#11
ブロックチェーンとアウラ
メディア文化学/美学美術史学(特殊講義)
月曜4限/第11回
松永伸司
2026.01.26
期末レポートについて
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Scrapboxに期末レポートの提出要領のページを作りました。
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課題、提出方法、提出期限などについて、各自で十分に確認してください。
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卒業・修了年度(学部4回生、修士2回生)とそれ以外とで、提出期限が違っています。注意してください。
今日の授業のポイント
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ベンヤミンの「アウラ」についてざっくり理解する。
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ブロックチェーン技術、とくにNFT技術とは何をする技術なのかを存在論の観点から整理する。
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NFTアートの実践について考える。
今日のメニュー
1. ベンヤミンの「アウラ」
2. ブロックチェーンとアウラ
1. ベンヤミンの「アウラ」
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複製技術によるアウラの凋落
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アウラの遠さ
複製技術によるアウラの凋落 [1/7]
ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」
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ヴァルター・ベンヤミンは、よく知られた論文「複製技術時代の芸術作品」(初稿1935年)の中で、写真や映画といった複製技術をベースにした新時代の芸術によって、芸術の受容が旧来のあり方(一点物の芸術をありがたがるという受容のあり方)から劇的に変わった(あるいは変わりつつある)ことを論じている。
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その状況に対するベンヤミン自身の態度は、ポジティブとネガティブのどちらであるとも明確には言いづらいが、ともかくマルクス主義的な進歩史観から、資本主義の発展段階に応じて生じた文化(上部構造)のレベルでの進歩的な変化として評価されている。


ヴァルター・ベンヤミン
(Walter Benjamin, 1892–1940)
『ベンヤミン・コレクション 1』
ちくま学芸文庫
複製技術によるアウラの凋落 [2/7]
複製技術は芸術のアウラを台無しにする
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この論文の中でベンヤミンが示しているメインの主張※を一言でいえば、複製技術は旧来の芸術作品が持っていた「アウラ」を台無しにする、というもの。
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ベンヤミンの決め台詞:
芸術作品が技術的に複製可能となった時代に衰退してゆくもの、それは芸術作品のアウラである。
※ベンヤミンの癖だと思われるが、論文の全体としては、論点が取っ散らかりすぎて何が言いたいのかよくわからない感じの文章になっている。複製技術によるアウラの凋落という主張それ自体がメインなのか、その主張を前提としたさらなる別の主張がメインなのかは正直よくわからない。「礼拝価値/展示価値」という有名な区分も関連して導入されるが、無駄に論点を広げたくないため今回は取り上げない。
複製技術によるアウラの凋落 [3/7]
アウラとは
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「アウラ」とは何かについてベンヤミンはろくに説明していないが、大雑把に言えば、一点物の芸術作品や一回きりの上演が持つ「〈いま-ここ〉的性質」のこと。
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あとで述べるように、そこにある種の「遠さ」も付随するとされる。
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複製技術(より正確には手製による複製ではなく機械による複製の技術)によって「アウラ」が台無しになる理屈も含めて、次のページからベンヤミン自身の言葉をいくつか引用する。
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ちなみに、ベンヤミンが想定している「複製」の具体例は、写真による絵画作品の「複製」、レコードによる音楽演奏の「複製」、実写映画による現実の風景や視界の「複製」などである。第2回授業で紹介した「複数芸術」という概念とは(無関係ではないにせよ)かなり距離があることに注意。
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複製技術によるアウラの凋落 [4/7]
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引用([ ]内の数字はちくま学芸文庫版(久保訳)のページ番号):
どんなに完璧な複製においても、欠けているものがひとつある。芸術作品のもつ〈いま-ここ〉的性質——それが存在する場所に、一回的に在るという性質である。しかし、ほかならぬこの一回的な存在に密着して、その芸術作品の歴史が作られてきたのである。〔中略〕オリジナルのもつ〈いま-ここ〉的性質が、オリジナルの真正さという概念を形づくる。〔中略〕真正さの全領域は、技術的——そしてもちろん技術的なものだけでない——複製の可能性を受けつけない。 [588]
複製技術によるアウラの凋落 [5/7]
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引用の続き:
〔写真やレコードのような複製技術を使ってオリジナルの模像を手元に置けるようになったという〕芸術作品をとりまく状況のこのような変化は、他の点では作品のありように影響を及ぼさないかもしれないが、しかし芸術作品の〈いま-ここ〉的性質だけは必ず無価値にしてしまう。このことは決して芸術作品だけに当てはまるのではなく、たとえば映画で観客の目の前を通り過ぎてゆく風景にもそれなりに当てはまるのではあるが、芸術作品の場合この過程は、あるきわめて敏感な核に触れるのである。自然物は、これほど傷つきやすい核をもってはいない。この核とは芸術作品の真正さである。ある事物の真正さとは、この事物において、根源から伝承されうるものすべてを総括する概念であり、これにはこの事物が物質的に存続していることから、その歴史的証言力までが含まれる。 [589]
複製技術によるアウラの凋落 [6/7]
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引用の続き:
〔「〈いま-ここ〉的性質」や「真正さ」といった言葉で名指せるような〕これらの特徴をアウラという概念でひとまとめにして、こう言うことができる——芸術作品が技術的に複製可能となった時代に衰退していくもの、それは芸術作品のアウラである。〔中略〕複製技術は複製を数多く作り出すことによって、複製の対象となるものをこれまでとは違って一回限り出現させるのではなく、大量に出現させる。そして複製技術は複製に、それぞれの状況のなかにいる受け手のほうへ近づいてゆく可能性を与え、それによって、複製される対象をアクチュアルなものにする。 [590]
複製技術によるアウラの凋落 [7/7]
アウラの凋落の具体的な現れ
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ベンヤミンによれば、芸術におけるアウラの凋落は、社会のいろいろな面で具体的に見て取れる。ベンヤミンは、そうした多様な現れとその帰結について(自身の政治的立場を押し出しながら)とりとめのない主張をしているが、ここでは2点挙げておく。
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作品との付き合い方の変化:アウラにはある意味での「遠さ」「近寄りがたさ」が付随するが、「大衆」(複製技術を積極的に受け入れる人々)は、コピーを通じて作品を手元に所有し、それによって作品のアウラを台無しにする。
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伝統からの切り離し:作品が唯一無二であるということと、それが特定の伝統の中で意味づけられている(たとえばありがたがられる)ことはイコールだが、アウラの凋落によって、作品は、従来それが埋め込まれていた宗教的・儀式的な伝統から切り離される。
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アウラの遠さ [1/4]
アウラの遠さ
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ベンヤミンが言う芸術作品のアウラは、基本的には、〈いま-ここ〉性、一回性、唯一無二性によって特徴づけられるが、ベンヤミンはそれに加えて、アウラにはある種の「遠さ」つまり近寄りがたさがあるという主張をしている。
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これはおそらく、ベンヤミンが自分が言いたいことを言うために「アウラ(Aura)」という神秘性を含意する語を選んだ理由でもあるだろう。
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「複製技術時代の芸術作品」の中でもとりわけ印象深い一節を引用する。
アウラの遠さ [2/4]
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引用:
そもそもアウラとは何か。空間と時間から織りなされた不可思議な織物である。すなわち、どれほど近くにであれ、ある遠さが一回的に現れているものである。夏の午後、静かに憩いながら、地平に連なる山なみを、あるいは憩っている者の上に影を投げかけている木の枝を、目で追うこと——これがこの山々のアウラを、この木の枝のアウラを呼吸することである。 [592]
アウラの遠さ [3/4]
一回性+遠さ、その逆としての反復可能性+近さ
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ベンヤミンによれば、アウラを「ある遠さが一回的に現れているもの」として考えると、現代(20世紀初頭)においてアウラがまったく重要視されなくなっている事態がよく理解できるという。
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「大衆」は、複製技術によるコピーを通じて、一度きりのもの、唯一無二のものを克服しようとする。
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同時に「大衆」は、コピーを所有することを欲し、対象を身近なものにしようとする。
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いずれも「一回的な遠さ」とは逆方向のものを求めている。
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明確ではないものの、ベンヤミンはおそらく以上のような発想で書いている。
アウラの遠さ [4/4]
一回性と遠さの関係
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しかし、「一回性・唯一無二性」と「遠さ」は、ベンヤミンが考えるほど密接に結びついた概念ではないと思われる。
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あとで見るように、対象の一回性・唯一無二性を重視しつつ、同時にそれを身近なものとして所有することを欲するという実践は普通にある。
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同じく、反復可能性と「近さ」もストレートに結びつくものではない。なぜかベンヤミンは、レコードを反復可能なものの代表のように考えているが、これまでの授業で見てきたように、音楽作品は録音されようがされまいが反復可能な存在者である。だからと言って、あらゆる音楽作品がベンヤミンが言う意味での「近さ」を持つわけではないだろう。
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ちょっと休み
2. ブロックチェーンとアウラ
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デジタルデータの存在のあり方
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NFTは何をする技術か
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アウラの復権?
デジタルデータの存在のあり方 [1/3]
デジタルデータは物理的に存在する?
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デジタルデータ、たとえばわれわれが「コンピュータ上のファイル」と呼ぶもの(ExcelファイルであれPDFファイルであれ)は、存在論的に言って、どのような存在者なのか。
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デジタルデータは物理的な存在とは言いづらい。デジタルデータの物理的な支え(特定の状態にあるハードウェア)はつねに存在するが、それはデジタルデータそのものではない(支えとなるハードウェアが変わっても同じデータは保持されうるから)。
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一方で、われわれは素朴にはデジタルデータが物理空間上に存在するかのような物言いをする。たとえば、ローカル保存されたファイルが、特定のPCのハードディスクの中に(あるいは特定のUSBメモリの中に)保存されている、といった物言いをする。実際、そのハードディスクが壊れれば、そのローカルファイルは失われるのである。
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デジタルデータの存在のあり方 [2/3]
デジタルデータの正体
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存在論的に言えば、デジタルデータは、2文字しかない記号システムのもとでの記号の長大な羅列である(長さに決まりはない)。
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この2文字は通常「0, 1」と表現されるが、「off, on」でもなんでもよい。
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テキストデータであれイメージファイルであれ、最終的には2種類の文字からなる記号列に還元される。
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この点でデジタルデータは、楽譜や俳句やアルファベットの文字列(たとえば英語で書かれた文学作品)と大差ない。俳句は、50個の文字を持つ記号システムのもとで、17文字を選び出した記号列である。楽譜も、より複雑になるにせよ、限られた記号の集まりの中から記号をピックアップして並べたものという点では違いがない。
デジタルデータの存在のあり方 [3/3]
デジタルデータのタイプ/トークン
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タイプ/トークンの区分を使えば、デジタルデータが異なるハードウェア間で同一性を保つことと、デジタルデータが特定のハードウェアの中に物理的に存在すると言いたくなる直観の両方をうまく説明できる。
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2値の記号列としてデジタルデータを見る場合、それはタイプとしてのデジタルデータである(俳句の作品がタイプであるのと同じ意味で)。
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一方で、個々のデバイス(PCのハードディスクやUSBメモリやクラウドストレージ)上に物理的にあるのはトークンとしてのデジタルデータである。それはプログラムによって呼び出されるたびにRAMにコピーされる(同じタイプの別トークンが生成される)。
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あるデジタルデータの(身近にある)全トークンが失われれば、そのデジタルデータへのアクセスが閉ざされる。「ファイルがなくなる」というのはそういう事態だろう。
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NFTは何をする技術か [1/6]
デジタルデータの代替可能性
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デジタルデータは、原理的に言って、完全に複製可能である。トークン間に「本物」と「コピー」という区分が原理的に付けられないと言ってもよい。ファイルの「コピー」と呼ばれているものは、たんに時間的にあとに作られたトークンという意味でしかない(それもデータの中身そのものではなくメタデータ上の違いでしかない)。この点で、あるデジタルデータの諸トークンは、つねに互いに代替可能である。
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デジタルデータが原理的に代替可能なものであるという事実に対して、物理的な事物が持つのと似たような一種の代替不可能性をデジタルデータに疑似的に持たせる技術が、NFT技術である。
NFTは何をする技術か [2/6]
NFT技術とは
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NFT(non-fungible token):非代替性トークン
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ChatGPTによる説明:
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「NFTは、ブロックチェーンを使って「このデジタルデータを、誰がどのように扱ってきたか」を改ざん困難な形で記録する技術です。コピー可能なデータに、唯一性や来歴を与える社会的仕組みだと言えます。」
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NFTの応用例:
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NFTアート(後述)、ビデオゲーム内アイテムの資産化、チケットの転売防止、各種の証明書の発行、etc.
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NFTは何をする技術か [3/6]
NFT技術とは:続き
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ブロックチェーンの技術的な詳細についての説明はしないが、ブロックチェーンの基本的な特徴は、①取引の全履歴が記録される、②その記録の改ざんが実質的に不可能である、③中央集権的な管理者がいない、という点にある。
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NFTは、このブロックチェーンの特徴を使って、あるデジタルデータの特定のトークンを、それ特有の履歴を持った唯一無二の存在者(であるかのように見えるもの)に仕立て上げる技術だと言える。
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個別者性が与えられるのは、デジタルデータのタイプではなくトークンに対してであるという点に注意。
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NFTは何をする技術か [3/6]
NFTアートの実践
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NFTアートの実践を例に、NFT技術によってどのようにして、デジタルデータのトークンに、個別者性(唯一性)とそれに付随した経済的価値が一見与えられているか——ようするに、原理的に複製可能なはずのデジタルデータがいかに一点物の芸術作品と同じような扱われ方を一見しているか——を見てみよう。
NFTは何をする技術か [4/6]
引用:
新型コロナウイルス感染症の流行以来、オンラインでオークションに参加する方が増え、アート業界でもデジタル化が進んでいます。若いアーティストの中にはパソコンなどを使ってデジタルで作品を制作する人も多く、絵具は必須でなくなりました。
一方、デジタルアートは作品の完全なコピーが簡単なので、価値が低くなるのではと心配する人もいます。そこで使われるようになったのが、デジタルファイルがオリジナルであることを証明する技術、NFTです。
NFTは何をする技術か [5/6]
引用:
最近、NFTが注目を集めているのは、NFTによって所有権が明確になり、デジタルデータが高額で売買されるようになったからです。たとえば、世界的な人気ロックバンド、リンキン・パークのボーカリストであるマイク・シノダさんのデジタルミュージック作品《One Hundred Stream》は2021年2月に約300万円で落札されました。また、3月には日本のVRアーティストであるせきぐちあいみさんの作品《Alternate dimension 幻想絢爛》がNFTオークションに出品されて、約1300万円で落札されました。〔中略〕
アート作品ではありませんが、ツイッター創業者のジャック・ドーシーが、自身の最初のツイートを記念品としてNFT化したものの価格も約3億円になっています。ウェブの発明者とも言われるティム・バーナーズ・リーがWWW(ワールド・ワイド・ウェブ)のソースコードをNFT化して、約6億円で売却しました。
NFTは何をする技術か [6/6]
引用:
繰り返しになりますが、これらはいずれもデジタルデータであり、インターネット上で誰でも鑑賞が可能な作品で、その所有権だけがNFTというかたちで高額売買の対象になっているのです。
このようなNFTの盛り上がりに便乗する人もいます。「Burnt Banksy」(燃やされたバンクシー)と名乗る覆面作家は、約500万円で購入したバンクシーの本物の作品をデジタルデータ化してNFTオークションにかけるとともに、必要のなくなった物理的な現物の版画を燃やして、その映像をYouTubeで公開しました。このパフォーマンスが話題となってNFT化された作品は約4000万円で落札されたそうです。
アウラの復権? [1/4]
2021年当時の感想


アウラの復権? [2/4]
ベンヤミンの「アウラ」との差
- 実際には、ベンヤミンが想定していた「アウラ」のあり方と、現状のNFTアートの実践のあり方にはかなりの乖離がある。ベンヤミンは「アウラ」を、「遠さ」と言いうるようなある種の神秘的な側面を持つものとして考えていたと思われるが、その俗物的な側面(必要以上のありがたがり、一点物としての価格の吊り上げ、etc.)だけを引き継いでいるのが、現代のNFTアートの実践だと言えるかもしれない。
- 所有欲を満たそうとしたり転売で利益を得ようとしたりすることは、ベンヤミンが念頭に置いていた、遠くの山々や木の枝のアウラを「呼吸する」ような態度とはまったく異なるだろう。
アウラの復権? [3/4]
アウラの復権? [4/4]
現代のアウラ?
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一方で、おそらくベンヤミンは、そうしたアウラを「呼吸する」ことは、ある種の「遠さ」を引き受けることだと考えていた。
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匂いにホイホイ寄ってくるスノッブたちは、それゆえアウラの凋落を一見押しとどめているように見える人々は、アウラをきちんと「呼吸」できているのかどうか、別の受容の仕方をしていないかどうか。ベンヤミンの議論を現代に適用しようとする際には、その点は十分に気にしておいたほうがよい。
期末レポートについて
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Scrapboxに期末レポートの提出要領のページを作りました。
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課題、提出方法、提出期限などについて、各自で十分に確認してください。
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卒業・修了年度(学部4回生、修士2回生)とそれ以外とで、提出期限が違っています。注意してください。
スライドおわり
メディア文化学/美学美術史学(特殊講義)#11
By Shinji Matsunaga
メディア文化学/美学美術史学(特殊講義)#11
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