#12

ビデオゲームの物語②

メディア文化学特殊講義/美学美術史学特殊講義

月曜4限/第12回

松永伸司

2022.07.25

今日のメニュー

1. 前回のおさらいと質問への回答など

2. 環境ストーリーテリングと創発的物語

3. ビデオゲームにおける焦点化

1. 質問への回答など

  • 物語論の基本のおさらいと補足

  • コメントの紹介と回答

物語論の基本のおさらいと補足①

物語の定義論および物語言説と物語内容についての資料(再掲)

物語論の基本のおさらいと補足②

物語論の基本的な概念

  • 物語言説(discourse):

    • ​物語内容をあらわす一連の記号。文章、映像、etc.

  • 物語内容(story):

    • ​物語言説によってあらわされる一連の出来事(フィクションの場合は虚構世界上の出来事、つまりその世界で何が起きたか)。

    • 出来事だけでなく、それを取り巻く状況(虚構世界の設定など)も、物語内容に含まれると考えたほうがよい。

    • フィクションの場合は、物語言説によって明示的にあらわされていない(がたしかにあると考えられる)虚構世界上の事実も、物語内容に含まれると考えたほうがよい。

物語論の基本のおさらいと補足③

物語的結合について

  • ある物語の物語内容に含まれる一連の出来事は、互いに結びついてまとまりを構成し、それによって全体として理解可能である必要があるとよく言われる。

    • 言い換えれば、互いに関係のない複数の出来事を並べて記述しただけでは物語にならないということ。

  • この結びつきは「物語的結合(narrative connection)」などと呼ばれることがある。

  • ​物語的結合は、一種の因果関係による結びつきとして説明されることが多いが、それ以外の関係が物語的結合をもたらすケースもあるという説もある。

Q.

物語的結合について、ある文章群が物語であるかそうでないかは因果関係や利き手の感情のリズムに左右されるということは、結局利き手の主観に委ねられるということになり、絶対的に「これは物語である」と断言できるようなものは存在するのか不思議に思った。

毎度の感じの悪い答え方になりますが、「絶対的に「これは物語である」と断言できるようなものは存在するのか不思議に思っ」てしまうのはなぜかについて反省的に考えてみることをおすすめします。どういう前提のもとでそういう疑問が出てくるのでしょうか。

A.

Q.

「感情のリズム」について殺人者の例で考えると、「殺人を犯した→不安定な感情が発生→殺された人の像が倒れてきて殺人者が死んだ→被害者の像が殺人者を殺したことで、殺人を犯した者に対する因果応報の感情が発生、不安定な感情は消える」ということなのかなと思った。

これを踏まえて「王が死に、王妃が死んだ。」を考えると、ここには「感情のリズム」は存在しない(死に対して悲しいという感情は湧くが、これは感情のリズムに当てはまらないと私は考えた)ため、デイヴィッド・ヴェルマンもこの文章に物語的結合はないと考えているのでは、と思った。

以上の考え方で合ってますか?

ヴェルマンの主張は、因果関係以外にも物語的結合をもたらす関係があるというもので、因果関係が物語的結合をもたらすことを否定しているわけではありません。なので、王妃と王のお話は物語的結合のある例として認めると思います。

「感情のリズム」についての理解はそれで問題ないです。補足すると、ヴェルマンが想定しているのは、音楽における和声上の解決に近いイメージだと思います。わかりやすさを優先して「感情のリズム」と訳していますが、原語は"emotional cadence"なので「感情のカデンツ」ですね。

A.

Q.

〔…〕ある人が、差別の被害経験を語る際、何か嫌なことをされた時は、相手がそういう言葉を言ってしまうような追い詰められた精神状態だったのかもしれない、もしくは自分のような属性の人間に反感を持つ理由があるのかもしれないと想像する、と話していた。〔…〕これはその人なりに理解できない出来事〔…〕を物語化するために「想像力」を使い、事実とは異なるかもしれない物語的結合を作り出したと理解すればいいのか、という納得が今回学んだ概念で生じた。〔…〕そこで語られているのが正確な因果関係なのか、事実とは異なる物語的結合の結果なのかを判別することを念頭に起きながら語りを聞くことが、特にショッキングな経験であるがゆえに物語化が起こりやすそうな被害の語りにおいては特に重要そうに思われた(物語的結合だからといって否定すべきというわけではないが)。

いい例ですね。心理学で「合理化」と言われる防衛機制の一種だと思いますが、良し悪しはともかく物語的結合を作り出すことで合理化が行われることはよくあると思います。「ナラティブセラピー」などでも検索してみてください。

A.

Q.

ビデオゲームの物語の概念の理解がまだ不充分なのですが、ここで言う物語はいわゆる「ストーリー」でなくてもよいのでしょうか。どうぶつの森シリーズなど、明確なエンディングを持たないビデオゲームは結構あると思うのですが、そうしたものたちでも個々のプレイ内で起こる出来事を物語と見なし、分岐する物語として理解してよいのでしょうか。

これは難しい問題なので、いまのところはっきりとは答えられないです。ビデオゲームのプレイにおいて(何らかの意味で)生じる出来事のうちのどれが物語内容の構成要素になる出来事としてカウントされるか、という問題ですが、ケースによる(あるいは見方による)としか言いようがないかもしれません。公式の物語内容(「いわゆる「ストーリー」」と書かれているもの)かどうかという点でひとつの線引きはできますが、ここで想定しているのは、公式の物語内容だけではありません。

A.

Q.

一般的な映画でも、分岐する側面が全くないとは言えないと思った。例えば、ビデオゲームで言う「暗黙の条件」のように、あるフラグや何らかの示唆に気づいた人にとってはその後のストーリー内容の理解の仕方が、気づいていない人とは同じとは言えないはずだ。そういう意味では、視聴者側がストーリー展開における「選択」ができない一般的な映画でも、分岐はあり得るといえるのではと思った。

受容者ごとに異なる経験(あるいはストーリー解釈)になるというのを「分岐」と呼ぶとすればそうでしょうね。今回の授業では取り上げていませんが、解釈の能動性はビデオゲーム以外のフィクション作品についても言えるので、そこにある種のインタラクティブ性(受け手と作品の相互作用)を見て取ることはできると思います。ただ、その意味での「インタラクティブ」と、ビデオゲームがインタラクティブなメディアであるというときの「インタラクティブ」は別のことなので、その点は注意が必要かなと思います。

A.

Q.

一本道の物語構造において、中核になる固定された物語言説の他に、何らかの物語内容を伴ったこまごまとした物語言説が散らばったかたちで用意されているという点が気になった。あくまで私の想像だが、「ゲームクリエイターが用意した物語言説は、何らかの物語内容を伴っているのだから、その全てに目を通すべきだ(≒物語言説同士に優劣はない)」という規範的言説がゲーム研究において為されていそうだなと思った。だが実際には、一本道の物語において、その中核を担う物語言説と、そうでない物語言説ははっきり区別されており、プレイヤーが行う取捨選択には何らかの価値判断が含まれていることは間違いないようにも感じる。

そういう規範的言説は、ゲームレビュワーやファンカルチャーの中にはあるかもしれませんが、研究上はないです。おそらく「ゲーム研究」というので作品研究みたいなのを想定されているのだと思いますが、そもそも個別の作品研究自体が(少なくともまともな)ゲーム研究にはほぼないです。個別の作品の内在的特徴を論じることが当たり前のように研究として成り立つのは(なぜ成り立つとされているのかはよくわかりませんが)文学や美術やクラシック音楽のようなestablishedな業界だけです。

A.

Q.

美的な文化にはエリーティズムが必ず含まれるので、「素人」や「一般人」にとってよくわからない面がある(言い換えれば「教養」でしかない面がある)とおっしゃていたが、その理由はなんなのかという疑問が浮かんだ。ある一定の文脈(教養)を踏まえていないとその価値、歴史的意義などがわからないためであると理解しているが、それでいいのでしょうか。あるいは、文化的なものに価値を作るシステムは基準を設けることが必要となり、その基準を作るのはいわゆる通な人間であるためなのだろうか。

「趣味(taste)」という美学的な概念に関わる話ですが、①美的判断には一定の規範性がある(正しい判断と間違った判断がある)、かつ、②正しい美的判断をするための能力・素養はそこまで標準化・普遍化できない(それゆえ教育が難しい)(とされている)という理由によります。〔…〕「教養でしかない」ということの含意は、わかる人以外にとっては、対象の「正しい」価値が自分ではわからないまま、「これがよい/よくないとされている」という知識をお勉強として得るしかない、ということです。

全体 👉 https://scrapbox.io/pikopiko2022/%E7%AC%AC11%E5%9B%9E%E3%81%AEQ&A

A.

2. ビデオゲームの物語の特殊性②

  • 環境ストーリーテリング

  • 創発的物語

環境ストーリーテリング

以下の授業資料をベースにして話します。

  • 2020年度 東京都立大学 表象文化論特殊講義 授業資料

  • 全員向けの情報

    • 環境ストーリーテリング(environmental storytelling)の具体例と簡単な特徴づけは、上記の資料に書いてある。

    • 研究で使われる概念というよりは、開発あるいは批評で使われる概念。英語圏のビデオゲームレビューで積極的に使われていて、それが日本のビデオゲームレビューにも輸入されたというもの。

    • 比較的新しい概念(2010年前後以降に広まった)だが、その概念が当てはまる事例自体は昔からある。

創発的物語

以下の授業資料をベースにして話します。

  • 2020年度 東京都立大学 表象文化論特殊講義 授業資料

  • スライドだけ見ている人向けの注意点

    • 上記資料の「生き生きとした物語経験② 創発的物語」のところだけ扱います。

    • 「生き生きとした物語経験① ゲームプレイ内ストーリーテリング」の話は、ややこしい上にいまいち自信がないので今回はスルーします(「操作可能性/プレイヤーの影響/能動的解釈」のテーブルはちょっと面白い分類になっているとは思いますが)。

    • 創発的物語(emergent narrative)の具体例と特徴づけは、資料内にあります。

    • 資料内の「構築性」(p. 17)は、物語的結合が出来事群に内在しているわけではない(つまり、物語的結合は語り手あるいは読み手によって作り出される)ということです。

3. ビデオゲームにおける焦点化

  • 焦点化について

  • 知覚の焦点化と行為の焦点化

ビデオゲームにおける焦点化

以下の授業資料をベースにして話します。

  • 2020年度 東京都立大学 表象文化論特殊講義 授業資料

  • 全員向けの情報

    • 時間が余ったら話します。余らなかったら各自で読んでおいてください。

    • 具体例が少ないので、適当な例で想像しながら読んでください。

    • 〈焦点化〉概念と〈語り手〉概念は別です(そもそも、従来語り手の問題として論じられてきた事柄の一部を語り手とは切り離して考えられるというところに〈焦点化〉という理論的概念のうまみがあります)。詳しくはジュネット『物語のディスクール』を読んでください。

おまけ

感想のお願い(任意)

  • 最終回なので、通常のコメントに加えて授業全体に対する感想もいくらか書いていただけると、来年度以降の参考になるのでありがたいです。(任意です。気が向いたらでかまいません。)

  • 授業全体に対する感想の部分は、成績評価に関わりません。

  • 最終回のコメントについても、これまでと同じくScrapboxにリプライを書きます(質問などがあれば)。

  • 期末レポートはありません。

スライド最後

勉強用の文献

  • 物語論について

    • ジェラルド・プリンス『物語論辞典』遠藤訳、松柏社

      • ​訳があまりよくないので英語の原著をすすめる(安いし薄い)。

      • 術語も英語で理解しておいたほうがよい(術語の日本語訳はだいたい無駄にごついので)。

    • ​ジェラール・ジュネット『物語のディスクール』花輪・和泉訳、水声社

      • ​物語論の古典。全員読むべきもの。

    • ジェラール・ジュネット『物語の詩学』和泉・神郡訳、水声社

      • ​『物語のディスクール』のまとめ+補論

      • 具体例が続くのが苦手な場合は、こっちのほうが読みやすいかもしれない。

    • シーモア・チャットマン『ストーリーとディスコース』玉井訳、水声社

      • これも古典。​英語圏でジュネットその他の理論を受け継いで総合した人。

      • ジュネットよりわかりやすい図式を提示している(単純化しすぎている面もあるが)。

  • ​ビデオゲームの物語について

    • 松永伸司「ナラティブを分解する:ビデオゲームの物語論」発表資料

      • ​👉 リンク

      • 注に勉強系の情報がたくさん書いてある。

    • 今回挙げている各授業資料内の文献も参照。

メディア文化学/美学美術史学特殊講義 12

By Shinji Matsunaga

メディア文化学/美学美術史学特殊講義 12

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