#7
作品論の落とし穴
「正しい」作品解釈とはなんだ
系共通科目(メディア文化学)講義A
月曜4限/第7回
松永伸司
2023.06.12
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作品論には方法論上の問題があることを理解する。
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キャロルによる批評の特徴づけを大まかに理解する。
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作品解釈の「正しさ」がどのようにして言えるのかについての諸説(分析美学における意図論争)を大まかに理解する。
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作品論の意義について考える。
今日の授業のポイント
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1. 作品論と批評
2. キャロルの批評の哲学
3. 分析美学の意図論争
1. 作品論と批評
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「正しくない」作品解釈
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作品論と批評
「正しくない」作品解釈①
作品解釈の正当化の実践
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文学作品であれ映画作品であれなんであれ、それをどう受け取るか、どう解釈するかは、ある意味では鑑賞者の自由である。そこに道徳的規範や法規範のような強い規範(こうあるべし)は普通はない。
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一方で、ある作品解釈が表明されたときに、それに対して「正しくない」「不適切である」「説得力がない」といった反応が寄せられることは実際にはよくあるし、そこで議論になることもよくある。
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※さらに進んで、その解釈にもとづいた作品の評価(=価値づけ)が「正しくない」とされることもしばしばあるが、今回は評価の「正しさ」の話はしない。
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ようするに、規範性はたいして強くないものの、ある作品解釈の正当性を問題にするという営みは、ある種の文脈の中で実際になされている。
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※「正当性/正当化(justification)」という語はテクニカルタームなので誤解しないように注意。「言い訳」みたいな意味ではない。Scrapboxの「第5回のコメントと応答」を参照。
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「正しくない」作品解釈②
例示
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作品解釈の「適切さ」をめぐる議論・意見対立の例
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作品解釈の「適切さ」が倫理的判断にからむ例
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あるテキストの読解に「適切な」読みとそうでない読み(いわゆる誤読)があるとされるのも、さらには現代文の読解問題に「正解/不正解」があるとされるのも、原理的にはこれらと同じ話である。
「正しくない」作品解釈③
注意点
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今回の授業のポイントを明確にするために注記しておく。
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ある作品解釈が本当に(?)「正しい」のかどうか、そんなことが本当に(?)ありえるのかどうかは、ここでは一切問題にしていない。問題にしているのは、ある作品解釈に対して「正しい/正しくない」と言われる実践が現にあり、それが言われるときにどんな理屈が使われているのか(どのようなしかたでそれが正当化されているのか)ということだけである。
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もちろん、作品解釈は「自由」で「人それぞれ」であるとされるような実践や文脈もあるだろうが、そういう別の種類の実践は今回はとくに問題にしていない(その手の実践を取り上げて論じる意義もあまりない)。
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「作品解釈は結局は“主観的”でしかない」みたいな方向で考えたりコメントしたりすることはポイントがずれているので(かつ生産性もないので)、ちょっと気をつけるようにしてください。
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Scrapboxの「第3回のコメントと応答」の冒頭部分も参照。
作品論と批評①
個別作品を対象にした研究
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文学研究や美術史学といった確立した芸術学の分野では、作品論、つまり、個別作品を取り上げて何かを論じるタイプの研究が数多くある。
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作品論とは区別される芸術研究として、作家論(作品というよりも個別の作家について論じる)や様式論・ジャンル論(一定の作品群に共通するパターンについて論じる)があるが、それらもある程度は個別作品のあり方を議論の前提としているという意味では、作品論の成分を部分的に含むのが普通である。
作品論と批評②
作品論と批評は違うのか
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いわゆる「批評」や「考察」と呼ばれる営みと、アカデミックな研究としてなされる作品論を、互いに排他的なカテゴリーとして線引きしようとするのはナンセンスである(もっと言えば、日常的に使われているカテゴリーのあいだに厳密な線引きをしようとすることの多くがナンセンスである)。
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なので「両者は違うのか否か」という問いかたはしないほうがよい。
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むしろ、ある種の批評の特徴を観察することによって、アカデミックな作品論が実際に何をやっているのかをよりよく理解できるということに注目したほうがよい。
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「批評(criticism)」と呼ばれる営みにはいろいろなタイプがあるが、何か作品を取り上げ、いろいろと理由・根拠を持ち出して、正当化を伴うしかたでその作品を評価する(あるいは歴史的に位置づける)タイプの批評は、アカデミックな作品論がやっていることと多くの共通点を持つ。
作品論と批評③
キャロルの批評の哲学
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分析美学者のノエル・キャロルは、このタイプの批評を「理由にもとづいた価値づけ(reasoned evaluation)」と呼んだうえで、その全体的なプロセスをいくつかのサブ作業に分解して説明している。
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文献:キャロル『批評について』森訳、勁草書房、2017年
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キャロルの議論は、最初に挙げた作品解釈の「正しさ」をめぐる言説やアカデミックな作品論が、どういうことをやっているか、何を根拠として持ち出しているか、その理屈の背後にどんな前提があるか、などを理解するために役立つ。
2. キャロルの批評の哲学
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評価と6つのサブ作業
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作品論の作業
評価と6つのサブ作業①
キャロルの基本的な考え
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引用(『批評について』119–120頁)
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「「批評の諸部分」という語が意味しているのは、一本の批評文を書くために必要となる、もろもろの作業のことである。通常、これらの作業は他の作業から完全に独立して行なわれるわけではないし、むしろそれらは相互に影響しあっているのだが、わたしたちは実用的な観点から、これらの作業をいくつかに区分することができる。〔…〕ここに含まれる作業としては、記述、分類、文脈づけ、解明、解釈、分析、そして価値づけがある。」
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「本書が掲げる批評観にしたがえば、〔…〕価値づけ以外の6つの作業の主な機能は、[最後の]価値づけのための根拠を提供するところにある。〔…〕批評家は、記述、文脈づけ、分類などの作業のうち、ひとつもしくは複数の作業をもとにして、[自分が最終的に提出する]評価を支えるのだ。」
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評価と6つのサブ作業②
批評の作業
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作業の区分
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記述(description)
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分類(classification)
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文脈づけ(contextualization)
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解明(elucidation)
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解釈(interpretation)
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分析(analysis)
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評価(evaluation)
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※邦訳書だと“evaluation”は「価値づけ」と訳されているが、このスライドではシンプルに「評価」にしておく。
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評価以外の6つは、評価(作品のよしあしの判断)を支える根拠になる。
評価と6つのサブ作業③
記述(description)
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批評の対象となる作品がだいたいどんな特徴を持った作品なのかを、批評の読み手に伝える作業。他の作業の前提になることもよくある。
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例
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具象画作品のケース:主題、色・構図、技法、美的性質、表出的性質
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物語作品のケース:ストーリーの概説
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評価と6つのサブ作業④
分類(classification)
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当の作品が、どんな芸術カテゴリーに属するかを読み手に伝える作業。
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芸術カテゴリーには、いろいろなレベルがある。
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芸術形式:絵画、彫刻、音楽、演劇、映画、etc.
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ジャンル:ホラー、SF、時代劇、ジャズ、ヒップホップ、etc.
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様式:第5回のスライドを参照。
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etc.
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引用「〔分類は〕批評の根本的な任務である。なぜなら、その芸術作品がどの(諸)カテゴリーに属するかを知ることで、わたしたちはその作品にいかなる期待を抱くべきかを理解できるようになるからだ。そしてその知識がこんどは、その作品の成功・失敗を、少なくともその作品固有の条件で判定するための根拠を与えてくれる。」(131頁)
評価と6つのサブ作業⑤
文脈づけ(contextualization)
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当の作品を取り巻く環境・文脈を読み手に伝える作業。
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(当の作品が属するカテゴリーに関する)芸術史的な文脈について述べる場合もあれば、より広い社会的な文脈について述べる場合もある。
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文脈をはっきりさせることで、作者のねらいや作品の歴史的意義の特定が可能になる。
評価と6つのサブ作業⑥
解明(elucidation)と解釈(interpretation)
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キャロルは、一般的には「解釈」という語でひとまとめにされる作業を、「解明」と「解釈」とに分けている。
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解明
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作品が表象する文字通りの意味(自然に引き出せる意味や、記号使用の慣習・約束事を知っていればおおよそわかるような意味)を読み手に伝えること。
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例
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小説作品における語や文の直接的な意味をはっきりさせる。
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絵画作品に直接的に描かれている主題をはっきりさせる。
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イコノグラフィーによって引き出せる主題をはっきりさせる。
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映画作品で直接的に描かれている出来事をはっきりさせる。
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etc.
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評価と6つのサブ作業⑦
続き
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解釈
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解明が問題にするような直接的な意味よりももっと漠然とした作品の意味あい(significance)を特定すること。たとえば、作品全体としてのメッセージ・テーマ・コンセプト、隠喩的な意味、寓意などの特定。
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引用「識字能力をもち読書体勢のととのっている読者は、カフカの『城』のあらゆる語・文の言語的意味を〔…〕把握できるだろうし、また、物語理解という点では、その物語の各節目、各エピソードで〔主人公の〕Kに何が起こったのかも理解することができる。しかしながら、[そのような者にとっても]依然として次のような問いは残っている。この作品は全体としていかなる主題を意味しているのか――結局この作品はどういうものなのか?」(162頁)
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評価と6つのサブ作業⑧
分析(analysis)
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当の作品がいかに機能しているかを説明する作業。
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作品の意味を突き止める作業(解明や解釈)は分析の一種であり、とくに目立つものだが、分析の作業は解明や解釈以外にもいろいろある。
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たとえば、抽象的なデザインがいかにしてこれこれの美的性質をもたらしているのかを記述することは、この意味での分析に含まれる。
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引用「その作品の色、テクスチャー、パターンは、心地よくゆったりした雰囲気をいかにして作り上げているのか。それらはわたしたちの目をどのように誘い、どのように惹きつけ、どのように楽しませているのか。こうした点を、批評家は説明することができるのだ。たとえその作品に、意味や意義が——解釈の対象となりうるような広義の意味すらも——まったくないとしても、その作品には依然として要点や目的がある。分析の任務は、そのような要点・目的が作品の構成部分によっていかにして実現されているのか、を説明することである。」(178頁)
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作品論の作業①
批評・作品論の具体例
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以下を例にして、キャロルによる批評の6つのサブ作業の具体的なありかたを考えてみる。
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『On Your Mark』は宮崎駿による1995年の短編アニメーション作品。CHAGE&ASKAの曲「On Your Mark」のミュージックビデオとして制作されたが、謎が多いのもあって、独立したフィクション作品として取り上げられることが多い。
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この「解説」動画は、実質的にこの作品の批評あるいは作品論であり、キャロルが挙げているような諸作業(およびそれを根拠とした作品の価値づけ)がてんこもりになっている。
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作品論の作業②
アカデミックな作品論の特徴?
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「学術論文」として発表されるようなアカデミックな作品論は、いろいろな芸術分野で広く行われている批評と比べると、どんな特徴を持つものだと言えるのか。
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アカデミックな作品論の典型的な特徴
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評価の側面(キャロルが批評の最終的な目的と考えているもの)が相対的に少ない。つまり、作品の出来のよしあしを明示することが相対的に少ない。とはいえ、歴史的な位置づけも評価の一種だと考えれば、アカデミックな作品論もある意味での作品評価をしていると言えるかもしれない。
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各種の根拠づけの作業を相対的に厳密に行う。たとえば、分類や文脈づけを十分な知見にもとづいて行う。
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対象となる作品の選択にそれなりに気をつかう(当の作品を取り上げる研究上の意義を気にする)。
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作品論の作業③
作品論の意義?
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いずれにせよ、アカデミックな作品論がやっている作業の中身自体は、キャロルが挙げる批評の諸作業の範囲内におおよそ収まるはずである。仮に(キャロルが言う意味での)批評と作品論に何か違いがあるとしても、それは相対的な程度の違いだろう。
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作品論についての問い
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個別の作品を論じる「学術的な」意義は(もしあるとして)何なのか。
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作品ごとにその意義は変わるのか。つまり、この作品を論じる意義はあるが、この作品を論じる意義はない、といったことはあるのか。もしあるとすれば、その基準は何か。
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ポピュラーカルチャーの場合でも、作品論に意義はあるのか。
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キャロル的な批評は、すべてアカデミックな作品論として認められるのか(認められるべきなのか)。
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3. 分析美学の意図論争
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作者の意図と作品の解釈
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意図主義/反意図主義のバリエーション
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意図論争の使いかた
作者の意図と作品の解釈①
意図論争の概略
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〈作品の「正しい」解釈は、作者の意図に沿って決まる〉という立場(おそらくもっとも素朴な立場)は「意図主義(intentionalism)」と呼ばれる。
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20世紀の分析美学では、作品の解釈がどのように正当化されるか(実際にどのような正当化の戦略がとられているか)について議論は、意図主義への批判とそれに対する意図主義者からの反論から始まったこともあって、作者の意図と作品の解釈の関係をどう考えるかという論点を中心に展開してきた。この論争は「意図論争」と呼ばれることもある。
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これは、まずは作品の解釈(キャロルの用語法だと解釈というより解明に相当する)、とくに文学作品の解釈をめぐる論争だが、解釈以外の批評の諸作業(たとえば記述や分析や分類)にもある程度までは応用できるだろう。
作者の意図と作品の解釈②
いろいろな立場
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今回の授業では、大まかにどういう諸説が提案されているかを紹介するにとどめる。実際には、それぞれの立場には長所と短所があるが、そこに踏み込むとかなり細かいテクニカルな議論になるので、今回はそれぞれ説がどういう主張をしているかだけを取り上げる。
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また、諸説の区分のしかたにもいろいろある。ここでは、以下の論文にもとづいた区分を採用する。
意図主義/反意図主義のバリエーション①
原による諸説の区分
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反意図主義(anti-intentionalism)
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慣習主義(conventionalism)
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価値最大化説(value-maximizing theory)
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仮説的意図主義(hypothetical intentionalism)
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意図主義(intentionalism)
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極端な現実意図主義(radical intentionalism)
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穏健な現実意図主義(moderate intentionalism)
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意図主義/反意図主義のバリエーション②
慣習主義(conventionalism)
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作品それ自体と、作品解釈のための適切な慣習(約束事)が、適切な能力を持った鑑賞者に与えられていれば、それだけで十分に正当化可能な解釈が引き出せるという説。作者の意図を持ち出すことを否定している点で、わかりやすく反意図主義の立場になっている。
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分析美学の意図論争のきっかけを作ったと言えるウィリアム・ウィムザットとモンロー・ビアズリーは、「意図の誤謬」という有名な論文の中でこの立場を押し出している。
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ウィムザットとビアズリーの主張のポイントは、仮に作者の意図が重要だとしても、その意図も結局は作品から読みうるものである以上、作品以外の経路から作者の意図を推し量る必要はないという点にある。
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意図主義/反意図主義のバリエーション②
価値最大化説(value-maximizing theory)
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作品の芸術的価値をもっとも高めてくれるような解釈が「正しい」解釈だとする立場。作者が実際に意図していなくても、その解釈によって魅力が増すのであれば、その解釈は正当化されるとする。
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反意図主義全般に言えることだが、〈作品は(因果的には作者によって作られたものだとしても)いったん作り上げられれば、作者の手を離れて自律したものになる〉という比較的常識的な芸術観が主張のモチベーションになっている。
意図主義/反意図主義のバリエーション③
仮説的意図主義(hypothetical intentionalism)
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当の作品の鑑賞に関する適切な能力を備えた鑑賞者(のコミュニティ)が、おそらく作者はこれこれのように意図したであろうという仮説にもとづいて引き出すような解釈が正当化されるという立場。
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その仮説はいろいろなデータにもとづいて立てられる。そこには、作品それ自体も当然含まれるし、場合によってはインタビューでの作者の発言や作者に関する伝記的事実なども仮説の材料になるだろう。
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この点で、作品と慣習だけを気にすればよいという慣習主義よりも、作品解釈のために利用する材料が幅広い。
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仮説的意図主義は、「意図主義」という名前はついているが、作者の実際の意図を問題にしないという点で、反意図主義の一種と言える。
意図主義/反意図主義のバリエーション④
極端な現実意図主義(radical actual intentionalism)
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〈作者の実際の意図に沿う解釈こそが正当化される〉という文字通りの意図主義は、仮説的意図主義と対比されてしばしば「現実意図主義」と呼ばれる。おそらく民間美学ではもっとも頻繁に見られる立場。
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極端な現実意図主義は〈作者の意図したことは何であれ作品の意味である〉というわかりやすい立場をとる。
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現実意図主義は、基本的に、作者と鑑賞者のコミュニケーションとして作品解釈のプロセスを考える。
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日常的なコミュニケーションの成否は、一般に意図ベースで説明されるので、作品解釈がコミュニケーションの一種だとすると、意図主義に一定のアドバンテージがある。
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意図主義/反意図主義のバリエーション⑤
穏健な現実意図主義(moderate actual intentionalism)
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極端な現実意図主義には、ハンプティ・ダンプティ問題(意図さえあればどんな無茶苦茶な言葉づかいも許容されることになってしまう)に陥るという致命的な難点がある。
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ハンプティ・ダンプティ
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『鏡の国のアリス』に登場するキャラクター。
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引用「「僕が言葉を使うときはね」とハンプティ・ダンプティはあざけるように言いました「その言葉は、僕がその言葉のために選んだ意味を持つようになるんだよ。僕が選んだものとぴったり、同じ意味にね。」」
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穏健な現実意図主義は、意図主義の基本的なモチベーションを維持しつつ、主張を少し弱めることで、極端な現実意図主義が持ついくつかの難点を回避しようとする立場。
意図主義/反意図主義のバリエーション⑥
穏健な現実意図主義の続き
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先に紹介したノエル・キャロルは、穏健な現実意図主義の代表的な論者である。
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引用「穏健現実意図主義は〈作品の意味は、その意図が作品のあり方に一貫している限りにおいて、芸術家の意図によって決定される〉と主張する。つまり、芸術作品の意味を決定する作者の意図は、作者自身から知らされる場合も含めて、作者の意図したものを知らされた後であってもよいから、読者や視聴者あるいは聞き手が作品のうちに見分けることができるものと両立していなければならない。」(キャロルの主張を原の論文から孫引用)
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意図論争の使いかた
意図論争を実践の理解につなげる
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実際に作品解釈の正当化が問題にされる場合、ケースごとにこれらの戦略のどれかが使われたり、複数が同時に使われたりしていることが多いと思われる。
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それゆえ、どれかひとつの立場が正しいということではなく、〈わたしたちの作品解釈の実践の中では、こうした複数の正当化の戦略がその都度の文脈や関心に応じて使い分けられている〉というくらいの理解をしておくのが無難である。
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同じことはまた、アカデミックな作品論の方法論に対しても言えるかもしれない。
参考文献
批評の哲学、分析美学における意図と解釈
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キャロル『批評について』森訳、勁草書房、2017年
日本語で読める批評の哲学の本は、いまのところこれくらいしかない。
意図主義を全面に出す立場で癖は強いが、批評の諸作業をすっきり整理してくれている部分は、意図主義をとるかどうかにかかわらず役に立つ。
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ウィムザット/ビアズリー「意図の誤謬」河合訳、『フィルカル』2巻1号、2017年
反意図主義を打ち出した古典的な論文。作品解釈において作者の意図の参照がなぜ不要かの根拠を明確に示しており、同意するかどうかはともかく、非常に示唆に富む。
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原「美学における意図論争の再描像」『Contemporary and Applied Philosophy』14号、2023年 https://doi.org/10.14989/281508
最近出た論文。意図と解釈をめぐる論争のサーベイとしておすすめ。
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ステッカー『分析美学入門』森訳、勁草書房、2013年、第7章
細かい話も多いが、これをざっと読んでおけば、意図と解釈をめぐる論争の諸論点や諸立場が最低限大まかには把握できると思われる。
系共通科目(メディア文化学)#7
By Shinji Matsunaga
系共通科目(メディア文化学)#7
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