#2
芸術存在論の基本概念①
メディア文化学/美学美術史学(特殊講義)
月曜4限/第2回
松永伸司
2025.10.20
ガイダンスのおさらい [1/3]
授業資料について
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PandAの「基本情報」にあるURLから、授業資料置き場(Scrapbox)に飛べます。そのページをブックマークしておくことをおすすめします。
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授業資料置き場(Scrapbox)のURLは、オンラインで公開・共有しないでください。
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授業資料は、基本的にスライド(いま見ているこれ)を毎回作る予定です。
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紙で何かを配ることはありません。授業資料は、各自のノートPCやスマートフォンで閲覧してください。
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スライドをPDFで見たい方は、Scrapboxの「スライドをPDFとしてダウンロードする方法」のページを見てください。
ガイダンスのおさらい [2/3]
Slidoについて
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授業中に質問や感想などを投稿するツールとしてSlidoを使います。
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SlidoのURLは毎回異なります。URLはScrapboxで共有します。
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Slidoに投稿した内容は受講者全員に共有されます。
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Slidoの投稿は成績評価には影響しません。
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授業中いつでも書き込んでかまいません。
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授業に関わる内容であればなんでもかまいません。
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質問などに対しては必要なかぎりで反応します。
ガイダンスのおさらい [3/3]
成績評価について
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配点は、平常点50%、期末レポート50%の予定ですが、期末レポートの内容をどうするかは未定です。
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平常点
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平常点は、毎回授業後にGoogleフォームで提出していただくリアクションペーパーの提出実績およびコメントの内容で評価します。
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提出用のURLは、毎回授業後にPandAのお知らせ機能で共有します。
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今日の授業の最後にまた説明します。
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期末レポート
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詳しい実施要領は、11月下旬以降にアナウンスします。
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今日の授業のポイント
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次の基本概念を覚えて帰る。
単数芸術/複数芸術
作品/事例
いろいろな芸術形式に当てはめて考えてみる。
毎回こういう感じで
その回の到達目標を
簡単に示します。
今日のメニュー
1. 芸術存在論のモチベーション
2. 作品と事例
1. 芸術存在論のモチベーション
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素朴な事実
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実践をすっきり説明する
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鑑賞・批評の対象
素朴な事実 [1/4]
作品の所在
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「その作品はどこにありますか」という質問を考えてみよう。
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この質問に問題なく答えられる種類の作品と、それができない(少なくともその問いに答えることに違和感がある)種類の作品がある。
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大半の絵画作品や彫刻作品は答えられる。大半の建築作品もそうだろう。
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音楽作品は答えづらい。「『どこ』と言われましても…」となるだろう。映画作品なども同じかもしれない。
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小説作品、マンガ作品などはどうか。
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版画作品、演劇作品などはどうか。
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素朴な事実 [2/4]
作品の保存
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「作品を保存する」という課題を考えよう。
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この課題がどういうことであるかがすぐにわかる種類の作品と、そうでない(少なくとも何をすれば「作品の保存」になるかを十分に考える必要がある)種類の作品がある。
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大半の絵画作品や彫刻作品は、特定の物理的なブツの状態を維持することが課題の達成である。大半の建築作品もそうだろう。
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音楽作品の保存がどういうことであるかは、ぱっと答えるのが難しい。ブツとしての楽器を残すことなのか。ブツとしての楽譜を残すことなのか。パフォーマンス(演奏)を記録することなのか。パフォーマンスを行う技能を伝承することなのか。
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小説作品やマンガ作品などの印刷媒体を持つ作品、映画作品や録音音楽作品などの再生媒体に記録される作品はどうか。
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素朴な事実 [3/4]
同じ作品、別の作品
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互いにそっくりな2つの物が、「同じ作品」になる場合と、「別の作品」または「偽物」になる場合がある。
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大塚国際美術館にあるフェルメールの絵画作品にそっくりな作品は、(法的・道義的な問題は当然クリアしているとしても)「偽物」である。フェルメール作品を撮った写真も(どれだけ高精細であれサイズが実物大であれ)フェルメール作品そのものではない。
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ストリートピアノで誰かがショパンのピアノ曲を楽譜に忠実に弾けば、それはその作品の演奏である。(うまい下手の評価はあれ)「偽物」とされることはない。
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芥川の『羅生門』は、いろいろな形で出版されている。単行本サイズの本で読もうが、文庫サイズの本で読もうが、ブラウザ上で青空文庫版を読もうが、国語の教科書で読もうが、その作品の「本物」の鑑賞である。「『羅生門』を読んだことがある」と言うために、芥川の自筆原稿を読む必要はまったくない。
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素朴な事実 [4/4]
翻案、リメイク、リマスター
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ある作品の翻案(adaptation)は、ふつう翻案元とは別の作品として扱われる。黒澤の映画『羅生門』と芥川の『藪の中』を同じ作品だと言い張る人はまずいない(仮にそんな人がいたとしても、その主張が正当だと認めるような実践はまず存在しない)。
- ポピュラー音楽におけるいわゆるカバー曲も同様だろう。
- 映画やアニメーションのリメイク作品も、別の作品として扱われるケースが多い。
- 一方、ビデオゲームのリメイク作品は、オリジナルと同じ作品として扱われる傾向が多少ある(別物として扱う人々も当然いるが)。
- 録音音楽作品、映像作品、ビデオゲーム作品などのいわゆるリマスター版は、一部の通以外にとっては、オリジナルと同じ作品とされるだろう。
実践をすっきり説明する [1/5]
私たちの実践
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以上のことは、素朴に観察できる事実である。
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「事実」という言い方が言い過ぎに思えるなら、「私たちの実践」と言い換えてもよい。私たちを含めた現代社会の人々は、いま示したような仕方で「作品」を扱っている。言い換えれば、私たちは「作品」をそのようなものとして理解している。
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ここでの「実践(practice)」は、「みんなが普段当たり前のようにやっていること/信じていること」くらいの意味。「慣行」のほうがいい訳かもしれない。
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実践をすっきり説明する [2/5]
哲学者のモチベーションと仕事
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一般に、哲学者(存在論に関わるかどうかにかかわらず)の仕事は、そうした素朴な事実や日常的な実践・理解を前提としつつ、そこに何か謎や不思議さやひっかかりを覚えるところからスタートする。
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「うーん、何かすっきりしませんね~」「不思議ですね~」からの、「じゃあもっと深く細かく考えて整理してみましょう」「整理することによって人々の実践や世界に対する『わかり度』を上げていきましょう」というのが、哲学の基本的な仕事のスタイルである。
実践をすっきり説明する [3/5]
「わかり度」の上げ方
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存在論(より一般化すれば形而上学)はどういう方法で「わかり度」を上げるのか。
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最近出た秋葉『形而上学とは何か』(ちくま新書、2025年、20–23頁)から引用:
比較的広く受け入れられている一つの見解によれば、〔中略〕形而上学の方法の中心をなすのは、広い意味でのモデルづくり(モデル化)です。
「モデル」という言葉はいろいろな意味で使われますが、ここではごく大まかに、実在世界の何らかの部分や側面を(それ以外の部分や側面は捨象して)模式的に表したもののこと、と理解しておきましょう。
実践をすっきり説明する [4/5]
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引用の続き:
ある事実に対して複数のモデルが提案されると、当然それらの正否や適切さをめぐって論争が起こります。そうした論争では、それぞれのモデルが、正確さ、単純さ(倹約性)、整合性といった基準にもとづき評価され、あるモデルに対して何らかの問題が指摘されたり、そのモデルの修正版が提示されたり、その修正版に対してさらに反論が示されたり、といったことが行われます。こうした相互吟味が理想的に進めば、形而上学者たちは集団として、ある主題に関する適切なモデルの候補を絞り込み、この世界の真相に迫っていくことができるでしょう。もちろん現実はそうすんなりとはいきませんが、少なくとも理屈のうえでは、形而上学は以上のような仕方でこの世界の基本特徴についての深い理解を得ようとしているわけです。
実践をすっきり説明する [5/5]
芸術存在論のモチベーション
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これを芸術存在論に当てはめると:
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「実在世界」の一部をモデル化するというよりは、私たちの実践、とくに「作品」という概念を中心とした文化的な実践における〈ものの見方〉の一部をモデル化していると言ったほうがよい。
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なぜそうなるかというと、人工物の存在は、一般に人間の実践に依存するから。何かを作品と見なすという実践があるからこそ、作品なる存在者がある(主に社会存在論という分野で論じられていることだが、興味がある方は倉田『日常世界を哲学する』(光文社新書)からの入門がおすすめ)。
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モデル化を通じて事柄の理解を深めるという点や、競合するモデルを評価する基準などは、形而上学一般ととくに違わない。
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鑑賞・批評の対象 [1/3]
作品とは何か
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この授業では、いろいろな芸術形式のいろいろな作品を「存在のあり方」という観点から見ていくことになるが、「そもそも作品とは何か」という問いが気になってしまう人向けに、「作品」という概念について多少の明確化をしておく。
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「〇〇とは何か」という問いはナンセンスなことが大半なので、気にならない人は気にしなくてよい。
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ちなみに「作品」は英語だと"work of art"や"artwork"と言うが、"art"の部分は気にしなくてよい。「芸術(art)とは何か」という芸術存在論にはほぼ関係のない論点を巻き込みたくないので。
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鑑賞・批評の対象 [2/3]
「作品とは何か」への回答
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シンプルで無難な答えは、「一定の文化的実践の中で、鑑賞および批評の対象として個別化(individuate)され、同定(identify)されるアイテム」という答え※。
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ここでの「批評」はノエル・キャロルが言う「理由にもとづいた価値づけ」のこと。
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「個別化される」は、他のものから区別される「ひとつのもの」としてカウントされるということ。
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「同定される」は、「それ」や「あれ」と言って名指したり、再認できたりするということ。
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※それに加えて「ある程度安定して存在している(一時だけ存在するようなものではない、性質が大きく変化したりしない)」という条件も入れたほうがいいかもしれないが、これはパフォーマンスアートなどを考えればけっこう微妙である。批評の対象になるには共有可能性がある程度確保されている必要があり、それゆえある程度の安定性が求められるという程度の話であって、作品であるための必須要素ではないと思われる。
鑑賞・批評の対象 [3/3]
余談:タイトルと作品
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多くの場合、作品には固有のタイトルが付いている。
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これは個人に固有名が付けられるのと同じく、ある実践において個別化・同定される対象であるということのごく自然な帰結だと思われるが、作品には必ずタイトルが必要というわけではない。
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タイトルなしの作品はいくらでもありえるし(原理的には名前のない個人が存在しうるのと同じく)、同じタイトルを持った異なる作品も無数にある(同姓同名の別人がいるのと同じく)。場合によっては、何らかの事情で、ひとつの同じ作品に複数の異なるタイトルが付けられることもあるだろう(ある個人が複数の名前で呼ばれることがあるように)。
ちょっと休み
2. 作品と事例
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単数芸術と複数芸術
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「事例」という概念
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モデルを複雑にする
単数芸術と複数芸術 [1/3]
単数芸術/複数芸術
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芸術存在論のもっとも初歩的な区分として、「単数芸術/複数芸術(singular art / multiple art)」という区分がある。
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素朴に言えば、作品が「一点物」なのが単数芸術であり、作品が「一点物」でない、つまり作品の具体的な現れが複数ありえるのが複数芸術である。
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ひとまず芸術形式を雑に分けると:
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単数芸術:絵画、彫刻、建築、etc.
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複数芸術:音楽、版画、映画、etc.
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単数芸術と複数芸術 [2/3]
注意点①
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「単数芸術/複数芸術」の区分は、以下の古臭い(にもかかわらず民間美学ではいまもなお健在な)区分とは別物である。
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空間芸術/時間芸術
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かつて造形芸術と言語芸術を対比するために提唱された古典的な区分。
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雑かつ概念規定が甘すぎて、現代の諸芸術に対しては使い物にならない。
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複製芸術/一回性の芸術
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有名なベンヤミンの論文「複製技術時代の芸術作品」に由来する区分。「オリジナルの消失」とか「シミュラ~クル」みたいなことを言いたがる人が使いがち。
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雑かつ概念規定が甘すぎるのはさておいても、文字通りには制作技術の区分なので、単数/複数の区分とは直接には関係ない。大量複製(マスプロダクション)の技術が複数芸術のバリエーションや規模を広げたくらいのことは言えるだろうが。
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単数芸術と複数芸術 [3/3]
注意点②
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「単数芸術/複数芸術」の区分は、厳密には芸術形式ごとではなく、個々の作品ごとに考えたほうがよい。
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要するに、「絵画は単数芸術、音楽は複数芸術」といった言い方は厳密に考えると不適切であり、正確には「この絵画作品は単数芸術作品、この音楽作品は複数芸術作品」といった言い方をすべきである。
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とはいえ、大まかな傾向として、同じ芸術形式に属する諸作品は(例外を除けば)おおむね同じ存在のあり方をしているので、特殊なケースを気にするのでなければ、「絵画は単数芸術、音楽は複数芸術」と言ってもそれほど問題はない。この授業でも、特定の具体例について細かい話をするとき以外は、作品単位ではなく芸術形式単位で考えることにする。
「事例」という概念 [1/4]
単数芸術と複数芸術の違いを明確化する
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単数芸術と複数芸術の違いは、直感的に理解できるだろう。しかし、その違いを正確に言い表すにはどう言えばいいのか。
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ここで理論的に導入されるのが、「作品(a work)」とは区別される概念としての「作品の事例(an instance of a work)」である。
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「作品の事例」という概念を使えば、次のように明確化できる。
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単数芸術:ひとつの作品に対して、その事例がひとつしかありえないもの
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複数芸術:ひとつの作品に対して、その事例が複数ありえるもの
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「事例」という概念 [2/4]
作品の事例(instance)の特徴づけ
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ある作品の事例は、その作品の鑑賞をする際に鑑賞者が直接に接する具体的な事物である。言い換えれば、作品の鑑賞における知覚経験(見る、聴く、触る、etc.)の直接の対象である。
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作品の事例は、文字通りの物体(object)である場合もあるし、時間的な幅を持った出来事(event)である場合もある。
※「事例」の原語は"instance"だが、オブジェクト指向プログラミングに馴染みがある人にとっては「インスタンス」と訳したほうがぴんときやすいかもしれない。実際、現代の形而上学で使われる"instance"は、「クラス/インスタンス」の対概念における「インスタンス」にかなり近い意味である。
「事例」という概念 [3/4]
作品の事例の具体例
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絵画・彫刻:物理的な物体そのもの
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演奏音楽:演奏によって発生する一連の音
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録音音楽:再生によって発生する一連の音
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演劇:上演によって発生する舞台上の一連の出来事(俳優の挙動・照明・音・etc.)
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映画:上映/再生によって発生するスクリーン上の一連の映像+音
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小説・マンガ(物理本):読者が実際に見る紙の冊子(に印刷された文字列・画像)
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小説・マンガ(電子書籍):読者が実際に見るデバイスに表示される文字列・画像
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版画:刷り上がりのプリント
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写真(物理):現像されたプリント
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etc.
「事例」という概念 [4/4]
モデルのチェック
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(再掲)「作品の事例」という概念を使えば、次のように明確化できる。
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単数芸術:ひとつの作品に対して、その事例がひとつしかありえないもの
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複数芸術:ひとつの作品に対して、その事例が複数ありえるもの
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作品の事例の個数にもとづいた「単数芸術/複数芸術」の区分を、いろいろな芸術形式(あるいは芸術と言いづらいような文化的カテゴリー)や作品に当てはめてみよう。どちらとも言えないような具体例が見つかれば、モデルを改訂するきっかけになる。
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スライドの最初に示した素朴な事実が、「作品の事例」という概念を導入したことですっきり説明できるようになったかどうか確認してみよう。まだ不十分かもしれない。
モデルを複雑にする [1/5]
「単数/複数」以外の観点
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当然ながら、「単数芸術/複数芸術」という区分だけでは、諸芸術の多彩なあり方を細かく拾うことはできない。必要に応じて、さらなる別の観点を導入してモデルを複雑にする必要がある。
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いくつかのありえる観点を紹介しておこう。
モデルを複雑にする [2/5]
事例のカテゴリー
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作品の事例が、文字通りの物体であるか、出来事であるかという観点での区分ができる。
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単数芸術の事例は物体であることが多いが、複数芸術の事例は物体の場合もあれば出来事の場合もある。
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単数芸術かつ事例が物体:絵画、彫刻、建築、etc.
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単数芸術かつ事例が出来事:パフォーマンスアート?(←作品っぽくない)
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複数芸術かつ事例が物体:小説、版画、etc.
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複数芸術かつ事例が出来事:音楽、演劇、etc.
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モデルを複雑にする [3/5]
事例生成の参照先
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作品の事例を作る際に、何が参照されるかという観点での区分もある。要するに、何をベースにして事例が生成されるかという区分。
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お手本(exemplar)つまり模範的な事例を参照先にするケース
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例:模範となる演奏 → 個々の演奏
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作品の性質がエンコードされた記録媒体を参照先にするケース
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例:フィルム写真のネガ → 個々のプリント
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指示書(instruction)を参照先にするケース
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例:楽譜 → 個々の演奏
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この観点はややこしいので次回授業でまた詳しく取り上げる。
モデルを複雑にする [4/5]
事例生成の担い手
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事例生成の参照先と密接に関わる区分だが、作品の事例が機械的に生成されるか、人の手によって生成されるかという区分もありえる。
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事例が出来事の場合
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人力:演劇、演奏音楽、ダンスなどのいわゆる上演芸術(performing arts)
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機械的:録音音楽、映画、etc.
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事例が物体の場合
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人力:手で一枚一枚刷る版画
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機械的:印刷される小説やマンガ
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当然ながら、「機械的/人力」の区別は程度問題である。
| 区分の観点→ ↓芸術形式 |
事例の数 |
事例のカテゴリー |
事例生成の参照先 |
事例生成の担い手 |
etc. |
|---|---|---|---|---|---|
| 絵画 | 単数 | 物体 | ― | 人力 | |
| 演奏音楽 | 複数 | 出来事 | 指示書/お手本 | 人力 | |
| 録音音楽 | 複数 | 物体/出来事 | 記録媒体 | 機械的 | |
| 映画 | 複数 | 物体/出来事 | 記録媒体 | 機械的 | |
| 版画 | 複数 | 物体 | 記録媒体 | 人力/機械的 | |
| 小説 | |||||
| 写真 | |||||
| ビデオゲーム | |||||
| ぬいぐるみ | |||||
| etc. |
内容は適当です。観点を増やすと、こういう複雑な分類表が作れるというイメージです。
モデルを複雑にする [5/5]
モデルとの付き合い方
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モデルは観点を追加していくことで、いくらでも複雑にできる。
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モデルを複雑にすることで、現実の多彩なケースを解像度高く説明できるようになるが、その分ごちゃごちゃしてくる。
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モデル・理論は、その都度の目的に沿ってすっきり使いやすいことが大事なので、不必要にごちゃごちゃさせるのはよろしくない。概念的な区別の引き出しがたくさんあるのはいいことだが、それを毎回フルに詰め込む必要はない。
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目下の議論や考察にとって必要な観点だけを導入するようにしましょう。
リアクションペーパーについて [1/2]
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毎回の授業後に、Googleフォームを通してその回の授業についてのコメントを提出していただきます。
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GoogleフォームのURLは、授業後にPandAの「お知らせ」で共有します。
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提出の締め切りは、その週の木曜日の23時です。
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提出実績およびコメントの内容は、成績評価に使います(評価基準については次頁を参照)。
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コメントは、名前を伏せたかたちで次回の授業で紹介することがあります。
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重要そうな質問・疑問には、基本的にScrapboxのQ&Aページで答えを返します(すべてに返すわけではありません)。
リアクションペーパーについて [2/2]
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コメントの内容は、その回の授業の内容(とくに重要なポイント)について、ご自分が理解したこと・考えたことや疑問・質問などを自由に書いてください。高いクオリティはとくに求めません。重要なポイントがなんとなく理解できている(あるいはどの点が理解できなかったかを自分で理解している)のがこちらに伝われば、平常点の評価としては問題ありません。
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ただし、以下の点に注意してください。
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白紙やその回の授業に関係のないことしか書かれていない場合は、不提出と同じ扱いにします。また、ろくに授業を聞いてないっぽい(あるいはまるで理解してないっぽい)コメントの場合は大きく減点します。
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日本語の文章として明瞭でない(何が言いたいのかぱっと読んでわからない)場合も減点します(非日本語ネイティブには配慮します)。
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不必要な情報を書き連ねるとか、極端に冗長である場合も減点します。
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コメントはLLMだけで済まさないでください。クオリティが低くて読んでいてうんざりするからです。
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スライドおわり
メディア文化学/美学美術史学(特殊講義)#2
By Shinji Matsunaga
メディア文化学/美学美術史学(特殊講義)#2
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