人の日記
神話
歴史記述(ヘロドトス『歴史』から学校の「歴史」の教科書まで)
etc.
物語の特徴づけ
こうしたいろいろな物語は、どのように一般的に特徴づけられるか。
後述する物語論という分野の中では、おおむね次の見解が共有されている(細かい点で諸説ある)。
物語の特徴づけ
一連の出来事の表象(representation of a series of events)である。
その出来事群は、互いにある種の関係(典型的には因果関係や理由関係)を持つものとして表象される。
表現媒体(メディア)は問わない。文章、映像、絵、絵と書き言葉の組み合わせ、朗読、身振りや発声を使ったパフォーマンス、etc.が物語のメディアになりえる。
フィクションか否かは問わない。
物語が表象の一種であるとはどういうことか
表象とは(第3回授業のおさらい)
何かが別の何かをあらわす(あるいは別の何かの代わりになる)という、その働きのこと。
以下の関係図式の→に相当する。
「猫」という語 → 猫
the word cat → 猫
猫の絵文字(🐈) → 猫
左辺の〈あらわすもの〉が右辺の〈あらわされるもの〉を表象するという関係になっている(記号論の用語だと、左辺と右辺はそれぞれ「シニフィアン」と「シニフィエ」と言う)。
続き
物語も表象の一種である以上、この〈あらわすもの〉と〈あらわされるもの〉の関係がある。
物語における表象
一連のテキスト → 一連の出来事
一連の映像 → 一連の出来事
一連の絵と言葉の組み合わせ → 一連の出来事
一連のパフォーマンス → 一連の出来事
物語における〈あらわすもの〉と〈あらわされるもの〉
物語論では、物語における〈あらわすもの〉と〈あらわされるもの〉のそれぞれを指すのに、以下のテクニカルタームが使われることが多い。
物語言説(discourse)
物語における〈あらわすもの〉のこと。
たとえば、小説では一連の文字列、映画やアニメーションでは一連の映像(+音声)、マンガでは一連のコマ割りとその中の絵やフキダシなど。
物語内容(story)
物語における〈あらわされるもの〉のこと。
たとえば、フィクションの物語では、架空の世界で起きていく出来事(およびその前提となる舞台設定や登場人物)の集まりのこと。
翻案について
ある物語作品を別の作品に「移す(transfer)」ことを一般に翻案(adaptation)と言う。
古典的な話を現代の舞台に置き換えた作品、小説の映画化、マンガのアニメ化、なろう小説のマンガ化、etc.
物語言説/物語内容の区別を使って言えば、翻案とは〈物語内容をある程度維持したまま、物語言説を大きく変えること〉である。
もちろん物語内容のほうをかなり変えるタイプの翻案もある。
翻案の例(無数にある)
芥川龍之介の短編「藪の中」
今昔物語の「具妻行丹波国男於大江山被縛語」の翻案
黒澤明の映画『羅生門』
芥川「藪の中」の翻案(一部のモチーフは芥川「羅生門」から)
物語内容のパターンについての理論
語りの構造についての理論
物語論?
物語についての理論的研究は一般に「物語論(narratology)」という名前で呼ばれる。
とはいえ、物語についての理論的研究には、少なくとも次の2種類がある。
(a) 物語内容のパターンについての理論
(b) 語り(主に物語言説と物語内容の関係)の構造についての理論
簡単に言えば、物語内容(=お話の中身)だけに注目するタイプと、物語言説・物語内容の関係(=お話がどんな手法で語られるか)に注目するタイプとがある。
※ 余談:学説史的な話を少しだけ書いておく。現在「物語論」と呼ばれている分野は、その名称も含めて、1960年代のフランスで明確に確立したものだが、どちらのタイプの物語論も、構造主義的な記号論(ソシュール系統)とロシアフォルマリズムの文学理論とのつながりが少なからずある。また、これら2つのタイプは、仕事の内容は互いに明確に違うものの、物語論の成立当初はある程度同居していたと言ってよい。それらが研究分野として明確に別物になるのは、おそらく後述するジェラール・ジュネットの仕事以降である。
プロップによるロシアの昔話の類型論
20世紀のロシアの民俗学者ウラジミール・プロップが『昔話の形態学』などで展開したロシアの特定のタイプの民話の物語内容についての研究。
物語内容のパターンの研究の代表例。
プロップによれば、ロシアの「魔法昔話」はたくさんあるが、それらの話の筋を抽象化してみると、ある種の共通のパターン(=類型)が見いだせる。プロップは、そのパターンの構成要素として31個の「機能」(登場人物の行為やそれによって起きる出来事のパターン)を挙げ、それらが決まった順序で並べられることを示している。
これと似たような発想で、たとえば日本のいわゆる異類婚姻譚(「鶴の恩返し」的なもの)の物語内容のパターンを明らかにしようとする研究もある。
キャンベルの「ヒーローズ・ジャーニー」理論
20世紀のアメリカの神話学者ジョゼフ・キャンベルが『千の顔を持つ英雄』で展開した、いろいろな神話の比較研究。
ジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』に影響を与えたことでよく知られるほか、ストーリーの創作指南本で紹介されていることもよくある。
キャンベルによれば、世界の各地域の神話には、英雄が旅するタイプの話があるが、その筋(物語内容)にはおおむね共通のパターンが見いだせる。
引用「英雄は、日常の世界から離れ、超自然的な驚異の世界へと冒険の旅に出る。そこで途方もない力に出会いつつ、最終的な勝利を得る。そして、仲間に恩恵を授けることのできる能力をたずさえて、この神秘的な冒険の旅から帰還する。」
プロップと同様に、キャンベルもこのパターンを17個の「段階」に分解して、より細かく説明している(8個や12個とする説も出回っている)。
語りの構造?
どんな物語内容が語られるか(what is told)ではなく、物語内容がどのように語られるか(how it is told)に注目するタイプの物語論。
「語りの構造に注目するタイプ」や「物語言説と物語内容の関係に注目するタイプ」と言ってもよい。
代表的な論者としては、ジェラール・ジュネット(代表的な著書『物語のディスクール』)やシーモア・チャットマン(代表的な著書『ストーリーとディスコース』)が挙げられる。
先に示した物語言説/物語内容の区別は、このタイプの物語論の標準装備である(逆に言えば、物語内容のパターンだけを取り上げるなら、物語言説という概念はほとんど必要ない)。
文学の理論から他のメディアへ
以下では、ジュネットの古典的な研究を例にして、語りの構造についての理論の一端を紹介するが、あらかじめの注意点がある。
ジュネットの理論がターゲットにしている物語のメディアは、文学(とくに小説)だけである。映画やマンガは、ジュネットの想定のうちにない。
チャットマンになると、映画やマンガも対象の一部に含まれるが、それでも主要な対象が文学であることに変わりはない。
当然ながら、物語言説のありかたはメディアごとにかなり違いがあるので、語りの構造についての理論は、本来メディア別に考えるべきである。
とはいえ、ジュネットの理論はかなり抽象度が高く、文学以外のメディアにも少なからず応用可能だと思われる。というわけで、もともとは文学をターゲットにして作られた理論であることを踏まえつつも、他メディアへの応用可能性(や場合によっては限界)を確かめていくという態度が一番生産的だろう。
余談①:2つの物語論の方法論上の違い
物語内容のパターンについての研究は、ある特定の物語ジャンルの作品群に共通の特徴を明らかにするという、どちらかと言えば実証的な方向だが、語りの構造についての研究はむしろ、個々の作品を解像度高く記述・分析するのに役立つような理論的概念を提示するという性格が強い。
実際、ジュネットの『物語のディスクール』は、あくまでプルーストの『失われた時を求めて』という個別作品を分析するための道具立てを作ることを目標として掲げている(結果的には、その目標にとって必要な水準よりもはるかに一般性の高い理論をジュネットは作り上げているが)。
余談②:物語論の典型
“narratology”(およびその定訳としての「物語論」)という語で典型的に指されるのは、語りの構造についての理論のほうである。
このことは、この分野に多少なじんでいればすぐにわかる。
それゆえ、物語内容のパターンについての研究(たとえばプロップなど)だけをnarratologyの代表として挙げると、この分野のことをあまりわかっていない素人感が出てしまう。
ウェブ上にあるうさんくさめの記事(ビジネスパーソン向け?)だとそういうのがわりとあるが、素人扱いされたくなければ、“narratology”や「物語論」という語の扱いには気をつけましょう。
物語の時間
焦点化
その他の論点
ポピュラーカルチャーへの適用?
先に述べたように、物語論のターゲットは第一に文学(とくに小説)であり、それ以外のメディアは相対的に扱いが少ない。
映画を対象にした物語論はすでにそれなりにあるものの、ポピュラーカルチャーの物語メディア(たとえばマンガやアニメーションやビデオゲーム)は、まだほとんどないと言ってよい。
逆に言うと、ポピュラーカルチャーの物語論は、未開拓のブルーオーシャン状態だということでもある。
以下では、ジュネットが『物語のディスクール』で提示している理論的概念の一部を紹介するが、それらがポピュラーカルチャーの物語メディアにどの程度適用可能なのか(あるいはどの程度不十分なのか)もあわせて考えたい。
物語内容の時間と物語言説の時間の区別
物語内容の時間
表象される出来事群が位置づけられる時間。
ようするに、当の物語世界の中で流れている時間。
物語言説の時間
テキストや映像(その他物語言説の諸要素)が位置づけられる時間。
小説であればどういう順番で読むことになっているか、映像であればどういう順番で画面に表示されるか、など。
順序
物語内容の時間上の順序と、物語言説の時間上の順序は、揃っている場合もあれば食い違っている場合もある。
揃っている場合
きちんと時系列順に、物語内容上の出来事が表象されていくケース。
食い違っている場合(錯時法)
物語内容上あとに起きる出来事を、物語言説上さきに表象するケース。いわゆるフラッシュフォワード。
物語内容上さきに起きた出来事を、物語言説上あとになってから表象するケース。いわゆるフラッシュバック。
いろいろなメディアにおける時間の順序
マンガ
コマを読む順番が物語言説の時間上の順序に相当する。
コマを読む順番は慣習によってある程度確定しているが、コマの内部での順番はあまりはっきりしない。
物語内容の時間上の順序は、物語言説の時間上の順序にいくらか依存している。
絵巻物の異時同図法
物語言説の時間上の順序(絵を読む順序)はあまりはっきりしていない。
物語内容の時間上の順序(その描かれた世界の中でどんな順序で出来事が起きているか)は、物語言説の時間に依存せずに、内容だけである程度合理的に解釈できるのが普通。
続き
ビデオゲーム
ビデオゲームは錯時法(フラッシュバックやフラッシュフォワード)との相性が悪いという主張がある。
理由は、ほかの物語メディアだと、過去に起きた出来事が語られるという形式が可能だが、ビデオゲームだと基本的に現在進行形で(まさにいまやっているプレイの中で)出来事が起きていくという形式だから。
持続
持続(duration)は時間の長さのこと。
映像の場合、物語言説の時間の長さと、それに対応する物語内容の時間の長さがずれていると、スローモーションになったりファストモーションになったりする。
映像だと、物語言説の時間は、文字通りに映像が流れるのにかかる時間なので、物語内容の時間の長さとの比較がわかりやすい。
とはいえ小説でも、標準的なテキストの量との比較で、物語言説の時間の長さは言える。たとえば、ある一瞬の出来事を記述するのに何ページも費やしていたりすると、スローモーションと同じく、ある意味で「ゆっくりしたテンポ」になるだろう。
マンガの場合も、ある程度は小説と同じことが言える。
物語における〈視点〉の問題
物語内容は、全知の視点から描かれることもあれば、誰か特定のキャラクターの視点に制約されるかたちで描かれることもある。
ジュネットは、この意味での〈視点=誰が見ているか〉を「焦点化(focalization)」と呼んだうえで、それを〈語り手=誰が語っているか〉と区別する必要性を主張している。
たとえば、「シャーロック・ホームズ」シリーズの語り手は明らかにワトソン博士だが、ワトソンが知りようのないはずの情報まで語られることがある。この場合、語り手はワトソンだが、焦点化の主体は必ずしもワトソンではないということになる。
焦点化の分類
焦点化ゼロ
焦点化の制約がないケース。いわゆる全知の語り。
内的焦点化
あるキャラクターの視点に情報がかぎられているケース。
一人称小説は普通これに当てはまるが、ジュネット自身が強調するように、語り手が一人称形式で語ることと、焦点化がその人物の知りうる範囲に制約されていることとは理論上区別したほうがよい。
焦点化の主体がずっと変わらないケースは「固定焦点化」、場面ごとに焦点化の主体がころころ変わるケースは「不定焦点化」という。
映像における焦点化
実写映画における焦点化の主体は、カメラそのものだと言ってよさそう。この考えは、アニメーションにおける視点やビデオゲームにおけるバーチャルカメラにもそのまま適用できるだろう(次のページで見るように、ビデオゲームにはこれとは別の面で焦点化の特殊性がある)。
映像の物語作品の場合、焦点化ゼロが大半だと思われるが、映画におけるPOVなど、場合によっては内的焦点化と言えるような手法が使われることもある。
ビデオゲームおける焦点化
当の情報を〈誰が見ているのか〉という話であれば、バーチャルカメラだということになる。これは一人称視点であろうが三人称視点であろうが変わらない。
一方で、ビデオゲームの場合、見る主体(より一般化すれば知覚の焦点化の主体)とは別に、おこなう主体(行為の焦点化の主体)がある。〈誰がその世界内の行為をやっているのか〉という問いに対して普通に答えるとすれば、アバター(プレイヤーキャラクター)だということになるだろう。
知覚の焦点化主体:バーチャルカメラ
行為の焦点化主体:アバター
もちろんアバターがいなかったり複数いたりするゲームもある。そうしたケースに対しては、焦点化ゼロや不定焦点化といった概念が適用できるかもしれない。
その他物語論でよく論じられる論点
メタレプシス(転説法)
語りのレベルを語り手が侵犯してくるケース。
いわゆるメタフィクションはその一種。
信頼できない語り手
中立的で透明な存在だと思っていた語り手が、実は不誠実な語りをしている(典型的には読者を欺こうとしている)ことが途中で明らかになるケース。
これらについても、小説や映画だけでなく、マンガ、アニメーション、ビデオゲームなどにそのまま当てはめられるか否かを考えることができる。
続き
そのように従来のメディア向けに作られた理論的概念が新しいメディアにも適用できるかどうかを検討することで、新しいメディアを解像度高く観察できるようになるとともに、従来の理論自体の再検討にもなる。
物語論の入門
橋本『ナラトロジー入門』水声社、2014年
橋本『物語論 基礎と応用』講談社、2017年
日本語で読める物語論の入門書としては貴重。
プリンス『物語論辞典 改訂版』遠藤訳、松柏社、2015年
物語論用語の簡単な確認用として使いやすい。
ただ訳が微妙なところがあるので(読みづらさ含む)、できれば原書をおすすめする。原書の英語は読みやすい。
発展的な勉強用
The Living Handbook of Narratology, https://www-archiv.fdm.uni-hamburg.de/lhn/.
オンラインで読める物語論のハンドブック。物語論を本格的に勉強したいという場合はまずこれをおすすめする。
物語論の諸論点や重要概念について、十分に専門的かつ信頼に足るサーベイが読める。
物語論の古典
ジュネット『物語のディスクール』水声社、1985年
物語論における第一の古典と言ってよい名著。
もっぱら文学作品(とくにプルースト『失われた作品を求めて』)の構造をちまちま分析することを目的とした理論書であり、初見だといろんな意味でしんどいかもしれないが、きわめて明晰に書かれており、きちんと順を追って読んでいけば初学者でも十分理解できるはず。
内容をちゃんと理解できれば、おそらく物語(メディア問わず)についての解像度が飛躍的に上がる。
スライド最後