#9

定義論の落とし穴

「とはなんだ」とはなんだ

系共通科目(メディア文化学)講義A

月曜4限/第9回

松永伸司

2023.06.26

  • よくある(誰もが最初はやってしまう)「定義」の求めかたには、不適切なものが少なくないことを理解する。

  • 記述的定義と規約的定義の違いを理解する。加えて、解明的定義についてなんとなく理解できるとよい。

  • 必要十分条件のはたらきについて理解する。

  • 定義の使い道(本当に必要かどうかも含め)を考える癖を身につける。

今日の授業のポイント

今日のメニュー

1. 「とは何か」の答えかた

2. 定義の種類

3. 定義は必要なのか

 

1. 「とは何か」の答えかた

  • 「とは何か」の問い

  • だめな答えかた

「とは何か」の問い①

とは何か

  • 「Xとは何か」という問いに明確な答えを出すこと(あるいはその答えの内容)は、一般に「Xの定義(definition of X)」と呼ばれる。

  • 「Xとは何か(What is X?)」は、より正確には「あるものがXであるとはどういうことか(What is it for something to be X?)」と言い換えたほうが曖昧さがなくなってよいが、ややこしいので今回の授業では「Xとは何か」のかたちで進める。

「とは何か」の問い②

定義の定義?

  • 「Xとは何か」のXに「定義」を代入してみると、「定義とは何か」という問いになる。

  • この問いに明確な答えを出すこと(あるいはその答えの内容)は、定義の定義ということになる。

  • 答えを出すための具体的な手順はいろいろありえるが、自分ならどうやってこの問いに答えるか、ちょっと考えてみよう。

「とは何か」の問い③

よくあるやりかた(全部が適切な定義のやりかたであるというわけではないので注意

  • (a) 辞書を引く

  • (b) 字面を見る

  • (c) 語源をたどる

  • (d) 実際の用法を見る

  • (e) 意味を取り決める

「とは何か」の問い④

それぞれの説明

  • (a) 辞書を引く

    • 辞書(国語辞典など)で「定義」や“definition”を引いて、そこに書いてあることをそのまま使う。

  • (b) 字面を見る

    • 単語や熟語のつくりに注目して、「文字通りの意味」を指摘する。

    • たとえば「定義とは、言葉のつくりとしては〈定+義〉なのだから、文字通りには〈義を定めること〉、すなわち〈意味を定めること〉である」など。

  • (c) 語源をたどる

    • 語の由来を調べ、「原義」「本来の語義」を明らかにする。

    • たとえば「“definition”という語は、もとはラテン語の“definire”から派生したものであり、その本来の意味は云々」など。

    • (b)と組み合わせられることもよくある。

「とは何か」の問い⑤

続き

  • (d) 実際の用法を見る

    • その語が実際にどのような意味で使われているか、何を指すのに使われているかを確認し、その用法を明確に言語化する。

    • 記述的定義に相当する(あとで説明)

  • (e) 意味を取り決める

    • 当の文脈内でのその語の意味を取り決め、固定する。

    • たとえば「本稿では「定義」という語をこれこれの意味で使うものとする」など。

    • 規約的定義に相当する(あとで説明)

だめな答えかた①

だめな答えかた

  • (a)(b)(c)は、いろいろな場面で目にするものだと思われるが、それぞれ定義のやりかたとしては適切ではない。

  • 〈(a) 辞書を引く〉がだめな理由

    • 辞書の内容は、項目の執筆者がその語の実際の用法(用法がいろいろある場合は複数)を簡潔にまとめたものだが、それが必ずしも信頼に足るクオリティの説明であるとはかぎらない(少なくとも専門家や哲学者による説明の精度よりは劣るのが普通)

    • それゆえ、より信頼に値する研究にあたるか、自分自身で〈(d) 実際の用法を見る〉の作業をしたほうがよい。

    • そもそも、自分が問題にしたいその語の特定の用法が、すでに辞書に記載されているとはかぎらない。

だめな答えかた②

続き

  • 〈(b) 字面を見る〉がだめな理由

    • 「Xとは何か」という問いで問われているのは、“X”という言葉で名指される概念あるいはカテゴリーであって、“X”という言葉自体ではない。

      • 概念と言葉の関係については第2回第3回の授業資料も参照。

    • “X”はXにつけられているただのラベルであり、そのラベルの「文字通りの意味」がXの一般的な特徴を適切にあらわしている保証は何もない。

    • 名が体を表していないような事例は無数にある(ある程度は適切なネーミングの場合でも、厳密に考えると正確な呼び名になっていないほうが普通である)

      • アナグマ、カモシカ、青信号、写真、ロールプレイングゲーム、課金、メディア芸術、神聖ローマ帝国、学士(文学)、etc.

だめな答えかた③

続きの続き

  • 〈(c) 語源をたどる〉がだめな理由

    • (b)がだめな理由とおおむね同じ。

    • 語源をたどることで明らかになるのは、“X”という語の特定の用法がどのような歴史的経緯を経て現在に至ったかということであって、現在通用しているXという概念あるいはカテゴリーがどんなものであるかとは直接には関係がない間接的な関係くらいはあるだろうが)

だめな答えかた④

注意

  • こうやって書くと当たり前のことに思えるかもしれないが、定義が問題になっているときに(b)や(c)の方法をとってしまうタイプの誤謬は、日常の場面でも研究の場面でもかなり頻繁に見られるので、十分注意すること。

  • もちろん、(c)はそれ自体である種の歴史研究としての意義はあるが、それは定義の方法として使うべきものではない。

  • ちなみに(b)はそれ自体としての意義もほぼないので(ダジャレの材料くらいにはなるが)、言葉のつくりを気にするのは基本的に無意味な思考だと考えたほうがよい。

  • 参考:「メタバースとは何か?」定義を“作る”ところから考える

    • 「メタバース」の「定義」をめぐる注意点をいろいろ挙げている記事。

    • 定義論一般の注意点として読める。

2. 定義の種類

  • 3種類の定義

  • 必要条件と十分条件

  • 記述的定義の前提とタスク

3種類の定義①

定義の種類の区別

  • 「定義」とひとくちに行っても、いろいろな観点からいろいろな種類の区別がなされる。

  • ここでは、SEPスタンフォード哲学百科事典)の論文の区分を参考に、以下の3種類を紹介する。

    • 規約的定義(stipulative definition)

    • 記述的定義(descriptive definition)

    • 解明的定義(explicative definition)

3種類の定義②

規約的定義(stipulative definition)

  • ある語の意味を取り決めるタイプ。通常は、その当の文脈内(たとえばひとつの文書内)でのみ効力を発揮する。

  • 先に挙げた(e)に相当。

  • 完全な新語を導入する場合もよくあるが、既存の語の意味を新たに取り決めることもある。たとえば、数学的概念や法律上の概念の一部は、日常的に使われる語を、日常的な用法から切り離して、規約的に定義したものである

  • 規約的定義は、単純に新しい概念やカテゴリーを作っている(そしてそれに名前をつけている)だけであり、どんな定義をしようが原理的には定義する人の自由である。

  • もちろん、作られた概念・用語が何らかの意味で便利か否かという評価はできるが、それが正しいか否かという評価はできない。

3種類の定義③

記述的定義(descriptive definition)

  • すでに通用している概念やカテゴリーの一般的特徴を明確化するタイプ。

  • 先に挙げた(d)に相当。

  • たとえば、「知識とは何か」という問いに対して、「知識とは、正当化された真なる信念である」と答えるのは、わたしたちが普段理解しているものとしての〈知識(何かを知る)〉ということの一般的特徴を明確化することである。

  • あとで説明するが、記述的定義には、既存のカテゴライゼーションと一致していなければならないという制約がある。たとえば、〈正当化された真なる信念〉の範囲が、わたしたちが理解している意味での〈知識〉の範囲とずれていれば(つまり反例があれば)、その定義は正しくないということになる。

3種類の定義④

解明的定義(explicative definition)

  • すでに通用している概念・カテゴリーをベースにしつつも、より有用な(あるいはより事柄の本質に即した)概念・カテゴリーに作り替えるタイプ。

  • ルドルフ・カルナップが定式化したもの。

  • たとえば、本来〈魚(fish)〉は水中に生息する泳ぐ生き物全般をカバーするカテゴリーだったかもしれないが、生物学の中で〈えら呼吸する水生の脊椎動物〉と定義しなおされた(現在ではまた別の定義になっているはずだが)結果として、おそらく従来は魚の一種とみなされていたクジラその他の動物が、魚からは除外された。

  • 既存のカテゴライゼーションとのずれは、記述的定義であればよくないことになるが、解明的定義では(何らかの有用性があるかぎりで)問題なく認められる。

  • 解明的定義の例?

3種類の定義⑤

解明的定義の続き

  • カルナップが挙げる解明的定義のガイドライン

    • (1) 類似(similarity) 

      • 定義のカバー範囲が既存のカテゴリーとどれだけ一致しているか。

    • (2) 条件の厳密さ(exactness)

      • 適用条件がどれだけ厳密に定式化されているか。

    • (3) 実りの多さ(fruitfulness)

      • なんらかの普遍的言明や他の諸体系とどれだけつながりがあるか。

    • (4) 単純さ(simplicity)

      • どれだけシンプルか。

必要条件と十分条件①

カバー範囲の明確化

  • 規約的定義であれ、記述的定義であれ、解明的定義であれ、その定義によってある概念・カテゴリーがカバーする範囲を明確にする(あるいはその境界を画定する)ことを直接の目的としている点では共通である。これは「線引き」と呼んでもいいだろう。

    • ある概念やカテゴリーに含まれる範囲(集合論の用語で言えば集合に属する諸要素)の全体のことを哲学用語では「外延(extension)」というが、ややこしいのでここでは「カバー範囲」で通す。

  • カバー範囲の明確化は、普通は必要条件と十分条件の組み合わせによってなされる。

必要条件と十分条件②

定義の例

  • 定義(規約的/記述的/解明的を問わない)の具体例を使って考える。

  • 素朴な型の定義の例

    • ​​​​​​人間とは理性的な動物である。

      • 被定義項(=定義されるもの):人間

      • 定義項(=定義するもの):理性的な動物

  • この素朴な型の定義を、必要条件と十分条件によって明確に定式化してみよう。

必要条件と十分条件③

必要条件と十分条件による定式化

  • 〈人間〉の必要条件

    • あるものが人間であるのは、それが理性的な動物であるときにかぎる。

    • ​​​​​​Something is a human only if it is a rational animal.

  • 〈人間〉の十分条件

    • あるものが理性的な動物であれば、それは人間である。

    • Something is a human if it is a rational animal.

  • ​〈人間〉の必要十分条件

    • あるものが人間であるのは、それが理性的な動物であるとき、かつそのときにかぎる。

    • Something is a human if and only if it is a rational animal.

必要条件と十分条件④

余談:より正確な定式化(発展的な内容なので理解できなくても問題ありません)

  • 〈人間〉の必要条件

    • 任意のxについて、xが人間であるならば、xは動物であり、かつ、理性的である。

    • For any x, if x is a human, x is an animal and rational.

    • ∀x (Human(x) ⇒ Animal(x) ∧ Rational(x))

  • 〈人間〉の十分条件

    • 任意のxについて、xが動物であり、かつ、理性的であるならば、xは人間である。

    • For any x, if x is an animal and rational, x is a human.

    • ∀x (Animal(x) ∧ Rational(x) ⇒ Human(x))

必要条件と十分条件⑤

必要条件と十分条件はそれぞれ何をやっているのか

  • 必要条件のはたらき

    • 「この条件を満たさないものは、この概念・カテゴリーには含まれません。条件を満たすものはどうなるかしらんけど」ということを言っている。

    • ようするに排除のはたらき。

  • ​​​​​​​十分条件のはたらき

    • 「この条件を満たすものは、この概念・カテゴリーに含まれます。条件を満たさないものはどうなるかしらんけど」ということを言っている。

    • ​​​​​​​ようするに包摂のはたらき。

  • ​​​​​​​なので、片方だけだとカバー範囲が確定しない。両方そろうことで(いわゆる必要十分条件では、それぞれの条件の内容も同じ)カバー範囲がはっきりする。

Xの必要条件

内側がすべてXであるか

どうかはしらんけど

円の外側はすべて

Xじゃないよ!

Xの十分条件

外側がすべてXでないか

どうかはしらんけど

円の内側はすべて

Xだよ!

Xの必要十分条件

円の外側はすべて

Xじゃないよ!

円の内側はすべて

Xだよ!

必要条件と十分条件の

内容が異なると・・・

円の外側はすべて

Xじゃないよ!

円の内側はすべて

Xだよ!

「しらんけど」の

領域が残る

記述的定義の前提とタスク①

記述的定義の前提とタスク

  • 必要条件と十分条件のはたらきは、どの種類の定義でも変わらない。

  • 一方で、記述的定義や解明的定義の場合、定義(必要条件と十分条件の操作)による概念・カテゴリーの確定以前に、すでに世の中で通用している概念・カテゴリーが存在している。

  • とくに記述的定義の場合、定義による概念・カテゴリーのカバー範囲が、既存の概念・カテゴリーのカバー範囲と一致しなければならないというタスクがある。

記述的定義の前提とタスク②

カバー範囲を一致させる

  • たとえば、〈人間〉の記述的定義を考えてみる。

  • わたしたちは、普段の言葉づかいや認識において、〈人間〉という概念あるいはカテゴリーがどの程度の範囲をカバーするものであるかを大まかに理解しているとしよう(この前提がなければ〈人間〉の記述的定義は不可能である)

  • 〈人間〉の記述的定義には、この既存の〈人間〉のカバー範囲にできるだけぴったりあうように、必要条件と十分条件をデザインすることが求められる。

記述的定義の前提

既存の認識における

〈人間〉のカバー範囲

(ざっくりとした範囲)

既存の認識における

〈人間でないもの〉

のカバー範囲

記述的定義のタスク

既存の認識における

〈人間〉のカバー範囲

(ざっくりとした範囲)

必要条件と十分条件によるカバー範囲が

既存のカバー範囲とできるだけ

一致するように条件を工夫する

既存の認識における

〈人間でないもの〉

のカバー範囲

〈条件C1, C2 . . .〉

を満たすもの

〈条件C1, C2 . . .〉

を満たさないもの

うまくいった記述的定義

既存の認識における

〈人間〉のカバー範囲

(ざっくりとした範囲)

既存の認識における

〈人間でないもの〉

のカバー範囲

〈理性的な動物〉

のカバー範囲

〈理性的な動物ではないもの〉

のカバー範囲

カバー範囲がぴったり一致すると

記述的定義として成功!

記述的定義の前提とタスク③

余談:考えられる疑問点と応答(余力のある人は読んでください)

  • Q1. 「既存の認識におけるカバー範囲」と言うが、普通そのカバー範囲は明確に定まっていないだろう。明確でないカバー範囲に、明確な線引きをするはずの定義を一致させるとはどういうことなのか。

    • A1. そのようなケースは実際多いが、その場合にどうするかについての考えかたはいくつかある。ひとつは、「既存の認識におけるカバー範囲」を範例(典型的な事例)ベースで考えればよいというもの。Xの完全な範囲は明確でないとしても、典型的なXの範囲や典型的にXでないものの範囲はかなり明確なことが多い。また、そもそも既存の認識のカバー範囲が明確でなくても、記述的定義にとってとくに障害にならないという考えかたもありえる。

記述的定義の前提とタスク④

  • Q2. 仮に既存の認識におけるカバー範囲が明確であっても、それを完全に把握できることは普通はない。たとえば、〈人間〉の範囲が仮に明確にあるとしても、それに含まれるすべての事例をあるひとりの人が想像することは不可能である。それゆえ、既存の認識におけるカバー範囲は前提にしようがない。

    • A2. 既存の認識におけるカバー範囲に含まれる事例のすべてを把握することが普通はできないのはその通りだが、だからと言って記述的定義をすることに意味がないことにはならない。たんに記述的定義がつねに未知のデータによる検証にさらされるというだけの話である(自然科学の理論・仮説全般にもまったく同じことが言える)。実際、提案された記述的定義に対して反例が出されて定義の内容が修正されていくという哲学に伝統的に見られる営みは、専門家集団が協働的に定義の検証をしているということである。

記述的定義の前提とタスク⑤

  • Q3. ある概念・カテゴリーの既存の認識におけるカバー範囲は、いったい誰が決めるのか? それは記述的定義をする人自身が決めてよいものなのか? だとすればそれは恣意的なのではないか?

    • A3. 定義者自身が当の概念・カテゴリーに十分なじんでいるという自負があるなら、そのカテゴライゼーションを行う実践の一参加者(ある意味での当事者)として、自信をもって定義者自身が既存のカバー範囲を判断してもいいだろう。そのような判断を「恣意的」とは言わない。

      • 余談:ちなみに分析哲学の悪名高い概念である「直観(intuition)」は、おおむね、そういう哲学者自身が実践の参加者として行う判断のことだと言っていいかもしれない。

    • 逆に、そういう自負が定義者にないのなら、当のカテゴライゼーションの実践を外から観察したりその参加者に聞き取りをするという方法などが考えられるが、基本的には記述的定義の営みは、実践の内部からの記述であるのが普通である。

3. 定義は必要なのか

  • 定義の必要性と不必要性

定義の必要性と不必要性①

定義をして何がうれしいのか

  • 定義は、突き詰めれば、ある概念・カテゴリーの範囲を明確にし、その境界を画定すること、ようするに線引きすることである。

  • そのように線引きすることの意義・うれしさはどの点にあるのか。そもそもそれは必要なことなのか。

定義の必要性と不必要性②

明らかに定義が必要・有用になる文脈

  • 論理学や数学では、すべてが規約的定義から始まるので、前提として必ず必要である(記述的定義の出る幕はおそらくない)

  • 法律、各種の社会的規則(校則、社則、スポーツやボードゲームのルール、etc.)、法的文書などは、定義(規約的定義や解明的定義?)が必要になる文脈の典型である。

    • それらの文脈では公平なジャッジをする必要があり、そのためには何を何と見なすかの明確な取り決めが不可欠だから。

  • 医療や工学などの実践的な研究分野の文脈でも、ある種の共通化・標準化されたガイドラインとして(たとえば診断基準や各種の規格のベースとして)定義が必要になることが多い。

  • 実験や調査をデザインする場面でも定義が必要になることが多いだろう。計量的研究全般に必要と言ってもいいかもしれない(何を何としてカウントするかを明確に取り決める必要があるという点で)

定義の必要性と不必要性③

おそらく定義が不必要な文脈

  • 会話などのコミュニケーションの場面で、何か認識の齟齬があったときに「定義」を求めてくる人はまあまあいるが、厳密な線引きが問題になるのでなければ定義は必要ない。

  • 相手の言葉づかいがよくわからないとか、自分の言葉づかいが相手にうまく伝わらないくらいのことなら、特徴づけと例示で済むことが大半だろう(ただし、美的述語の場合はこれがうまくいかないことも多い。第4回の議論を参照。もちろん定義もできない)

  • 会話の相手がそんな細かい話はしていないのに、ある概念やカテゴリーの境界事例や「反例」の存在にむやみにこだわるのは、実質的にクソリプになることがしばしばあるので気をつけましょう(そして大半の概念やカテゴリーには曖昧な領域があるという当たり前の事実を受け入れましょう)

定義の必要性と不必要性④

研究一般に定義が必要と言えるか

  • 研究一般における定義の必要性については、研究の種類やその都度の文脈によるとしか言えない。

  • たとえば、テクニカルターム(当の論文内においてのみ使う)を導入したいなら、厳密な定義(規約的定義)があったほうが便利なことは多いだろう。

  • また、哲学的な定義論(基礎的な諸概念の必要十分条件を求めることで世界や人間の「本質」みたいなものを探ろうとする営み)では、記述的定義をすることそれ自体が研究の目的になっている。

  • 一方で、たんにその研究において取り上げる対象の範囲を示すというだけなら、定義というかたちをとる必要はない。たいていは、特徴づけと例示で十分である。

    • 研究対象の範囲を厳密に境界画定したいなら話は別だが、そういう線引きに何か実質的な意義があるようなケースは、おそらくあまりない。

定義の必要性と不必要性⑤

研究のスタート地点としての定義?

  • 「~~とは何か」という問いをついつい立てたくなる(そして「定義」を求めてしまう)場面はよくある。

  • たとえば、ある文化やジャンルについての研究をしようとなったときに、その文化やジャンルはそもそも何なのか、それはどこまでの範囲をカバーするのか、という問いが最初に思い浮かぶのはごく自然だと思われる。

  • とはいえ、そこで定義論に進む前に、自分がそこで問うているのが本当に定義の問題(明確な線引きの問題)なのかどうか、自分の関心にとってその問いに答えるのが本当に必要なのかどうか、といったことを考えたほうがよい。

  • たいていのケースでは、求められているのは、当の文化やジャンルが実際に存在するという事実と、その大まかな特徴を示すことだろう。それをするには、典型例の例示(およびもし可能なら簡単な特徴づけ)やそれについて語っている言説の例示があれば十分であり、必要十分条件の提示という意味での定義は必要ない。

定義の必要性と不必要性⑥

定義論の作法

  • 定義が気になったときに立ち止まって考えるべきことをまとめておく。

    • 概念・カテゴリーの線引きとしての定義は本当に必要なのか。

    • 必要だとして、どの種類の定義が必要なのか。記述的か解明的か規約的か。

    • それぞれの種類の定義の特性を自分はきちんと理解しているのか。

    • 必要条件と十分条件など、定義の具体的な方法や考えかたを自分はきちんと扱えるのか。

  • 以上のことを自分の中で十分に消化できないうちは、「定義」という語を使って何かを考えたり言ったりするのをやめておくことをおすすめする。

定義に関する参考文献

定義一般について

  • Gupta, "Definitions," in Stanford Encyclopedia of Philosophy, 2021, https://plato.stanford.edu/entries/definitions/.

    • 英語だが、定義に興味があるなら一読しておくのをおすすめする。

    • 日本語で読める定義一般についての概説は、いまのところ見つけられていない。分析哲学系の入門書の一部にそういう内容のセクションがあるかもしれないとは思うが。

芸術定義論

  • 芸術定義論(芸術とは何かをめぐる議論)は、一見すると不毛だが、定義をめぐる考えかたや論争のバリエーションを概観するにはかなりよい題材である。芸術の定義論を少し勉強しておけば、ちまたで話題になるような「~とは何か」「~の定義は~」系の民間論争がいかに混乱に満ちているかがわかるようになる(ひいてはそれを交通整理できるようになる)。

  • ステッカー『分析美学入門』森訳、勁草書房、2013年

    • 第5章が芸術定義論の話になっている。

  • Adajian, "The Definition of Art," in Stanford Encyclopedia of Philosophy, 2018, https://plato.stanford.edu/entries/art-definition/.

    • 芸術定義論もわかりやすくまとまった日本語文献があまりない。

系共通科目(メディア文化学)#9

By Shinji Matsunaga

系共通科目(メディア文化学)#9

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