#5
美的判断の理由づけ
メディア文化学/美学美術史学 特殊講義
月曜4限/第5回
松永伸司
2023.11.20
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「美的判断」「美的性質」「美的述語」といった諸用語の関係をいったん整理する。
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美的判断にはしばしば理由づけが伴うこと、またその理由づけがどんなものであるかを理解する。
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加えて、スノッブ(俗物)をめぐる議論の紹介を加えようと思ったが、確実に時間が足りなくなるので次回に回す。
今日の授業のポイント
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1. 美的判断についての整理
2. 美的判断の理由づけ
3. 時間が余ればQ&Aなど
1. 美的判断についての整理
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記述的側面と評価的側面
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用語の整理
記述的側面と評価的側面 [1/2]
美的判断の特徴として言われていること(前回の一部のおさらい)
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規範性
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美的判断には「正しい/間違っている」がある(少なくともわたしたちはそのような規範的なニュアンス含みで美的判断をしている)。美的判断が人と不一致であった場合に論争が生じうるのはそのためである。
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判断理由の一般化できなさ
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美的判断はしばしば理由づけを伴うが(後述)、その理由はふつう一般化できない。つまり、「これこれの条件を満たせば、これこれの美的性質を持つ」と言えるような一般的な法則がない。
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知覚との類比
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美的判断を行うための経験や、その判断を正当化するための手段は、知覚やその正当化に近い面がある。
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記述的側面と評価的側面 [2/2]
続き
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価値づけの側面と性質帰属の側面の区別
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美的判断とひとくちに言っても、〈当のアイテムは、美的によい〉と述べる評価的側面と、〈当のアイテムは、しかじかの美的性質を持っている〉と述べる記述的側面が別々にあると考えたほうがよい。
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純粋に評価的な美的判断の例:「あの花瓶はすばらしい」
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純粋に記述的な美的判断の例:「あの花瓶はすらっとしている」
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実際には、ひとつの美的判断の中に両方の側面が混ざっているケース(美的性質に言及することで同時に価値づけもしているケース)もかなり多い。
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両面が混ざっている美的判断の例:「あの花瓶はエレガントだ」
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この区別は、美的判断の理由づけのあり方を考える際に重要になってくるので、覚えておいてください。
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用語の整理 [1/3]
美的ホニャララの整理
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これまでに出てきたものも含め、ここで以下のテクニカルタームをあらためて簡単に整理しておく。
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美的判断
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美的性質
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美的価値
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美的述語
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それぞれの用語の定義(必要十分条件)を示すわけではなく、これらの関連語が互いにどういう関係にあるかを示すだけなので注意。
用語の整理 [2/3]
美的判断・美的性質・美的価値・美的述語
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美的判断
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ある事物が何らかの美的性質や美的価値を備えると述べる判断
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例:「このアイテムのデザインは野暮ったい」
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例:「このコーディネートには抜け感がある」
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美的性質
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美的判断によって事物が備えると述べられる性質
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例:〈野暮ったさ〉という性質
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例:〈抜け感〉という性質
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用語の整理 [3/3]
続き
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美的価値
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美的判断によって事物が備えると述べられる価値(プラスマイナス両方ある)
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例:美的な良さ
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例:美的な良くなさ
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美的述語
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美的性質や美的価値を指すのに使われる言葉(形容詞になりがち)
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例:「野暮ったい」、「抜け感がある」
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例:「見事である」、(視覚的な事物に対して)「目が腐る」
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さらなる例:👉 シブリーが挙げる美的用語の一覧
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このアイテムのデザインは野暮ったい。
美的判断
美的述語
美的性質
野暮ったさ
美的判断の対象
マリメッコのグッズ
美的価値
美的にいまいち
2. 美的判断の理由づけ
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美的相対主義
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美的論争と理由づけ
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理由づけの構造
美的相対主義 [1/3]
有名な格言
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De gustibus non est disputandum.
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英訳:In matters of taste, there can be no disputes.
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日本語訳:趣味については議論できない。
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「蓼食う虫も好き好き」と訳されることもある。
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ここでの“gustus”は本来は文字通りに味覚のことだったらしい。つまり本来は「味の好みについては議論できない」という意味だったようだが、いつごろからか「美的な好み(つまり趣味)については議論できない」を意味する格言として使われるようになったようだ。
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美学の文脈では、美的相対主義、つまり美的判断を個人的な好き嫌いと同一視する考え方を端的にあらわすフレーズとしてたびたび持ち出される。
美的相対主義 [2/3]
美学者は美的相対主義をとらない
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美的相対主義は、民間美学レベルではそれなりの支持者を持っていると思われるが、大多数の美学の専門家にはすこぶる受けが悪い。
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美学者が素朴な美的相対主義にダメ出しするポイントはいろいろあるが、たいていは、美的判断の規範性がまったく説明できないという点が致命的な難点として挙げられる。
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ここでは美的論争(aesthetic dispute)の観点からの議論を紹介しておく。
美的相対主義 [3/3]
余談:相対主義と文脈主義
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美的文脈主義
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文脈によって美的判断の正誤が変わりうるという考え方のこと。
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文脈主義は美的判断にある種の相対性を認める立場だが、相対主義とはまったく異なるので注意。
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文脈主義は、美的判断に正誤がある(つまり規範性がある)ことを認めた上で、その正誤が文脈次第で変わりうるとする立場である。
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この「文脈」には、時代、地域、対象が属するカテゴリー、作者の意図、対象をとりまく慣習、etc.といったさまざまな要因が含まれうる。
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一方、相対主義は、そもそも美的判断に正誤があるということを認めない立場である。
美的論争と理由づけ [1/7]
ロペスの議論
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文献:D. M. Lopes, “Disputing Taste,” in Semantics of Aesthetic Judgements ed. J. O. Young (Oxford University Press, 2017).
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美的論争
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ある事物の美的性質をめぐる論争のこと。そこではふつう、論争者がお互いの美的判断に同意していない。
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例①
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A: 『ダウントン・アビー』の脚本は洗練されている。
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B: いや、そんなことはない。
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例②
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A: 歌麿のイナゴとトンボの絵は感傷的だ。
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B: いや、ぜんぜん感傷的じゃない。
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美的論争と理由づけ [2/7]
続き
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ロペスは、たんなる個人的な好き嫌いについての会話と美的論争の違いがはっきりわかるポイントをいくつか挙げている。
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(a) 個人的な好みについての会話で問題になっているのは、会話者がどんな心的傾向を持っているかである。一方で、美的論争で問題になっているのは、事物がどんな性質を備えているかである。
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(b) 美的論争では、相手の発言に対する否認(“Nope”)が場に即した反応と見なされる。一方で、好き嫌いについての会話で相手の発言を否認するのは、場に即していない反応である(「~~が好きなんですよ」という発言に対して「いや、それは違うでしょう」と返すのは明らかに変な反応である。もちろん「わたしはあんまり好きじゃないんですよ」などと返すのは問題ないが、それは相手の発言の否認ではない)。
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(c) 美的論争は、互いに何らかの納得が得られるまで、しつこく続く可能性がある。好みについての会話がそのように続くことは考えられない。
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美的論争と理由づけ [3/7]
美的論争のしつこさと理由づけ
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(c)の点についてロペスは次のように述べている。
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引用「美的論争はしつこく続く。〔…〕このしつこさは、美的記述と実質的美的判断が持つ〈理由を与える〉という役割から来ている。美的論争には次のような規範がある。すなわち、「理由を挙げろ、でなきゃ黙っとけ」というものだ。」(p. 65)
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引用文中の「美的記述」や「実質的美的判断」は美的判断の記述的側面のことと考えて問題ない。
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美的判断につねに理由づけが求められるわけではないが、少なくとも美的論争が起きたときには、自分の美的判断をサポートする理由を出す必要が出てくる。つまり、なぜ自分の美的判断のほうが正しいのかという根拠を相手に示さなければならない。
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逆に言えば、美的判断は、(実際にそれをするかどうかはともかく可能性としては)それを支える何らかの根拠を示しうるものとして考えられているということである。
美的論争と理由づけ [4/7]
具体例
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再びマリメッコ論争の例:マリメッコは昭和の家電である
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鈴木さんのツイート
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KS「今ひとつ機内アメニティのデザインも垢抜けないフィンランド航空。」
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KS「マリメッコというブランドは全く存じておりませんでした。でも、私の感覚ではちょっと野暮ったく見えました。このブランドが好きな方には申し訳ないですが、あくまでも好き嫌いの感覚的なものなので…。」
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KS「世界的なブランドだから野暮ったいと思ってはいけないのだろうか?」
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KS「マリメッコのデザインというのを初めて知ったのだが、第一印象は昭和の家電。炊飯器とかポットに描かれた花柄のイメージ。世界的なブランドだとは知らなかったが、これがブランドになるなら、昭和の家電にもチャンスがあるのかも…。」
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美的論争と理由づけ [5/7]
続き
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ろくに理由づけのない異論・賛同ツイート
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「いや、北欧デザインらしくてお洒落だと思うけど。マリメッコかな?」
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「マリメッコも昭和のプリント家具もかわいいと思う」
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「テキスタイルデザインとして世界的にも名高いマリメッコも、人によっては野暮ったいと見えるの面白い。なんでこれがいいのかわからんという価値は往往にしてある。」
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「私もマリメッコそんなにおしゃれな感じしないw 小さい頃から使ってる布団カバーマリメッコだけどそれもおばあちゃんみたいだなと思ってたし」
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「単にMarimekkoが趣味に合わないだけなんだろうが……まぁ、好きじゃないとダサいとは思うのも仕方ないデザインとも思う。私は特にどちらでもないのでオシャレ!可愛い!って思う人の気持ちも分かるしな。」
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美的論争と理由づけ [6/7]
続き
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(ある種の理由づけはしているかもしれないが)美的な理由づけではないツイート
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「ミッドセンチュリー、の時代と花柄のポットって時系列的にぴったり一致するよね。イームズやミースファンデルローエみたいなのもミッドセンチュリー、花柄ポットもミッドセンチュリー⊂((・x・))⊃」
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「マリメッコはその昭和の時代(60年代)からテキスタイルデザインの評価は高く、ジャクリーヌ・ケネディもご愛用。当時の先端テキスタイルデザインを模したのが昭和家電パターンであったので鈴木氏は直感的に正しい。」
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※ ちなみに、これらがなぜ美的な理由づけではないかと言うと、たんに制作やその時期に関する文脈的事実を述べているだけで、対象の性質についての踏み込んだ話を何もしていないから。昭和家電の図案が、マリメッコに類する何らかの図案を「模した」ものであるというのが仮に正しいとしても、その事実から「両者は同様の美的性質を備える」という帰結を引き出すことはできない。
美的論争と理由づけ [7/7]
続き
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明確に美的な理由づけをしているツイート
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ぬこじな「マリメッコ見て昭和家電と思うおっさんの感性」「昭和家電の花柄はマリメッコみたいな花首チョンパ!ぎっしり!て感じじゃなくて、花瓶から花が脱出したよ!びたーん!て感じだろがい」
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ボヘカラ「マリメッコと昭和の家電は、絵柄は似てるけどプロポーションがかなり違うわね。現代的なプロポーションに、サイケな20世紀的絵柄だから面白いのでは。」
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せ き つ い「マリメッコの柄模様って一見シンプルでありながら絶妙に不安定な輪郭や輪郭間のバランスが一番重要だと思うので、単純にシンプルで静的な柄の昭和家電を引き合いに出すのに関しては「わかってない」と思う。」
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美的な理由づけの構造 [1/10]
疑問と答え
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想定される疑問:
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どんな理由づけが「美的な」理由づけになるのか?
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美的判断の根拠になる事実と根拠にならない事実があるのか?
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制作に関する文脈的事実も、その事物が制作された原因を示す材料のひとつではないのか?
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答え:
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ここで求められているのは、当の美的判断の対象がどのような経緯で作られたかを示すことではなく、それが特定の美的性質あるいは美的価値を実際に備えていることを説得的に示すことである。
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一般に、そのような美的な理由づけは、問題になっている美的性質や美的価値が依存している性質を、つまり、どんな性質のおかげでその美的性質や美的価値が成立しているのかを指摘するという作業になる。
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美的な理由づけの構造 [2/10]
理由づけと一般化できなさ
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この依存関係は、「のゆえに(because of)」や「のおかげで(in virtue of)」といった言い方で表現される傾向にあるが、はっきりとそういうかたちをとるとはかぎらない。
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ただし、「ゆえに」といった語が使われることがあるとは言っても、美的判断の理由づけは、論理的な根拠を提示することではない。言い換えれば、そうした根拠を前提とした論理的な推論によって当の美的判断が導かれるわけではない。
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論理的な根拠にならないのは、すでに言及したように、美的判断の理由が基本的に一般化できない(これこれの条件を満たせばこれこれという法則性がない)という特徴を持つからである。結果として、どれだけ理由づけをしたところで、これが最終的に絶対正しいというような結論に至ることはない(美的判断の正当化の仕方については前回スライドの「知覚的証明」の箇所を参照)。
美的な理由づけの構造 [3/10]
美的判断の理由づけの例
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「このアイテムは、色とりどりであるせいで、けばけばしい。」
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「この曲が悲しさに満ちているのは、これこれの旋律と和声のゆえである。」
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「これこれの素材の組み合わせのおかげで、この家具には高級感が感じられる。」
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「このパワーポイントは色の統一感がないので、美的によくない。」
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「あのグラフィックデザインは雑な感じが逆にかっこいい。」
美的な理由づけの構造 [4/10]
マリメッコ論争のツイート再掲
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明確に美的な理由づけをしているツイート
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ぬこじな「マリメッコ見て昭和家電と思うおっさんの感性」「昭和家電の花柄はマリメッコみたいな花首チョンパ!ぎっしり!て感じじゃなくて、花瓶から花が脱出したよ!びたーん!て感じだろがい」
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ボヘカラ「マリメッコと昭和の家電は、絵柄は似てるけどプロポーションがかなり違うわね。現代的なプロポーションに、サイケな20世紀的絵柄だから面白いのでは。」
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せ き つ い「マリメッコの柄模様って一見シンプルでありながら絶妙に不安定な輪郭や輪郭間のバランスが一番重要だと思うので、単純にシンプルで静的な柄の昭和家電を引き合いに出すのに関しては「わかってない」と思う。」
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美的な理由づけの構造 [5/10]
美的な理由づけのいろいろな型
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というわけで、美的な理由づけは、どんな性質のおかげで当の美的性質や美的価値が成立しているのかを指摘することである。
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とはいえ、そのような理由づけにはいくつかの異なる型がある。
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(a) 美的性質の帰属の根拠として非美的性質に言及するもの
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(b) ある美的性質の帰属の根拠として別の美的性質に言及するもの
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(c) 価値づけの根拠として美的性質に言及するもの
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(d) 全体の性質の根拠として部分の性質に言及するもの
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これらは互いにそこまで明確に区別できるものでもないので、厳密な線引きなどは考えないほうがよい※。
※ 毎度言っているが、そもそも何かの区別が提示されたときに、その厳密な線引きを不必要に求めてしまわないように注意。「境界はどこにあるんだろう」「この事例はどれに入るんだろう」という疑問が頭に浮かんだら、その区別は何のためになされているのか、仮に境界事例があったら何かまずいことでもあるのか、それぞれのグループの典型例はどんなものか、といったことをまず考えたほうがよい。
美的な理由づけの構造 [6/10]
(a) 〈非美的性質 ➡ 美的性質〉型※
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この型の構造:
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「xは、これこれの非美的性質を持つおかげで(という点において)、これこれの美的性質を持つ。」
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例:
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「このPCは、七色に光るせいで品がない。」
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「ここにこの差し色があるおかげで、全体がしまっている。」
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「この模様は、花柄が並んでいるおかげで野暮ったい。」
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いずれも根拠の部分が非美的性質(いわゆる感性抜きに知覚/特定できる性質)であることに注意。
※ 以下、「A➡B」で「AのおかげでB」を意味することにする。
美的な理由づけの構造 [7/10]
(b) 〈美的性質 ➡ 美的性質〉型
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この型の構造:
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「xは、これこれの美的性質を持つおかげで(という点において)、別のこれこれの美的性質を持つ。」
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例:
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「全体的に落ち着いた色合いであるおかげで、この部屋の内装にはあたたかみがある。」
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「このぬいぐるみは、ダサみがあるところがかわいらしい。」
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「この模様は、一見シンプルでありながら絶妙に不安定な輪郭や輪郭間のバランスがとれているという点で、野暮ったくない。」
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美的な理由づけの構造 [8/10]
(c) 〈美的性質 ➡ 美的価値〉型
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この型の構造:
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「xは、これこれの美的性質を持つおかげで(という点において)、これこれの美的価値を持つ。」
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例:
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「このフォントは、力強くどっしりしている点がすばらしい。」
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「この曲は、無駄に品がいいせいでぜんぜんダメだ。」
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「このデザインは、野暮ったさがあるおかげで、いまいちである。」
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場合によっては、(a)と組み合わさることで〈非美的性質 ➡ 美的価値〉という理由づけがなされることもあるかもしれない。
美的な理由づけの構造 [9/10]
(d) 〈部分の性質 ➡ 全体の性質〉型※
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この型の構造:
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「xは、その部分がこれこれの性質を持つおかげで(という点において)、その全体がこれこれの性質を持つ。」
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例:
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「このコーディネートは、ダサいアイテムをあえて取り入れることで全体としておしゃれになっている。」
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「この絵は、この勢いのある部分のおかげで、全体のバランスが崩れてしまっている。」
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ここで言及される部分の性質は非美的性質になることも美的性質になることもあるだろうが、全体の性質は美的性質になるのが普通だと思われる。
※ (a)~(c)型が全体同士の依存関係を指摘するものだったのに対して、この型は部分と全体の依存関係を指摘するものである。その点で、他の型とはちょっと別の区別かもしれない。
美的な理由づけの構造 [10/10]
余談:理由づけがなぜ大事か
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美的判断において理由づけがなぜ大事なのか。
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これは美学の重要な問題のひとつではあるだろうが、“Why be moral?”に近い問いなので、答えるのは難しい。そもそもわたしたちはなぜ美的論争のような(一見たいして生産性のない)実践を好んでしているのか、なぜ好き嫌いだけで満足しないのか、という話でもある。
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より重要なのは、人々(少なくとも美的実践に参加している人々)がそういう理由づけや論争を、自覚的にであれ無自覚的にであれ、実際にやっているということを理解しておくことである。
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ヒュームが人々のふるまいの観察をもとに議論を組み立てたように、現代の美学もまた、(論者自身も含めた)人々が実際に行っていること(行うべきことではなく)を議論のスタート地点にしている。
参考文献
前回のスライドで掲載し忘れていた美的判断についての入門用文献
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Zangwill, “Aesthetic Judgment,” in Stanford Encyclopedia of Philosophy, 2003/2023. https://plato.stanford.edu/entries/aesthetic-judgment/
シブリー関係の情報
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今回の内容は、フランク・シブリーの一連の論文、とくに以下の論文にかなり依拠している。
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Sibley, “Particularity, Art, and Evaluation,” in Approach to Aesthetics: Collected Papers on Philosophical Aesthetics (Oxford: Oxford University Press, 2001).
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このシブリーの論文集は目下翻訳が進んでいて、おそらく今年度中か来年度の前半に刊行予定。
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以下も参考:
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松永「フランク・シブリー美学論文集のまとめ」9bit、2019年 https://9bit.99ing.net/Entry/92/
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銭「後期シブリーの美学」obakeweb、2023年 https://obakeweb.hatenablog.com/entry/predicative/attributive
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おわり
🦌 予告 🦌
次回はスノッブ(俗物)の
話を取り上げる予定です
メディア文化学/美学美術史学特殊講義 #5
By Shinji Matsunaga
メディア文化学/美学美術史学特殊講義 #5
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